自分で決めてやったことに後悔や反省など必要ない。
すんでしまった事は取り戻せないのだ。
そんなことに時間を費やすこと自体、無駄なことだ。
ひとつの成功の陰に100の失敗があるともいわれる。
それなら失敗してもともとなのだ。
失敗なんて時間が解決してくれる。一生引きずることなんてありえない。
人生は短いのだ。
後悔するくらいならやらないし、反省するくらいだったら、やる前に熟慮し、失敗したらデータとして頭の中に残す。
後悔からは何も生まれないし、反省からは消極性しか生まれない。
しかし、仕事の場合、そんなことは言ってられない。
周りの目があるからだ。
そんな時は後悔や反省のポーズを取ればいいだけだ。
過去は戻らないし、未来はわからない。
今現在が大切なのだ。
過去や未来のために大切な現在を犠牲にしてはダメだ。
カサブランカのハンフリー・ボガートでいこう。
昨日? そんな昔のことは忘れたよ。明日? そんな先のことはわからない。
私は愛煙家だ。嫌煙の風潮何するものぞの心意気で、禁煙の意志はみじんもない。
今や公共の場での喫煙はほとんど見かけないが、飲み屋に行くと喫煙率は高いものだ。
灰皿には吸殻が並ぶ。
その吸殻を見て思うのは、ほとんどの吸殻が、元の煙草の3分の1から半分くらいの長さがあることだ。
もちろん葉の部分を全て吸い切ることは不可能だが、それにしても実にもったいない。
高い金を出して吸っている煙草の約40%は無駄になっているのだ。
1箱20本とすると、8本は捨てている計算だ。
パイプ煙草にすると全て吸い切ることができるが、パイプやその他の器具、清掃などが必要なのですごく面倒だ。
そんな面倒を紙巻煙草という利便性が解消しているのだろう。
そのための40%の犠牲は、利便性に比べると仕方のないことなのだろうか。
何事も利便性には犠牲が付きまとうものだ。
すべての喫煙者が紙巻をパイプ煙草に変え、浮いた40%分を肺がん研究基金にでも寄付したら、喫煙者に対する世間の風当たりも、少しは和らぐのではないだろうか。
歳をとると、バランスとルーチンの大切さがわかるようになってきた。
バランス、すなわち釣り合いとか均衡、あるいは安定といってもいいだろう。
投打のバランスや栄養のバランス、収入と支出のバランスなどという。
たとえば大谷投手の二刀流は投打のバランスの理想形だ。投手と打者の使う筋肉は自ずと違ってくる。どちらかに偏れば、スペシャリストにはなれても、ゼネラリストにはなれない。
摂取する栄養が偏れば、身体に変調を来たす。
収入以上の支出をすると破産する。
還暦オヤジには若い時以上に、栄養のバランス、収入と支出のバランス、仕事とプライベートのバランスが大事だ。
一方、ラグビーの五郎丸の浣腸ポーズで、一躍注目されたのがルーチンだ。
日課とか日常業務といわれるが、還暦オヤジにとってのルーチンは、日々の通勤や単調な仕事、週末の競馬と飲酒、変わり映えのしない食事などだ。
たとえば、急な出張や飲み会、豪華な食事などがポンと入ると、狂った日常を元に戻すのに苦労する。
もっと言えば、貧困節約生活の日々に、宝くじの大当たりが飛び込んで来たら、人生そのものが狂ってしまうだろう。
還暦オヤジの平穏は、良きにつけ悪しきにつけ、すべてにおいてバランスの取れた、なんの変化もない日常にこそあるのだと思う。
秋のGⅠシリーズは未だに連敗街道驀進中。ここらで一発といきたいものだ。
まず、エリザベス女王杯の出走馬をカテゴリー別に分けてみよう。
人気馬がラキシス、ヌーヴォレコルト、ルージュバック。
3歳馬がクイーンズリング、タッチングスピーチ、ルージュバック。
3連勝の上り馬がウィンリバティ、シュンドルボン。
穴っぽい馬がシャトーブランシュ、マリアライト、スマートレイアー。
10頭は多いなあ。
それぞれ死角を見てみよう。
ラキシスは昨年の優勝馬だが、近走が今一息。
昨年2着のヌーヴォは大外枠がマイナスポイント。
ルージュはオークス以来約半年のブランクだ。
上り馬2頭は1600万からいきなりGⅠへの格上挑戦だ。
穴馬も展開の助けが必要だ。
ここはこれといった死角が見つからない、3歳馬のクイーンとタッチングを1、2着固定で、他馬を3着の三連単フォーメーション16点で勝負してみよう。
1着②クイーンズリング⑧タッチングスピーチ
2着②クイーンズリング⑧タッチングスピーチ
3着⑦シャトーブランシュ⑩ラキシス⑪ウィンリバティ⑫マリアライト⑮ルージュバック⑯スマートレイアー⑰シュンドルボン⑱ヌーヴォレコルト