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今月末にショパンのヴァイオリン協奏曲を発表する。まだ楽譜ができあがっていなくって、それに時間を費やしている関係で、本ブログはご無沙汰なのだが、記録しておかなければ、ということは関係なしに発生する。
という次第で、その一つである。先日、同年代の指揮者から聴いた話。その指揮者がまだ高校生の頃受けた室内楽のレッスンの話だ。
先生は作曲家の三善晃先生。
曲がソナタ形式で、再現部にかかった時に言われた言葉。
「再現部に来たら、また最初と同じフシが出てきた戻ってきたことだと思っているでしょう?
でも再現部というのは、今までいろいろなことがあって、やっとたどりついた箇所。最初と同じに見えるけれど、同じではないんです。ちょうどらせん階段のようなものだと思って下さい。
皆さんの演奏は、らせん階段を上から見たような感じです。
でも、らせん階段を横から見たらどうですか?・・・」
その指揮者は、その時目から鱗が落ちたと語っていたが、いやはや実にすばらしいたとえである。
名教師はたとえ話がうまいものであるが、私もこの話には感服した。
もうソナタ形式を見たら「らせん階段」しか思い浮かばなくなるだろう。
こんな話をただで聴いてしまって良いのだろうか、と思った。考えた末、ただで他の人に伝えれば良いという結論に達して、これを書いている。
私たちと同じように感心する人には有益な情報になるだろう。そして、そうは言っても一部の人には「猫に小判」だろう。だから「ただ」でも別に気にしないで良い、かな。