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2020-12-23 | 新田次郎

 

新田次郎
『聖職の碑』★★★+
 
 
初出は昭和55年12月
文庫としての新装版
 
 
--------(抜粋)
 
 
大正2年8月26日、中箕輪尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。
しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ11名の死者を出した。
信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢、
そして山の稜線上に立つ碑は、なぜ「慰霊碑」ではなく「遭難記念碑」なのか。
悲劇の全体像を真摯に描き出す。
 
 
--------
 
この一文を読むだけで背筋に冷たいものが走った。
遭難本 それも本当にあった話
取材力が半端なくて、執筆に至るまでの経緯を読むだけでも伝わるものがある。
 
長野県人「信州人らしいクールなタイプの人」
 
(取材記・筆を執るまで 参照)
 
「私の故郷の霧ケ峰に立つと、甲斐駒ヶ岳も伊那駒ヶ岳(西駒ヶ岳)も手の届きそうなところに見える。その伊那駒ヶ岳で、遭難があっておおぜいの児童が死んだという話は、小学校のころから知っていた。誰に聞いたかははっきり覚えてはいないが、一人にではなく、何人かの人を通じて、いかにその遭難が悲惨なものであったかを聞いた。
私が好んで山岳を舞台にした小説を書くようになってからは、いつかは、この遭難についての報告書を読んでみたいと思っていた。小説に書く書かないは別として、調べてみたい問題だった」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
---
 
 
風化の極に達した白い砂と岩石によって覆われた尾根がずっと続いていた。北川秀吉、堀峯、有賀直治が死んだのはこのあたりだった。おそらく、この三人は強風地帯で体温のすべてを奪われて相継いで倒れたのだろう。寒かったであろう。苦しかったであろう。せつなかったであろう。
 
 
---
(涙)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
書籍を検索してくると膨大な数
ん!?浅田次郎? 名前が紛らわしい。
 
デビュウ作に興味が沸くが、手に入ってなし。
 
取材記に載っていた『アラスカ物語』も気になるところ。
(本人は恥ずかしがって、いや迷惑がっていたけど(笑))

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