昨日某ラジオ番組のパーソナリティーの方が計画停電に対して「やるならやりゃいいのに」「こっちは停電なのに道路一本隔てた向かいが電気点いてたりするのがなんだか」とかおっしゃってました。しかし停電なんてのはない方がいいに決まってるので「やりゃいいだろう!」という言い方は乱暴なのではないかと。そんなに停電が好きなんでしょうか。
停電になって困る人がどれくらいいるかというのは想像力の問題でしょう。今朝のNHKニュースで川越市の病院の様子を報じてましたが、停電になるとナースコールも使えなくなるので入院患者には空のペットボトルに駐車場の石を入れたものを渡してるのだとか。何かあったらガラガラ振って知らせろということで。また、夜間は片手に懐中電灯を持って作業することになるので事故も多いと。で、停電はというと3時間の予定が2時間で終了し、照明が点いた途端病棟では拍手が起こってました。そういう人に向かって「停電やりゃいいんだ」と言うわけにはいきませんのに。
電力需要見込みが供給を上回る場合に停電せざるを得ないということで、その危機感からみんなが節電したり関係者が調整したりして結果的に停電を回避できたのなら、みんなでそれを喜ぶべきでしょう。また、自分のところが停電でも近所は電気が着いてるなら何かあったら助けて貰えるとか、その地区の飲食店に行けば明るいところで食事ができるとか思えば多少心強い面もありますから、それを「あっちは点いてるのに!」とか文句いうのも了見の狭いことではなかろうかと。
本日の東北電力の停電が中止になったことについては、雨が降って水量が増えたため水力発電の出力が上がったことが要因だとか。いろんな要素がありそれをまた調整するためにそれぞれ関係者が尽力してるのであって、ここは一つしょーもないことで文句ばっかり言うのはやめにしませんかという提案でした。まったく放送局が停電しないからと言って強啓氏もいよいよヤキが回ったと見える。
もちろん電力会社の広報の仕方には問題が多々ありますので、文句言うとすればそちらでしょう。が、あちらも相当てんぱってるのでしょう。それ以外の「だから原発は…」「電気無しで生活できないようにしたのは誰だ」とかいう批判をする人は事が治まってからするよろし。そんときは聞いてあげます。今はみんなで力を合わせて乗り切れるよう頑張りましょう。