日本中が 自粛自粛の緊急事態宣言から ちょっと明るい光が見えてきたようで
やっと39県が緊急事態を解除される方向に。よかった よかった。
それにしても休業要請をうけてるのに営業するパチンコ店、そこに行く人、そこまで
打ちたいものなのか?もう依存症なんだろうね、三密の典型なのに。これからは大手
を振って行けると喜んでるんでしょうね。
ところが、だ。。。我が家は緊急事態だ
先週の木曜日、もう一週間経っていたんだと今思うのだけど、夕方おばあちゃんが
庭で転倒。事をはしょるが 救急車で搬送する騒ぎとなりました。
ちょうど夕方だったので お父さんが帰ってくるまでおばあちゃんは転んだままで
待つと言いながらも「痛い」というので おとうさんに電話したらかかりつけ医の
先生に聞いてみた方がいいという。そりゃそうだな、私が見ても 内科的じゃないけ
ど、こんな時のかかりつけ医・・おまけにこの日の午前中はお薬を貰いに行っている
電話したらあいにく先生は 新宮市に出かけており 救急車で病院でレントゲンを
撮ってもらう方がいいと受付の方が言うので おばあちゃんも納得し、救急車を
呼んだ。来るまでに 保険証やらお薬手帳や飲んでいる薬をひとまとめにし
たぶん きょうは帰宅できないだろうから着替えやパジャマをバッグに詰め込んだ
国道を走ってくるから サイレンが聞こえてきたら わかるところに出てきてくださ
いと言われ、おぉ 救急隊がきてこげが吠えてもいけないから 鎖につなぎ、
私もいつ戻ってこれるかわからないから こげのごはんと水を用意し母屋を
施錠し、離れも施錠。こげも寂しいだろうけど 真冬じゃないし庭で寝ているだろう
かすかにサイレンが聞こえてきたので 道路で待つ。前に おじいちゃんが倒れた
ときも ここに立って救急車を待ったなぁ‥と思いながら デカいほうの車で
来たら この道を入っていくのも出ていくのにも五分くらいかかった記憶がある。
車体を擦ったりしたら自腹でべんしょうなのか?と思ってしまう。救急車のあとについ
ておとうさんも帰ってきた。救急隊の方は 落ち着いて転倒の様子を聞き、
おばあちゃんに動かすことができるか色々話しかけている。川向こうには
夕方の救急車にギャラリーが出ていた。全くさっきまで元気に 庭の鉢植えに
水をやっていたのに ホースと綱引きしたって勝てるわけないじゃん・・・
私が救急車に乗り込んでいこうかと思ったけど どっちでもいいというから
おとうさんの車に乗った。おじいちゃんの時は 酔ってしまったから。
運ばれた串本病院では 整形外科の先生が不在だったので 院長先生が診て
くれた。レントゲンを見て 左の大腿骨を骨折しています。整形の先生が来てから
診察をしてから、その後手術になりますが 血液サラサラの薬をおばあちゃんは
服用しているため それを抜いてからになると言われました。持ってきたパジャマに
着替えさせてもらい 入院することになった。
入院といっても 今は非常事態宣言を出されている時なのだ。特別なことがない
限り、身内でも病室には入れないことになっている。頭でわかっていたけど
手術前とかまでは入れてもらえると思い、金曜日に同意書とか書類を持って行き
エレベータ前の関所で その旨を伝えたら 通された。土曜日は こげの診察日
だったので 田辺に行ってから午後から行こうかなと思ったけど 日曜日でいいか
と思い、日曜日に行くとダメです!と言われた。火曜日に手術になっていたから
「火曜日の手術の日もダメなんですか?」と言うと「その日は・・たぶん大丈夫でしょ
う」と言われた。だから 手術の日に会って、その翌日 様子を見に行って 丁度
担当医の先生が説明するというので 入れてもらった。以後、病院には行けず。
まぁ なんかあったら連絡がくるけど 急変して息絶えたら まるでコロナで
亡くなった人のように 誰にも会えず無言の帰宅になるやん。。。と思ったのだが。
なので水曜日に会ったきり会っていない。手術はうまいこといったので あとは
リハビリでおばあちゃんにがんばってもらうしかないのだ。術後は 全身麻酔が
覚めてきたので 痛い痛いと呻いていたけど 痛み止めを点滴で入れてもらった
おかげか 翌日は顔色もよく私は安心したのだ。