今日のひとネタ

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1977年の世界はどうだったか

2022年09月16日 | ドラマレビュー

 

 日本映画専門チャンネルで毎週「岸辺のアルバム」を見てます。ストーリーも面白いのですが、当時の町の様子や暮らしぶりも見えてそこも興味深いです。当時私は中2でしたから自分でも体験した時代ですが、何しろあちらは東京なので都会の匂いがします。ちなみに主人公の家庭の最寄り駅が和泉多摩川駅で、多摩川水害で被害を受けた辺りですから二十三区ではなく狛江市の一家ということになりますが都会は都会なので。

 ここの一家が暮らすのは建売住宅で、間取りは恐らく3LDK。LDKとはいえ今のようにキッチンカウンターがある作りではなく、キッチンのすぐ横にダイニングテーブルがあって、サイドボードを挟んでソファが置いてあるという作り。そんなに広くはないです。

 暮らしぶりで一番今と違うのは、お父さんの風呂上り。必ず浴衣に着替えるのがおしゃれです。ダンディーな杉浦直樹ともなると、さすがにジャージは着ないのでしょう。そしてビールは大瓶。うちの実家も当時はビールは瓶がデフォルトだった気がします。昔は「缶ビールは金属臭い。」といわれてましたね。奥さんが瓶ビールを何本も買って店から持って帰ってくるとは思えないので、多分酒屋がケースで配達してくるのでしょう。今ではほぼ見られない文化というか風習ですね。

 もう一つの違いはテレビが小さいこと。お父さんは会社の繊維機械部の部長ということで休日は接待ゴルフに出かけてるくらいだから結構稼いでるとは思うのですが、テレビは恐らく14インチか16インチくらいではないでしょうか。(画像からの推察) おそらく収入云々というよりは、テレビを重視しない一家なのでしょう。とはいえ、音声多重放送が始まるのが1978年なので、画面の両側にスピーカーが付いてるようなものはまだほとんどなかったはず。

 町の様子はというと、「哀愁」というあだ名の風吹ジュンがバイトする店はモスバーガー。その頃、私の田舎にはハンバーガー店なんてなかったし、ドラマ見ててもあれが何の店だかわかってなかったと思います。「なんか立ったまま食ったり飲んだりしてる。」と思ってたかもしれません。ハンバーガー店がどうだというより、ハンバーガー自体をまだ食べたことなかったかも。

 ただ、調べてみたらモスバーガー1号店は1972年にできたのですね。東京の人からすると、モスバーガーは珍しくもなんともなかったのでしょう。

 そして、長男の国広富之と友達のずうとるび新井が行く店には、サーティワンもあります。サーティワンは日本では1974年にできたそうなので、東京の若者としては定番のお店だったのでしょうか。何がどうかというと、私はいまだにサーティワンに入ったことがないという…。

 また、喫茶店も趣のある店が出てきます。スタバもドトールもなかったのでしょうが、基本的にテーブルとソファがある4人掛けボックスが並んでる構造で、ウエイトレスが注文を聞きに来るスタイル。今もこういう店はありますが、随分と少なくなりました。ドラマでは、ここで間男の竹脇無我と人妻の八千草薫が不倫の相談をしたりします。おまけにカップル喫茶にも行ったりしますが、当時はそういう店も流行ったのでしょうか。

 そして八千草薫と別れた傷心の竹脇無我が訪れるのがスタンドバー。こちらは実際の店ではなく完全にセットでしたが、スーツにぶっといネクタイを締めた男性が立ち飲みで水割りをクイッとやるのはなかなか絵になります。

 この他にも、このドラマは当時の渋谷駅とかその周辺の様子とか、色々見られます。何もかも「あの頃はよかった。戻りたい。」とかいう気持ちはサラサラないですが、調べてみたら1977年というと風吹ジュンが20才なんですね。そこは魅力ですね。ま、このドラマでは中田喜子も結構いいのですが、こちらも調べてみたら中田喜子の方が風吹ジュンより年下でした。むぅ~、1977年の世界はわからん。