「富士山は見るもの、登るものじゃない」と悟ったのは、初めて富士山に登った時です。
それは38年前、家族旅行で山梨に行き、富士山の吉田ルートの五合目に車で行ったのです。
ただのドライブのはずだったのに富士山に登ることになり、ほとんど準備をせずに登ったのです。
すぐに父が脱落し、兄と妹はぐんぐん登っていきます。
母と私はゆっくり登っていきました。
子どもだったのでエネルギーが切れ、高山病にかかりかけた妹は兄に置き去りにされ、母と私が回収しました。
兄が頂上に着き下山して、家族がめぐり逢い、合流して下山しました。
こうして、兄は妹を置き去りにした男として、兄妹で飲み会をするたびに言われることになったのでした。
しかし、私が勝手にしてもよかったとしても、絶対頂上ににはたどり着けないとわかりました。
それから、遠くながめる富士山でしたが、6年前、機会があり、登頂することができました。
その時のブログがこちらです。
6年が経ち、遊民生活を送る私にふたたび富士登山のオファーがありました。
前回の経験もあり、なんとかなるでしょうと応じたのは4月のこと。7月なんて遠い未来でした。
で、過ぎてしまえばあっという間で7月14日が来てしまいました。
午前6時前に駅で待ち合わせして、つくばエクスプレスから大江戸線に乗り換えて都庁前で降りました。
都庁大型バス駐車場からツアーバスが出発します。
富士宮ルートの五合目のレストハウスが使えなくなったためか、帰りに寄る温泉施設にバスが止まり、昼食を食べました。
ここで余計な荷物をコインロッカーに預けていきます。
バスに同乗した登山ガイドさんが、ツアー参加者の荷物をチェックしてくれました。
「水は1リットルでいい、後は山小屋で買いなさい。富士山ではお金さえあれば楽に登れる」と教えてくれました。
しかし、根が貧乏で貧乏症にかかっている私はザックに、凍らせた2.5リットルのハイドレーションと0.7リットルのシリコン水筒と0.5リットルの「ソルティライチ」を2個入れていたのでした。
凍っている水は捨てられないのでコインロッカーにはシリコン水筒だけを置いていきました。
12時過ぎ、五合目に到着。
6年前、富士宮ルートの五合目にあったレストハウスはすでに取壊しが始まっていて、あたりの様子はまったく変わっていました。
雨の中、カッパを着てバスを出ました。
そのバスに乗って帰る人たちが傘をさして待っていました。
天気が悪いのは悪いことばかりじゃなくて、地面は固まるし、ほこりは立たないし、涼しいし、登山するにはいいことばかりです。
今回用意したトレッツキングポールも具合がよくて、快調にゆっくり登れました。
雲の切れ間にたまにふもとの景色が見えるくらいで、見晴らしはよくありません。
午後7時前に九合目の山小屋に到着しました。
泊まるところはツインルームと聞いていましたが、3人部屋を1対2にロールカーテンで仕切ってあって、2人分のふとんと寝袋が置いてあるところが指定された寝床でした。
1人分のふとんの大きさはおよそ60cm×180cmです。このふとんをぎりぎりに敷いて、端は折れています。
カレーライスをゆっくり食べ、お茶をおかわりしました。
ふとんに戻り「竹鶴12年」を取り出します。
ザックに入れておいたプラカップは割れていたので、直接口をつけてラッパ飲みします。
夕食に缶ビールを飲まなかったのはおいしくウイスキーを飲みたいから。
ごくっ、んっ、ちょっと古臭か?ミニボトルだから劣化が早いのか?
ごくっ、今日は半分飲んで、後は頂上から帰ってから飲もうかな?高山病もこわいし…。
とボトルを下に置いたはずなのに…。
また手に取って、ごくっ、あー飲んじゃった。
ビンは空っぽ。
で、味はどうだったの?
ストレートでがぶ飲みできるくらい飲みやすかったとは言えるけど、味はよくわかりません。バカ舌だしね。
これは下界に降りたら、レギュラーボトル買って、ゆっくり飲もうとは思ったものの、ヤフオクでバカ高くて無理です。
ノンビンテージの竹鶴はあるので、それでいいや。
ウイスキーを飲んだら、消灯時間の8時になりました。
持参のヘッドライトをつけて、歯みがきシートで歯を磨きました。
ザックに広げた荷物を詰めてフックにかけて、服を着たまま、くつ下を履いたまま、寝袋に入りました。
しばらくして、トイレにいってスッキリしたら、眠れました。
明日は午前2時出発。1時30分には起きなくてはいけません(つづく)。
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動画は御来光の時しか撮れませんでした。