★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

人生は綱渡り

2023年12月05日 14時24分47秒 | 徒然(つれづれ)
 人生は過去から未来へと続く一本道だ。
 人はその道を歩いている。

 それが道と思えるのは、生きているという催眠術にかかっているようなものだ。
 本当はその道は綱渡りの綱のように細く不安定で、奈落へ落ちる危険性を孕んでいるのだ。

 そう、人生は綱渡りのようなものだ。
 その綱を踏み外した者は、奈落、すなわち死へと落ちていくのだ。
 自分より若くして亡くなった友人知人や著名人は、運悪くその綱を踏み外したのだ。

 今現在、自分が生きているということは、運よくその綱を踏み外さなかったということだろう。
 私の場合は、70年近く綱渡りを続けてきたことになる。
 それは結構凄いことだ。

 しかし、その綱のゴールはもちろん死だ。
 運がいいというのは、人よりも長生きしたというだけのことだ。

 問題は、人より長く生きた、その儲けものの期間をいかに生きるかだろう。
 金や出世や名声など、人それぞれの価値観にもよるだろうが、行きつくところは健康と平穏、延いては幸せというものだろう。
 先のことはわからないので、今が幸せならそれでいい、なんちゃって。
 
 

ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに磨きがかかってきた。しかしそのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがある。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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僕は好きだが、君も好きか?

2023年12月05日 12時03分45秒 | 徒然(つれづれ)
 十人十色といわれるように、人の好みはそれぞれだ。
 中には同好の士というのもあるが、それでさえ枝葉末節の部分では好みは異なるものだ。
 これは経験から言えることだが、自分の趣味嗜好、あるいは、自分がハマっているもの、感動したものに、相手が共感するか否かは、得てして後者のほうが多い。

 自分が気に入った物事は、相手も気に入るだろうと、つい勧めたくなるものだ。
 しかし、それがなかなか伝わらない。
 相手からお勧めを求められた時でさえそうだ。

 それは私の趣味嗜好が変わっているせいもあるかもしれないが、そこはそれ、十人十色で、十中八九、相手には伝わらない。
 せっかく勧めてあげたのに、と結構、その落胆や徒労感は半端ない。

 逆も真なりで、私の場合もそれは否めないので、仕方がないと諦めるしかない。
 それで、私は何かを人に勧めることはほとんどない。
 自分が気に入ればそれでいいのだ。

 世の中には、親切で、いろんなことを良かれと思い勧める人々がいるが、それはそれでありがたいのだが、余計なお世話になりかねない。
 一番いいのは、相手が勧める物事に共感した時に、大いに賛同の意を表すことだろう。

 間違っても、それに反論することはお勧めしない。
 共感できない時は、頷きながら聞き流すことだ。

 良好な人間関係を保つためには、それもたぶん必要なことだろう。


ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに磨きがかかってきた。しかしそのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがある。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
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下手の私の考え

2023年12月05日 10時45分19秒 | 徒然(つれづれ)
 定年退職後は、小説で一発当てて夢の印税生活を、と目論んだものの、未だに小説の構想さえ思い浮かばない。
 在職中は、忙しさの中にも暇を見つけ、短編小説もどきを30冊ほどAmazon Kindle Storeで電子書籍として出版したが、いざ定年退職して暇になると、執筆意欲自体も暇になってしまった。

 下手の考え休むに似たりではないが、下手の考え休みを得たりだ。
 夢の印税生活も文字通り夢で終わりそうな雰囲気だ。

 小説、特に長編小説を書くには、結構、大変な労力を要するものだ。
 著名な小説家でも、途中で案が浮かばず、投げ出したくなるようなことは多々あるようだ。
 素人の私は言わずもがなだ。

 長編小説で思い出すのが、世界一長いと言われるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だ。
 大学の第二外国語でほんの少し齧ったが、当時も今も、その偉大さはわからずじまいだ。
 400字詰原稿用紙換算で、1万枚ほどの長さだというから、百数十枚程度の私の小説など雲泥の差だ。

 素人の私はよく書いて中編小説くらいか。
 それでもなかなか筆は進まないだろう。
 ならば、短編、ショートショート、もしくは詩やエッセイ、究極は俳句か。

 5・7・5の俳句なら簡単にひねり出せそうだが、それが文学として認められることはまずない。
 俳聖といわれる松尾芭蕉でも、1句だけではその歴史的な地位は確立できなかっただろう。
 1000句ほどひねり出して、やっと俳諧の頂点に立てたのだ。

 しかし、俳諧の頂点とは、所詮、井の中の蛙、文学界という大海ではその名も霞む。
 エッセイやショートショートもその類いだろう。
 短編小説でやっと文学界の末席を汚す程度だ。

 ならば、ならば、ノーベル文学賞受賞のボブ・ディランに倣って、歌詞で勝負はどうだろう。
 しかし、これも俳句と同じで、数をこなす必要がある。

 音楽という要素も必要だ。
 その要素が強すぎると文学者ではなく、ミュージシャンになってしまう。
 それも二流、三流以下だろう。

 しかし、小説よりハードルは低いと思われるので、ギター片手に作詞に舵を切ろうかなあ。
 

ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに磨きがかかってきた。しかしそのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがある。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
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