井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

アベノマスクと《フニクリ・フニクラ》

2020-05-30 08:30:47 | 音楽
通称「アベノマスク」が届いた。最初こそ不評だったが、真似する国が出てきて、不評は「茶化し」に変わったように思う。

しかし、私は何だかニコニコしてしまう。
というのも、ありがたい歌のおかげだ。


音楽仲間から伝わってきた替え歌だが、オチのセンスが素晴らしい。爆笑もの、しかもオチが何度もある。

これが爆笑なのは、演奏が一流だからだ。とにかくうまい。

ピアノも歌も、本格派なだけに、そのギャップが笑いを誘う。

調べてみると、東京芸大の楽理科と声楽科の卒業生で同学年のようだ。
それを知ると、いろいろ思うところは複雑だが、とにかく私を楽しくさせてくれることに感謝だ。

そして、動画のコメントで、貴重な歴史を知った。

R.シュトラウスの《イタリアから》に、この原曲《フニクリ・フニクラ》が引用されていて、シュトラウスは「これがイタリア民謡だと思っていた」と、どの解説にも書いてある。
が、続きがあるそうで、よってシュトラウスは原作者のデンツァに巨額の著作権料を払ったそうだ。

そうだったのか、とまだ続きがある。

というのは、シュトラウスは著作権料にやたら御執心の作曲家だったからだ。ここで痛い目にあっていた訳ね、なるほど。

それに、(デンツァのほかの曲は全く知らないけど、)この《フニクリ・フニクラ》は超名曲だ。
私は【魅惑の9小節フレーズ】と呼んでいるが、前半が9小節のフレーズでできている。

9小節のフレーズなど、そうそうお目にかかれるものではない。
しかも、これほど自然に必然性を持っている9小節フレーズは、他に例を見ないのではないだろうか。
かくいう私が20年くらい、この事実に気づかなかった。

気づいたのは、同じく気づかなかったであろう編曲者が、これを8小節フレーズで処理した楽譜を持ち込み、リハーサルが大混乱に陥った時である。

多分、リヒャルト・シュトラウスも気づかなかったような気がする。あの《イタリアから》の引用は、何とも変な感じで落ち着かない。

ことほどさように、すっと耳に入ってしまう9小節フレーズ、ひたすら凄いと感服するのみだ。

もちろん、和声構造も巧み。最初単純なのだが、段々せりあがっていき、最後にサブドミナントで爆発する、まさに登山電車にふさわしい構造。

まあでも、抜群のオリジナリティはやはり最初、【魅惑の9小節フレーズ】である。

さあ、今日も「しよう、しよう、アベノマスク!」

ピアノとギターは凄い

2020-01-23 22:52:44 | 音楽
ここのところ、続けてコントラバス、オーボエ、ハープの名手達の演奏がNHK=FMで放送された。

特にコントラバスは「これがコントラバスの音か」とびっくりするような名人。

……なのだが、30分で聴くのを止めてしまった。

オーボエにいたっては、こちらも世界的名手で20年くらい前に生で聴いたこともある演奏家。

……なのだが、ヴァイオリン・ソナタをオーボエ2本でずっと吹く、のを20分、聞いていられなかった。こんな曲しかないのだとしたら、オーボエの曲はもっとたくさん必要かもしれない。

ハープは見るからに眉目秀麗な男性フランス人。見ながら聴けば良いのかもしれないが、こちらも20分でスイッチを切ってしまった。

オーケストラで聴くハープは、たまらなく良い。ピアノには、この典雅さはないから。

しかし、ソロとなるとどうだろう。なぜこんなに味気ない時間になってしまうのか。

そうなると、ピアノとギターは凄い楽器だ。どちらも一晩、飽きずに聞ける。

と、ピアノとギターのポテンシャルの高さを再確認させてくれた名手達であった。

ヤンソンスと言えば……

2019-12-10 23:23:40 | 音楽
マリス・ヤンソンスが先月亡くなられた。

ファンも多かったようだし、当然惜しむ声も当然多い。

亡くなられたことに対してはご冥福を祈るばかりである。

しかし、その業績に対しては、正直あまり価値を感じない。ファンの皆様、ごめんなさい。

以前も書いたので、詳しく繰り返すのは避けるが、私はアルヴィド・ヤンソンスに心奪われている。それに比べると、マリスは「普通」なのである。

もちろん、アルヴィドの場合は、その指揮で演奏したことがあり、一方、マリスはテレビやFMで聴くのみ。比較にならないかもしれない。が、凄い演奏は放送でも伝わってくるのではないだろうか。

