井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

明けましておめでとうございます

2015-01-04 11:58:27 | ヴァイオリン

今年もよろしくお願いします。

続けていくのは、結構大変なのです。書いていいことと構わないこととありまして、単純に書ける時代は随分前に終わっているのですが、それだからこそ続ける意味を再確認することも、最近多々ありました。なので、どこまで続けられるかやってみたいと思います。

さて、新年早々、FMで某コンクール全国大会の放送をしていました。私も9年ぶりに審査員として聴かせてもらったのですが、いやはや皆さんの上手なこと!

毎年聴いていらっしゃる大御所先生曰く、

「小学生は毎年上手だからね、かなりこちらも構えているんだけど、それでも上手ね」

中高生はというと、こちらも凄かった。ただ、中高生は昔から上手だった訳ではないのです。複数の先生の証言がありますが、4,5年前、特に高校生はあまりうまくなかったとのことです。

さらに遡ること数年の昔に聞いた話では、小学生は親がかり(正確には母親)で取り組むから、かなりのところまでいくけれど、中高生になると親が(疲れたのか)もう手をかけなくなる、すると結局レベルの低い演奏で甘んじなければならないのでは、ということでした。

そのような話を、当時の小学生の母親達もきっと耳にしていたと思います。他にも、「高校生までは家畜に毛の生えた程度だと思え」というような、少々お下品な表現ではありますが、つまりは「自主性など期待する方が間違い」という教育論も、割と耳にしたような気がします。

それならば、ということで、そのお母さん方ががんばった成果が多分にあるのではないか、ということを、まず強く感じた次第です。

そして、人間というのはやはり、同じ時間をかけて努力すれば、同じくらいの成果が出る、という現実を(私は「真理」だと思っていますが)再確認したようにも思いました。

さらに全国大会は、終わってから講評会があったのが良かったですね。入賞しなかったけれど私はとても良かったと思った、とか、入賞しているけれどこれこれこういう訳であなたに最低点をつけましたって言い訳できたから。

本当に全員が僅差だったので、こういうことが起きます。

通常一番強そうな、東京大会の高校生入賞者が全滅等の下克上(?)も毎年あるらしいですね。本選の曲と同一曲を弾く昔のシステムでは、こういうことはおきにくいと思うけれど、「短期間で仕上げる」という別の視点が加わる現行の仕組み、新たな能力を開発していて、なかなか有効に働いていると言えるだろう。

とりあえず、ヴァイオリンママ万歳。明るい未来を共に築きましょう。