井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

あこがれのトロリーバス

2019-06-27 18:37:00 | 旅行記
バンクーバーには、いわゆる観光地然とした場所はあまりないと言う。
でも、移動中の風景でも充分楽しいことがある。

しかし、同じ道を移動していても、同行者と私とでは、全く違うものを見ていることがしばしばだった。

その代表格が「トロリーバス」

これは日本の鉄道法では「無軌条電車」と言ったと思う。そう、電車なのだ!私が子供の頃は東京や神奈川あたりにあったのだ。でも、ついに日本国内から姿を消して、そろそろ半世紀か。

少なくとも私は乗ったことがない。

しかし、今回行動を同じくしたメンバー、誰一人関心を持たなかった。

なぜだ!

最終日に共演したピアノのKさんは、ハンガリーから来ていて、かの地では普通に走っており「え、普通のバスですよ」と言う。

違うはずだ!エンジンとモーターでは振動の様子が異なるだろう。そしてゴムタイヤだから、鉄輪とも違うはずだし、加速減速の感じも違うはずだ。

乗りたい!でも機会がなかなか訪れない。
ついに乗れそうな時もあったが、また運良く、車に乗せてくれる方が現れ……。

世界中のトロリーバスが廃止されませんように。

バンクーバーのトロリーバスの面白いのは、前方に自転車を載せることができること。

旅は道連れず

2019-05-14 08:05:00 | 旅行記
平成最後の日は熊本県の中を鉄道一人旅した。
JR九州が「4/30~5/1普通・快速列車乗り放題」という切符を3,000円で発売したからだ。

旅は道連れ、と昔から言うし、普通の旅ならそうだが、鉄道の旅、特に近距離のものは、一人旅に限る。

近距離だと一般的に「旅」とは思われていないかもしれないし、観光スポットでも何でもないところで、立ち止まりたくなるから、極めてわがままな行動をとれないと面白くない。

同好の士なら良いかというと、そうでもない。鉄道ファン、マニア、それぞれ視点が違う。

では同じ視点を持つ同士なら、楽しい、かもしれないが、場合によっては、楽しみを独占したくて、やはり邪魔だと思うことがあろう。

一人旅に限るのである。

乗り放題できる切符が発行されて、自分にも時間がある時なんて、そうそうあるものではない。

まず豊肥本線に乗った。豊(大分)肥(熊本)を結ぶこの路線の沿線に住んでいたこともあった。しかし、その頃最寄りの水前寺駅より大分方向へは乗ったことがない。用事はあるのだが、大抵自動車で行く。

つまり、わざわざ乗らないと一生乗らずに終わる路線である。

ということで、喜び勇んで「阿蘇まで行こう」と思った。

しかし残念なことに、熊本地震でまだ復旧されず、肥後大津で折り返し。

途中「平成駅」で降りようかと思った。平成駅には昭和タクシーの看板があり、その前に大正製薬の自販機があり、明治のチョコレートでも持っていけば4時代の写真が撮れる、と地元紙で報道されたので。

だが、同じように考えた人は山のように多く、ごった返していたのでパス。

新しい熊本駅には、ラーメン屋が3~4軒できた。ラーメンは福岡ではスナックだが、熊本では食事である。
だから、熊本ラーメンを一杯、と思ったら、店は客で一杯!



写真は翌5月1日の様子だが、同様に行列ができている。熊本県民がほぼ見放した感のある桂花ラーメンがこの状態(私は相変わらずファンですよ、念のため)。
行列している時間がもったいないので、今度は三角(みすみ)へ向かう。

三角へは「A列車で行こう」という特急が走っている。ちょうど、それが出発する時間だった。プラットフォームでは景気よくエリントンの《A列車で行こう》が流れている。
見ていると乗りたくなったが、この切符では乗れないから、とりあえずお見送りして、続く普通列車に乗る。

「キハ47」というディーゼル車だった。私は電車が好きなのであって、ディーゼル車は大して好きではない。
子供の頃、九州南部はほぼディーゼル車で、デザインもほぼ同じな上、匂いがひどく、当時はそれに煙草の煙が混じって、吐き気を抑えるのが大変だったからだ。

