井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ヴァイオリンを弾く時の顔

2013-05-04 14:20:17 | ヴァイオリン

自分の子供がヴァイオリンを弾くと、とても恐い顔になる。これを気にする親御さんがいらっしゃる。

そうだよなぁ、と昔を思い出した。よく自分も言われたから。

また、その頃はちょうどイツァーク・パールマンが一世を風靡していて、「実に楽しそうに弾く=超一流」の図式があったかもしれない。パールマンの人気の要因には、卓越した技術で常に美音で演奏することに加え、その「楽しそうに弾く」というのもあったと思われる。

私自身、パールマンに魅せられた一人だったから、何とかして近づきたい、そのためにはニコニコしながら演奏できるようになるというのを、自らに課そうとしていた。

しかし、こんなことが他の楽器で話題になるだろうか?

ピアノは常にお客さんに対して横を向いているから、あまり話題にならないような気がするし、ニコニコしながら弾くピアニストを思いつかない。

管楽器は正面から聴衆と向き合うから、話題にされるかと思いきや、アンブシュア(楽器と接する口の形)が技術の一部なので、そこから起因する顔の表情というものがあり、顔の表情からのアプローチはナンセンス。

見えない所で演奏するオルガンなどはもちろん論外。

昨今ではオルガニストを見せるために、客席にモニターを置くこともしている。それを知らずに演奏準備に入ったオルガニストの話を聞いたことがある。その人の準備とは、かつらを取り、入れ歯を外し、メガネをかけ直すこと。それがモニターを通じて・・・。

ざっと見渡しても、恐い顔が問題になる楽器が他には見当たらない。(ひょっとしたらあるのかもしれないが。)

なぜか。

多分、ヴァイオリン(とヴィオラ)特有の姿勢にも要因があるのではないかと推論する。

弦楽器は全て、両手の役割が違い、著しく左右非対称の動きをする。その中で、頭を楽器の保持の一部に使っているのはヴァイオリンとヴィオラくらいのものだ。

人間の身体構造に対して、かなり不自然な要素を最初から抱え、その上、名人芸的な早技をこなさなければならないとくれば、必死の形相になるのが自然というものではないか。

と思いたいのにパールマンがいたお陰で、そうは考えずに30年間「にこやかに弾く」ための努力を続けてきた。

で、時には穏やかな表情で弾けるようになったかな、と言えるようになった頃、同時に気付いた。ハイフェッツもオイストラフもにこやかには弾いていないぞ。特にオイストラフなんて、顔だけは常に苦しそうだ。

では最近のヴァイオリニストを眺めてみるとヴェンゲーロフくらいが「にこやかな」弾き手で、あとは見つからない。

やはりヴァイオリンは般若ヅラで弾く楽器だと思った方が良い、というのが現在の結論である。

よく考えると、恐い顔を気にしているのは「親」なのだ。親が気にするのは半ば当然だし、その気持ちもよくわかる。

しかし、それを真に受けると上達を阻害しかねない。ここのところは、「にこやかさ」は諦めてもらって、「恐い顔になるくらい真剣にできるようになった」、と喜んでいただくのが良いでしょうねぇ。