山本周五郎
『赤ひげ診療譚』★★★
この作品は昭和三十四年二月文藝春秋新社より刊行された。
文庫本 昭和三十九年十月十日 発行
--------(抜粋)
清らかで美しく、貪欲で邪悪なのが人間だ――。
幕府の御番医という栄達の道を歩むべく長崎遊学から戻った保本登は、小石川養生所の“赤ひげ”とよばれる医長・新出去定の元、医員の見習勤務を命ぜられる。
不本意な登は赤ひげに反抗するが、その一見乱暴な言動の底に脈打つ強靱な精神に次第に惹かれてゆく。
傷ついた若き医生と師との魂のふれあいを描く医療小説の最高傑作
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『ながい坂』に痺れた話をお友達にアツク語りまくってたら・・
それに触発され周りも周五郎にハマり出し、交換読書となった本
・三度目の正直(私的に★★★★)
どう展開してゆくのか、予想もつかなった。
・徒労に賭ける
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「追従を云うな、おれは追従が嫌いだ」
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「人間ほど尊く美しく、清らかでたのもしいものはない」と去定は云った、「だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、愚鈍で邪悪で貪欲でいやらしいものはない」
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どこかでなにかが間違っている。
上屋敷、下屋敷・・中屋敷もあったのね。
お江戸物語をスムーズに理解するにはまだまだだな・・
めずらしい。保本の母は持病の痛風持ちだった(女性で初めて聞くかも)
痛風には敏感です(苦笑)
・鶯ばか
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「井戸は地面の下へ続いてますからね、死にかかっている者をああやって呼べば、こっちへ帰って来るっていうんですよ」
登は井戸の中に響く女たちの嘆き訴えるような呼び声を、やや暫く黙って聞いたいた。
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ああ、とおふみは思いだしたように微笑した、「水戸を立退くまえに、親子で大洗さまへいきました、弁当を持って半日、親子暢びり海を見て来ましたが、あとにもさきにもあんなに気持ちが暢びりした、たのしいことはありませんでしたよ、生まれてっから今日まで、ええ、あのときがたったいちどでした」
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・氷の下の芽
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青磁の花器に松と梅もどきが活けてあり、行燈の光から遠いためもあろうが、百年もまえから見慣れているように、退屈で鬱陶しく、飽き飽きした感じにみえた。
―—松と梅もどき、いつもこれだ。
母はただ習慣で活け、父にはこの無神経な、繰り返しだけの退屈さがわからない。これならいっそなにも活けないほうがいいじゃないか、と登は心の中で呟いた。
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贖罪
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―—罪を知らぬ者だけが人を裁く。
登は心の中でそう云う声を聞いた。
――罪を知った者は決して人を裁かない。
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罪の暗さと重さ
赤ひげ目線の描写はなく、保本登を通しての赤ひげが描かれている。
人それぞれの観察眼はあるわけで、そこから何を感じ取るか。
なので赤ひげ本人の考えは本人のみぞ知る。
--------解説より(抜粋)
周五郎は小説の果たすべき役割について、次のように述べています。
よき一編の小説には、活きた現実生活よりも、もっとなまなましい現実があり、人間の感情や心理のとらえがたき明暗表裏がとらえられ、絶望や不可能のなかに、希望や可能性がみつけだされる。(「小説の効用」)
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こちら近々観てみたい。
大将が若い!!24時間テレビに出てたね。
山本周五郎続々紹介してゆきます(^▽^)/💚