それからすると、今は煙草の匂いもなく、大分ましになっている。
当時あった灰皿やテーブルが外された跡が残っていて、往時をしのぶにはなかなか良い。

三角は天草の入り口で、天草に行く時は、大体通るところだ。なので、4~5回は行ったと思うが、三角線に乗るのは生まれて初めてである。阿蘇も天草も、大体自動車で行くところなのだ。
なので、三角線に乗るのはひょっとしたらこれが最後かもしれない。

ところでJR九州はスマホにアプリを入れると「全駅制覇チェックインラリー」という遊びを用意している。
おかげで駅に到着する度にやることが増えた。

しかし、

JR九州さん❗️

「赤瀬駅」では、全く電波が届かず、行きも帰りもチェックインできませんでしたよ!!

かくのごとく、海沿いなのに山奥の雰囲気を持つ秘境も走る三角線、この面白さは乗らなければわからない。

そして三角駅に降り立つ。
駅舎はリニューアルしている感じだが、プラットフォームの支柱は古レールを使っているから、古い構造はまだ残っている。

そして目をひくのが三角錐の建物、葉祥栄の作品だ。ただの待ち合い場所なのだが、螺旋状のスロープが建物の内外にあって、上からは周囲が展望できる。

そこから屋根が駅近くまで伸びていた。


それを見て、ようやく気づいた。そうか、上から見ると、大きなカタツムリの形になっているんだ!

こういった楽しい建物が各地にあると、旅は一層楽しいものになるのに……。

と、楽しい建物はあったが、ラーメンの代わりになる食べ物屋は見当たらず、コンビニもないのは誤算だった。
10分近く歩いてスーパーマーケットに入り、缶ビールとつまみを買って、再び「キハ47」に乗り込む。

懐かしいのは、この匂いだけではない。この「揺れ」!
最近の電車は本当に揺れなくなった。昔は、電車の中ではまともな字が書けなかったものだ。その中で「新幹線では字が書ける!」と話題にしたくらいだから。

その点、このキハ47は昭和を温存している。

座席は40%以上人が座っていた。

その中で、ずっと立っている高校生が何人もいた。最近の若者は弱くなったのではなく、強くなったのだろうか。

そしてちょっと嬉しいのは、時刻表を読んでいる人が3人、缶ビールを飲んでいる人も3人いたことだ。

列車の時刻を携帯電話で調べるようになって久しい。しかし、あれは最善の策を示すのにふさわしく、次善以下の策を調べるには不便だ。旅はやはり時刻表がよろしい。

そして、往時は汽車に乗ったら缶ビール、もっと昔は瓶ビール、子供はファンタ。外されたテーブルの下には瓶の栓抜きがくっついていたものだ。

みんな平成ではなくて、昭和を偲んでいる雰囲気がある。

三角線は昭和を動態保存している。

さて、まだ時間の余裕があるので、宇戸から鹿児島本線を南下して八代まで行くことにした。

こちらは、わざわざでなければ行かない以上に、行く用事もこの半生でほぼなかった場所である。例によって二度と行かない可能性もある場所とも言える。

そして、懐かしいものを見つけた。



有佐駅プラットフォーム屋根にぶら下がる駅名表示だが、これは国鉄時代のものだと一目でわかる。

昭和40年代の極めて代表的なもので、下部にグレーの白抜きでローマ字標記がある。このデザインに全国の駅が変わっていくのを子供の時分に眺めては、「新しいなあ」と思ったものだ。

(そして1972~3年頃、黒地に白抜き文字が「もっと新しいなあ」に変わる。)

ここまで読んでくださってありがとうございます。(私も字を打つのに10日以上かかりました……。)

