私と同じ立場にあっても、私ではない人はさみしいと思わないかもしれない。
感じ方は人それぞれに違うのだから。
あなたがさみしいと感じたら、それがあなたにとっての真実。私は信じる。
私も辛いことを辛いとずっと言えなかった。
親に心配はかけたくないから、精一杯のから元気。何かあった?ときかれたら、残業疲れを装う。
親の目をごまかしきれていないかもしれないが、今も打ち明けてはいない。
友人との楽しいひとときを自分の抱える問題で暗くしたくなかったから、
このほころび茶話んを読んで、会えない時の私の状況を初めて知った友人は多い。
もし、あなたの子供があなたにかなしみを訴えてきたら、
それは子供にとってかなり勇気のいることで、もう悲鳴に近い心の叫び。
軽んじてはいけない。真実の重みを受け止めてあげてほしいと願う。
また子供として渦中にいる者としては、
傷ついているのは私だけ!誰もわかってくれない!と1を10だと思い込み、
いつの間にか自分自身も誰かを傷つけていることを気づかなければならない。
生きていく中でできれば誰も傷つけたくはないと思っていても、それでも傷つけてしまうものなのだから。
あたるのはよくない。と自分に言いきかせる私。いいきかせても繰り返してしまうもので、
悟れぬ私が諭す恥ずかしさをどうかお許しいただきたい。
当事者にとっては何事もなく忘れてしまうことも、受けた側はそんな簡単に消える傷跡ではない。
私もふとした瞬間蘇るあの頃の思いに喉に涙の味を熱く感じる。今でもリアルに。
安全な場所にいる為に先を争って先入観をうえつけていく人もいるだろう。
噂を作り上げる人もいるだろう。
あなたを真似てあなたのアイデンティティを奪う人もいるだろう。
比較してしまうことを確信した優しさを見せつける人もいるだろう。
先攻の不利、先を譲った後、道徳的な香りをちらつかせ真実を裏返す人もいるだろう。
(決して願っていうのではないが)悪質な嫌がらせは教室の外、社会にもやはり存在する。
なぜなら、境界線をひくことで団結力が高まるのだから。
仲良きことは美しきことかなと密接に結びついているから…やっかいだ。
じゃあ、どうすればいいの?
強くなっていかなければならないと思う。感じ方を変える。
じゃあ、どうすればいいの?
優しくなければならないと思う。器を大きくする。
どっちも?じゃあ、どうすればいいの…幸せになればいいの! という結論に達した私。
相手の不幸を願うのではなく、自身の幸せをパワーにする。
自分の中に抵抗力がうまれ、痛くも痒くもなくなれば、相手の心に無関心をうむ。
第一に幸せに、本気で、取り組んでいる間にまわりが気にならなくなるし。
そんな簡単に片づけないでよっていわれるかな…簡単じゃないよ。
その為には、自分が、探さなければならないし、自分が、感じなければならないんだから。 つづく。