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大河ドラマ「麒麟がくる」終わりました

2021年02月10日 | ドラマレビュー
 7日で最終回でした。当方幕末推しで戦国ものは特に興味がないのですが、今回はヤング明智光秀にも焦点を当てた異色の作品ということで見てみました。

 今回は初回から最終回まで全部見ました。感想としては、まずまず面白かったです。そもそも戦国もののどこが好きでないかというと、史料が残っていない部分が多いので話をいくらでも盛れる、今言われている定説が実は違うかも、作者によって人物のキャラクターが違い過ぎる、などなど。実際はその辺の自由度で、メリットデメリット両方あるとは思うのですが、大河を毎回見てるような人は歴史にも詳しくて多分うるさいと思うので、あんまりとんでもない話にはできなかろうと。

 実は一昨年の新年に、実家に帰省した際に丸岡城を見に行ったことがあって、そこで翌年の大河が明智光秀が主役であることを知りました。光秀が一時越前朝倉氏のもとにいたことがあったので、舞台になるかもということで福井では期待してたのでしょうね。そんなこともあって、ちょっと興味が湧いたと。

 なにしろ光秀というと、本能寺の変で信長を討ち取った直後に自分も討ち死にしてしまった人で悪役の面も多いですから、その辺をどう描くかというのが注目だったわけですが、話の流れとしてはよくできてたと思います。

 私のイメージでは、信長とは戦国時代の革命児で、戦のやり方を一新させ、狩りも馬も天下一品の天才で、向かうところ敵なし、家臣のモチベーションも高かったということだったのですが、実際思うほど勝ちっぱなしではなかったのがわかりましたし、その強引な手法に反発する人も多かったであろうのが終盤ジワジワ伝わってきましたので、その辺の持っていき方が絶妙だったと。

 ただ、やはり世間でも言われているように、駒、東庵先生、伊呂波太夫、菊丸など、架空のキャラクターに重要な役割を負わせすぎた感はあります。なによりマチャアキを見ると、いつワイングラスを乗せたテーブルクロスをグイッと引いて、「星三つです!」と言い出すかと思ってしまったので。

 この時代のことではまだ不明な点があって、信長の正室の帰蝶もそう。「国盗り物語」では「濃姫」とされていましたが、その呼び名もはっきりしない様子。おまけに「国盗り物語」の本能寺の変のシーンでは、高橋英樹扮する信長と一緒になぎなたを振るって戦ってたのですが、あれはお芝居でよく描かれるシーンにあるだけで、史実によるとあの場にはいなかったようですね。

 あのシーンは妙に印象に残ってるのですが、何がどうかというと、松坂慶子が演じた濃姫の死体の演技が下手すぎると父がやたらとぼやいてたこと。確かに閉じた瞼がピクピク動いてたし。ただ、火を放った現場からあんなにきれいな姿で発見される事自体がおかしいので、本来怒るべきなのはそこでしょうけど。

 ということで、なかなか難しいテーマを扱った作品にしては力作だったと評価し、制作陣とキャストの皆さんにはアッパレを差し上げます。麒麟はこなかったけどダーウィンが来たというオチは、多分3千人くらいが書いてると思うので私は言いません。←言うてるやんけ!