駅名を見上げる自分は、小学生の自分と何ら変わりない。あの頃すでに今の自分の原型ができていた、とも言える。

そして、こんなことが楽しいと思い、こんな文章を読むのも楽しいと思っていた。

関心のない人には何が面白いのかわからないだろうし、それが当然である。
しかし、私としては久々に童心に帰れた貴重な時間だった。

令和も頑張ろうっと。

プラットフォーム屋根の支柱

2019-04-13 17:21:32 | 旅行記
プラットフォームも見るが、その屋根の形、支柱を必ず見る。

一時期の屋根は本当に面白くも何ともないのだが、ここ10年くらいは、さすがに考え始めたのか、デザインとしてはまあまあ悪くない。

しかし、大昔のものは、たまらなく感じてしまう。


こういうのがたまらない。鹿児島本線鳥栖駅である。

ドイツの古いレールを再利用しているのだ。
様々なファンタジーが、頭の中を駆け巡る。

レールを作る技術が日本にはなかったのだな。

長旅をさせて苦労して輸入したんだな。

これがH字形だったら最古だけどT字形だから、それより新しい。

でもレールで使えなくなっても駅の建築資材には使えそうだ、と誰かが思った。

それで支柱に利用され、戦争にも耐えぬいた。

という次第で、ちょっと古い駅ではよく見かけたけど、さすがに最近取り壊されて「まあまあのデザイン」にとって代わられている。

この「まあまあの」が22世紀になった時、私のようなのをもってして、「21世紀のデザインは感動的だ」と言われるだろうか……。

自家用扉?フォームドア?

2019-04-02 19:23:03 | 旅行記
20年前はまだまだ珍しかったが、最近急速に普及し始めた。電車のプラットフォームに壁を作って、入り口をドアにして開閉させるもの。

珍しいうちは、ここだけのこと、と思っていたが、どこもかしこも設置が始まると、気持ち悪くて仕方ないものが耳に入る。

その名称は「ホームドア」と「どの地域でも」言うらしい。

ホームドア?
自家用扉?

想像するにプラットフォームのドア、なのだろう。ならば「フォームドア」と言ってほしいものである。

今どき「フォ」が言えない日本人なんていないだろう。
フォント、フォーカス、フォーマットをホント、ホーカス、ホーマットといったら、笑いしか出てこないと思うが、ホームドアだけはなぜ定着するのか。

考えてみたら、鉄道関係者は昔から「ホームからはみ出ないよう」とか「ホームの内側を」とか言っていたような気がする。

それで、あれは「ホーム」だと思いこんでいるのかもしれない。
私にとってはホーカスやホーマットと同列に、気持ち悪いものなのだが…。

その「ホームドア」が開かない事故に遭遇した。

電車は着いたけど、【フォームドア】が開かないのである。場所は羽田空港駅。急いでいる人も多かろうに。


5分くらい待たせた後、「ホームドア」は開いた。

写真でわかるだろうか。ホームドアの中心と電車扉の中心が、かなりズレている。
そうすると開かないようだ。

この仕組みがわかるのに、職員は5分かかった。この路線は京浜急行、都営地下鉄、京成電鉄と乗り入れているから影響は大きい。

【フォームドア】と呼んだら事故は起きないかも…(それはないか)。

がっかりする駅は相変わらずか?

2019-03-09 10:38:40 | 旅行記
全国の県庁所在地の駅で、降りたらがっかりする駅の上位にランクインする駅が、最近ついになくなった。



写真は去年、レールを撤去中の頃。

そうは言っても、私にとっては思い出の駅。
薄っぺらい駅舎が不評の原因だが、降りてすぐ外に出られるのは利点でもあった。



このホームには、長い間「手洗い場」があった。いわゆるトイレではなくて、蒸気機関車の噴煙で汚れた手や顔を洗うためのもので、鏡がついていた。

薄っぺらい駅舎だけに、なくなるのはあっけない。写真は半分なくなったところ。



そして、全部なくなった。
思い出の建物がなくなって感無量なのは私だけではない。
私同様、写真を撮るおじさんと共に。



雨避けの屋根が、いよいよ何の役にも立たなくなり、芸術作品に昇華した。



写真だとわかりにくいかもしれないが、屋根が途切れたところに旧駅舎はあった。
この屋根、完成したら延長するのだろうか。

とにかく現在は市電乗り場まで、皆さん傘をささなければならない。
ちなみに旧駅舎へつながるこの屋根は、カーブを描いている。
旧駅舎時代も傘は必要だった、まっすぐ向かいたければ。



設計者のA藤タダオさんは「自然と触れあうことを大事」にしているそうだ。

私が駅を利用する時は、大抵急いでいて、自然と触れあう時間がないのが残念である。

なので、相変わらずがっかりする人が多いかもしれないのだが、設計者からすれば、その方々はこの駅の利用方法を間違っているのだろう。

これから、駅前にロータリーが整備されるとのこと。
それからまた利用方法について考えるとしよう。