とびひからアトピーの思い出(前話参照)をたどりながら、
私は息子にあやまらなければならないことがあることに気づく。
赤くはれあがった息子の顔を見て、
いつかツルツルの肌色になってからと先延ばしにし、いつかいつかと待っている間に
結局残せなかった成長記録写真。
世間より圧倒的に少ないのではないかと思われる息子の写真。
大きくなった時、きっとK、かなしむよなぁ・・・とりかえしがつかない過ち。
夫婦共に自分が撮られるのが嫌で、思い出を残す習慣があまりない。
とっさのシャッターチャンスに弱い。
写真は目的地に着いてから撮るものかと思い込んでいた。
嬉しそうに笑いながら走る息子をうっとり見ていると、
横から弟が「今のシャッターチャンスやで」と教えてくれた。
そうか、着く前から(記録は)始まっているのかと今更気づく始末である。
カメラを構え、どう撮ろうかと悩んでいるうちに、息子が走り終えてしまった・・・私には無理だ。
弟にカメラを託すと、これでもかというほど写真を撮っている。
撮りすぎじゃない?ときくと、これいつもより少ないと返される。
その日の夜、撮りすぎじゃないかと思われた写真を見返すと、中に奇跡の一枚が。
ずっと残したかった息子の笑顔。
まずは撮らなきゃだめなのかと思うが、
息子が笑うといつも見とれてしまって(親バカ)カメラを構えることを忘れてしまうのだ。
相変わらず、写真が増えない。ごめんねK。
テレビを見ていると、クモが巣を作る様子がうつしだされていた。
作った巣にてんとう虫がひっかかる。クモが糸を巻きつけ、ついに食べるその瞬間手前で映像終了。
息子「クモ、てんとう虫さん食べたらあかんなぁ。かわいそうやなぁ」
私「でも、Kが肉や魚を食べるように、クモさんも食べないと生きていけないの」
息子「てんとう虫さんは食べたらあかん」
私「じゃあ、クモさんは何を食べるの?」
息子「肉や魚」(←ここ、私の心のシャッターチャンス!)
自分の殺生に気づいていない幼い息子よ。
私は写真では残すのは苦手だから・・・文字にて記録。
ママはウルトラマンの歌を
「帰ってきた、じょ。帰ってきた、じょ~。ウルトラマ~ン」と歌うKが大好きです。
息子がとびひに。
年がら年じゅう何かと掻いているので、いつものことと思ってしまったのが、
伝染性膿痂疹(とびひ)発見の遅れ。
その名の通り、あっと言う間にひろがって、現在鎮火活動中。
その症状を前に、アトピーが一番ひどかった頃のことを思い出す。
行きつけの皮膚科に行くと、いつもだいたい3時間待ち。
月曜は4時間。憂鬱な時。
息子がまだ赤ちゃんだったころ。
アトピーにいい病院があるときけば、電車を乗り継ぎ、息子と共に向かった。
たいがいどこでも待たされた。
今度こそツルツルの赤ちゃん肌に。赤い斑点模様の肌を肌色に。高まる期待。
グズる息子をあやし、ようやく迎えた診察。
先生から開口一番「どうしてこんなになるまで、ほっておいたんですか!」とよく叱られた。
ほっておいたわけではないのだが・・・
息子の前で怒られ、この子がかわいそうではないのかとステロイド治療に対する有効性を説かれた。
ヘトヘトに疲れ、病院に行くのが億劫になった。
漢方でいい病院があると教えてもらう。もちろん遠方。
通院の距離ではなく、そこに通うということは母乳をあきらめねばならず、
考えた末、行かないを選択。
どの病院に通い、どんな治療を選ぶか。親である私に全権限があった。
私のこだわりの為に、息子には随分遠回りの治療をさせたのではないかと思う。
あの時、さっさとステロイドを塗っていたら・・・? 母乳をやめていたら・・・?
息子はもっとぐっすり眠ることができたのだろうか・・・。
もう待つのも、怒られるのも嫌。
こんなひどい状態の息子を連れて、外出できない。
受診放棄にひきこもりまで重なった頃、
見かねた両親が私の代わりに早朝から診察券を入れ、私の代わりに順番を待ってくれたのが今の病院。
塗り薬が息子にあい、調合薬として何が入っているのか一見してわからないのが私にあった。
皮膚科、小児科、アレルギー科・・・色々な先生がいて、色々な治療法を体験し、
ようやく辿り着いた行きつけの病院。
薬を塗る時、手が震えるほどだったとびひのピークを乗り越えたのか
赤くじゅくじゅくだった楕円形のひとつひとつが乾き、今はクレーターのように薄く跡を残しているだけ。
肌色が多くなってきたことが、嬉しい。