モーツァルトのヴァイオリン協奏曲が弾けるようになって、次はブルッフかラロか、と行きたいところ。実際行く人も多い。
タイトルにまず
が、ここには深くて大きい谷がある。
ブルッフの協奏曲、ラロのスペイン交響曲、いずれも速足でかけ上がるアルペジオがある。
ブルッフには三重音の連続、ラロにはハイポジションとの往復、いずれもモーツァルトには出てこない。
この対策として、以前から「大量のアルペジオ練習」をお勧めしていたし、私もそうしていた。
この方法の弱点は、アルペジオ練習の必然性が生徒さんにわからないことである。
やはり、ブルッフほど難しくはないアルペジオが含まれた曲を並行して練習する方がわかりやすい。
そういう曲があまりないから「では作るか」と思って、昨年末から取り組んでいたのだが……。
なるべくテレワーク、になった今、かねてから気になっていた楽譜達を眺め直した。
シュポア、ロード等の協奏曲である。
……私が考えることなど、百年以上前の先人達も考えていたことがよくわかり、とても恥ずかしかった。
タイトルにまず
《CONCERTSTUDIEN No.6》
とある。
イタリア語とドイツ語がチャンポンの造語だが、直訳で協奏曲練習曲、つまりエチュードコンチェルトとでも言ったらわかりやすいだろうか。
下に小さく書いてあるのは「ライプツィヒ王立音楽院の要請に応じて」のようなこと、そして校訂がフェルディナント・ダーヴィト。
つまり、当時は盛んにヴァイオリン作曲家の先生方が、学習者のために練習用協奏曲をせっせと書いていた事がわかる。
ダーヴィトが手を入れた物は、ほぼ必ずアウアーが目を通しているはずだ。そして恐らく全生徒に練習させているに違いない。
というのも、私はアウアーの孫弟子にあたる人に3人も習ったことがあり、私も練習したからである。
しかし、私はこのあたりの協奏曲が嫌いだった。ちっとも良い曲だと思わないし、ヴァイオリンを弾く人以外誰も知らない曲をなぜやらなければならないか、必然性を見いだせなかったからである。
自分が嫌なものは、人にもさせない。道徳的には極めて正しい行動である。
が、これらの楽譜を前にし、私が「実は善き伝統」を絶ちきってしまっていたことに気づかされた。
というのも、曲を次から次にやりたがる人も決して少なくないし、無味乾燥な音階よりもそちらの方が練習して上達するタイプもあることが、今更ながらわかったからである。(何回やっても正確な音階を弾けない生徒さん、しかし曲になると極めて練習してくるのである。)
そうやって改めてみると、標題のベリオの7番、なかなか良い曲だ。適度なアルペジオや音階も織り込まれている。
私はいやいややっていたけど、みんながそうだとは限らない。
そこに早く気づくべきだったが、今からは、これを活用せねば、と強く思ったテレワークの1日であった。