マリスは「凄さ」にそれほど価値を置かず、気楽に楽しめる、がモットーだったかもしれない。

でも、これは半世紀前、アルヴィドが言われた事に近い。当時、アルヴィドは演奏が「楽しい」と言われたようだ。それはムラヴィンスキーに比べて、である。

私の感覚でも、確かにムラヴィンスキーよりはアルヴィドが「楽しい」、でも厳しさも同時にある、という感じだろうか。

マリスには、その「厳しさ」がなく、より楽しいだけ、みたいに感じる。

なんちゃって、アルヴィドと接したのは20代半ば。すっかり洗脳されただけかもしれないのだが。

音楽業界の今、を知らない私

2019-12-05 19:44:30 | 音楽
「音楽業界の今」と題した、中学生の夏休み課題を見てしまった。

大胆なタイトルだが、侮るなかれ。実は私が全然知らなかった事が書いてあった。

10年前、音楽はダウンロードするものになり、音楽は斜陽産業と言われた。

5年前、音楽はライブ活動が盛んになりだし、それが今からは中心になるだろうと予測された。

しかし、SpotifyやApple Musicの台頭により、ストリーミング配信が今や主流。
10年前、5年前の予測は全てハズれ、音楽産業は活況を呈しているという。

「買われる音楽」から「聴かれる音楽」への変換である。

というようなレポートだった。

おそらくは、どこかの専門家の分析の受け売りだとは思うものの、少なくとも私は全く知らない事実だったから、このレポートの価値はかなりある。

Spotifyなんて、全く知らなかったが、それ以降頻繁に名前を見るようになった。
多分、今まではずっと見過ごしていた、ということなのだろう。

その一例で、最近目にした文章。

レディーガガは語る「『あの子はいずれマドンナになる』ってよく言われたけど、その度にこう答えたの『いいえ、アイアン・メイデンになるの。』」

アイアン・メイデンなんて、私は全く知らないが、ヘビメタのバンドだそうだ。

それでSpotifyのストリーム数は、マドンナの1億1000万に対して、アイアン・メイデンは1億6000万。

かつてのヒットチャートは、このような形に変化しているということだ。

40年前に作ったもので稼ぐことも可能、ということになる。

否、ビジネス界は、むしろそれを探しているらしい。いつまでも稼げる定番商品。

Shakespeareやスター・ウォーズの名前が上がっていた。

なるほどねぇ。

出だしは難しい

2019-11-22 18:31:00 | 音楽
研修、という名目で、中学校の音楽の授業を見に行くことがある。

これが研修になるのか、と思うことなかれ。毎回、立派に研修になるから素晴らしい。

今回痛感したのは「出だしからちゃんと歌えるように合図を出すのは難しい」ということ。

そもそも、出だしからはっきり歌ったり、演奏したりすること自体、日本人には非常に難しい。
「動いているエスカレーターに乗るように」とか
「流れている水の上に、すっと乗っかるイメージ」
など、教える方は苦労して伝え、習う方は何ヵ月だか何年だかかかって、やっと会得することだ。

日本古来のやり方は、始まってから段々ノッテいくのである。これは能楽をやるとよくわかるし、日本民謡も大抵「ハア~」とか何とか言ってから始まる。

教室の生徒さんは、その日本古来の方法に従って歌い始めるのだが、そうすると「出だしがはっきりしない」と注意される訳だ。

どうすれば良いのか。

このようなことを考えたことは、ほとんどなかったように思う。ゆえに、とても良い研修になったのである。
(どうすれば良いかは、そう簡単に答がでる話ではないので、また別の機会に……)