電車の車窓からふと見えた風景だが、ある駅前の建物が取り壊されていた。
あれは本屋だったはずだ。
最寄り駅ではないので数度立ち寄ったに過ぎないが、数カ月前に何年ぶりかに入ったことがあった。あれが結果的にお別れだった訳だ。
インターネットの普及で書籍のあり方は大きく変わった。正直言って百科事典はウィキペディアにかなわないと思う。ウィキペディアの信憑性は(感覚的に)8~9割程度だが、世の中それで大抵間に合うのだから。
しかし「本」はそれだけで一つの世界、それを眺めるだけで心躍る要素がある、と思う人は少数派だろうか。
その「小世界」あるいはミクロコスモス(小宇宙)の集合である本屋は、どんなに小さくても魅力的な空間である。気に入る本がなかったとしてもだ。
商店街があったら必ず一軒以上の本屋があってほしいし、実際どこの町に行っても、大抵本屋があったら立ち寄っている。
商店街だけでなく、大学の前の本屋も消えつつある。
時代の流れということは重々承知しているつもりだが、なんとも寂しいのは如何ともし難い。
書籍の良さを多くの人が再認識してくれることを祈るばかりである。
あれは本屋だったはずだ。
最寄り駅ではないので数度立ち寄ったに過ぎないが、数カ月前に何年ぶりかに入ったことがあった。あれが結果的にお別れだった訳だ。
インターネットの普及で書籍のあり方は大きく変わった。正直言って百科事典はウィキペディアにかなわないと思う。ウィキペディアの信憑性は(感覚的に)8~9割程度だが、世の中それで大抵間に合うのだから。
しかし「本」はそれだけで一つの世界、それを眺めるだけで心躍る要素がある、と思う人は少数派だろうか。
その「小世界」あるいはミクロコスモス(小宇宙)の集合である本屋は、どんなに小さくても魅力的な空間である。気に入る本がなかったとしてもだ。
商店街があったら必ず一軒以上の本屋があってほしいし、実際どこの町に行っても、大抵本屋があったら立ち寄っている。
商店街だけでなく、大学の前の本屋も消えつつある。
時代の流れということは重々承知しているつもりだが、なんとも寂しいのは如何ともし難い。
書籍の良さを多くの人が再認識してくれることを祈るばかりである。