井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

うさぎ美味しい

2011-11-06 08:48:53 | 日記・エッセイ・コラム

日本人の好きな歌に「ふるさと」というのがある、とTVで紹介されていた。

本当か?と一旦思った。

音楽教育関係者の間では、これは日本語の歌としてかなり厄介だという定評がある。

それはタイトルに挙げた通り、「うさぎ追いし」が、どうやっても「うさぎ美味しい」にしか聞こえないからである。

20年ほど前に、エルンスト・ヘフリガーが日本歌曲をドイツ語訳で歌うということをやっていた。ヘフリガーと言えばバッハのエヴァンゲリストとして第一人者だった。それがまたなぜ?という驚きと疑問はさておき、その中にこの「ふるさと」も含まれていた。

その演奏は、日本人からは考えられない快調なテンポ、そしてシューベルトなどを想起させる完全にドイツ歌曲だった。

そう、この曲は音楽的には全く日本的でないのだ。

リズムだけ見れば、イギリス国歌「God Save the Queen」とよく似ている。

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YouTube: God Save The Queen - British National Anthem

なぜ、こんな西洋もどきが愛されているのか?日本にふるさとを歌う歌がほかになかったからか?

そんなことはない。例えば五木ひろしの「ふるさと」

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YouTube: ふるさと 五木ひろし

こちらの方が断然日本的である。良い歌だと思うのだが、なぜか高野=岡野作の「ふるさと」に歯が立たない。

歌詞の内容から考えても、腑に落ちない。現在の日本人のどれだけがウサギを追った経験があるのだろうか?

筆者の親の世代くらいまではその経験があることをかろうじて知っている。

筆者の出身高(長崎N高校)の30年史というのが手もとにある。たまたま創立30年(1978年)の時在籍していたから買ったのだったと思う。そこに、姿を全く消してしまった学校行事として「うさぎ狩り」というのが載っている。それによると「うさぎ狩り」は旧制中学の伝統行事だったという。

この「うさぎ狩り」は、二学期末の期末考査終了を時期とし、コシキ岩山頂で行われた。冬の寒い中ではあるが、一年生、二年生にとっては、試験後の気晴らしとしてレクレーション活動、あるいはエネルギー発散として、また三年生にとっては、三学期にそなえ大学入試などを目指すための体力と気力への挑戦の一環として、非常に意義ある伝統行事だった。

早朝からコシキ岩に網を仕掛けに行き、生徒、職員一丸となって列をつくり、手には木切れなどを持ち、草むらを叩きながら、うさぎを追い込むという、現代生活では体験できぬ、極めて原始的な狩りであった。

そして、7年間という短期間で廃止される。廃止については生徒、職員とも賛否両論だったという。そして昭和37年の職員会議で廃止が決定される。その理由としては、

うさぎ狩り自体が近代的スポーツではなく、若者のエネルギーを発散させるには何か他にあるのではないか。女子生徒には不適当ではないか。獲物であるうさぎが年々減少している。早朝から網を仕掛けに行くことは、時間的・体力的に問題があるのではないか。こういった理由の上に早水先生の退職が廃止を決定的なものにした。

ついでに、50年史というのも持っている(創立50年にはお呼ばれしたので、これを頂いた。音楽屋さんは何かにつけ引っ張り出される)。この20年間に世界が変わったことも、記述から読み取れる。

環境問題が国際的重要課題として取り挙げられ、動物愛護が当然となった現代では、こうした「うさぎ狩り」というような行事が実際行われていたということ自体、現在では信じられないことかもしれない。ただ、物質的に満たされた飽食の時代といわれる現在の日本にも、かつては山の木の実をおやつとして採り、鳥やうさぎなど小動物を捕えて食事の助けとするような時代があったことは事実である。「うさぎ狩り」という行事も、昔はこうした質素な生活の助けとして生まれたものだったかもしれない。

これから10年以上たった今、飽食の時代とも言われなくなった。うさぎを追ったのはもはや伝説である。そして、歌だけが残った。それでも、この歌詞に郷愁を感じるものなのだろうか?

それからしばらくして(2004年)、今度は同高の在京同窓会に引っ張り出された。ヴァイオリンを弾けとのことなのだが、最後の曲は「ふるさと」にしてほしいという注文だった。やれやれ。まあ、本当にうさぎ狩りをやった世代も含まれているから良しとするしかないか、と自分を納得させるしかなかった。