翌日はおばあちゃんのかかりつけ医に行く日で 待合室に行くと先日のTさんの義妹さ
んが来ていて、この方も黒の柴犬を飼っていたころ散歩でこげと遭遇していました。
二年ほど前に はなちゃんが亡くなってまだ立ち直れない頃に 旦那さんがお年寄り
が入院するためもう飼えないという相談を受け、引き取ってきた白の犬を飼っている
ということはTさんから聞いていました。
その頃は こげも遠出するほど散歩もできなくなっていたので会うこともなかったの
ですが、Tさんからこげのことは聞いていたので「こげちゃんはどう?」と話しかけら
れ「うん、5日に、あかんかってん」と言ったら「え~そうなん。もう何年?19・・
こげちゃん長生きしてがんばったんやね」と慰めてくれました。はなちゃんは
可愛がってくれる孫さんが帰省するまで頑張って、帰省した翌日に息を引き取ったそ
うです。しかし、その孫さんは犬アレルギーで 触ると痒くなるので 直接撫でたり
抱っこしたりとかはできず、生活空間も間仕切りでしきっていたそうで、触りたいの
触れない、触ってほしいのにもらえない・・そんな状況だったそうです。だから
犬は最期には 待つよ、会いたい人が来てくれてから死ぬよ・・ということを言って
くれたのですが・・・。4日の夜、お風呂を出た私は一度離れに戻って顔のお手入れを
したり 髪の毛を乾かしたりしてまた母屋に戻って寝るのですが、この時も 夕食時
にこげが噛んだ指の傷を手当てもあるし・・と離れに戻ったすぐに 電話が鳴って
すぐ切れました。ワン切りです。まだ 母屋に泊まり込んでいない頃、おばあちゃん
が一人でこげを動かせないときに ワン切りしたら 来てくれ・・というルールだっ
たので、いまさっき こげは寝ていたのに、なんかあったのか?と母屋に行くと
「お前が出て行ってからすぐに、こげが両足を走るときのように動かしたと思ったら
しっぽを立てて、振ったんや」とおばあちゃんが言います。でも こげはさっきと
同じように横たわったまま目を開けています。「こげ、なんかようか?」聞こえて
いないように寝ています。もしかしたら これが何かの合図だったのかもしれません
私のいないときに そんな重要な合図をしてくれてもなぁ。でもおばあちゃんへの
挨拶だったのかもしれません。おばあちゃんはよく「ばっしゃん、ばっしゃん」と
こげが鳴くというのです。どう聞いても私には「わんわん」とか「ひゃんひゃん」と
しか聞き取れないのだけど。それも 私が朝方こげに3時半とか4時に起こされて
寝返りを打たせたり、水を飲ませたりしてから離れに朝食を作りに行って、母屋に
戻る前に6時ごろ「ばっしゃん、ばっしゃん」と鳴いて起こすと言うのです。おばあち
んは 高齢だから眠りも浅く 夜中に何度も起きるため「なんなぁこげ、もちょっと
寝かしてくれんか」と隣の台所で寝ているこげに声を掛けると こげは静かに寝てい
る、そしたら こっちが目がさえて眠れなくなる・・というようなことを何度か話す
ことがありました。もしかしたら こんなに身軽に動けるようになったから もう行
くからね だったのかもしれません。川向こうの ミニチュアダックスを飼っていた
Mさんも「私が仕事から帰ってくるまで待っていたのか、帰って声をかけてからすぐ
やってん」と話してくれました。こげは 黙って行ってしまったのかぁ・・・
おばあちゃんが診察室に呼ばれ、一緒に入って 採血してくださいと言われて採血室
に行くとそこの看護師さんが「ほいで、こげちゃんは元気?」と聞いてきます。
この一年 ここに来るとこげのことを聞いてくるので ここでこげのことを話したこ
とはないのに、と思ったら どうやら義母が話したようで 同じかかりつけ医であり
そういうことか。。と思ったのでした。「5日の日に息を引き取ったんです」と
言うと「ほんまになぁ、どんな時でも散歩していたなぁ」と言うのです。彼女は
主治医の往診で車の中から散歩中の私たちを見ていたのです「そうやて、雨の日も
雷の日でも散歩に行きたがったからね。でもお正月に子供達も帰ったし、会えて
良かった」と言ったら「うちも だんなが入院したときに悪くなってきて、でも
だんなが退院してきて、それを待っていたかのようにやったからね。子供さんたちを
待っていたんやわ」と言います。え~、そこにも私は登場してないやん・・・こげは
私を特別扱いしてくれへんのか?私には ウンチ処理のときのパタパタしっぽをふ
る、というか床やシーツに叩くように音をたてていた(笑)
かかりつけ医から帰ってきてしばらくして、電話が鳴りました。出ると、こげを
可愛がってくれたFさんの奥さんからです。実はこのお宅にも知らせなければならない
と思っていたのですが もしや誰かに聞いたのかもしれません。「凹さん、あのね年
賀状ありがとう。お父さんがね今年の年賀状にこげちゃんの写真が付いてないけど
悪いんかなぁって気にしていて」と。
こげがうちに来てから毎年年賀状にはこげの写真をつけて、私がその年の抱負や前年
の出来事を年賀状らしからぬ長文で、新年のあいさつなど終わりに今年もよろしく、
という感じで製作したのですが、さすがに昨年末は こげの容体が芳しくないし
私自身 長文を思いつく余裕もなく ありきたりの年賀状を28日に出したという状況
で「Fさん、こげが5日に息を引き取りました。おとうさんにも奥さんにも可愛がって
もらってありがとう」「え~、こげちゃんが、死んだの?可哀そうに・・・でも
あの時 こげちゃんと最後に会えてよかった」涙声で言います。あの時とは
こげが近くのTさん宅までの往復を歩きかねる・・というときに、Tさんのところで
Fさんがウォーキングの帰りに会ったのです、Fさんも 歩行の力が弱ってきたようで
以前のように歩けなくなったということで 「ここでこげちゃんに会えたのが嬉しい
わぁ」とうちまでの道を こげもFさんもゆっくりゆっくり歩いたのです。こげが
若い時にはFさんもいっしょに散歩して 飼っている鳥の頭がハゲてきて・・家族で
「はーちゃん」と呼んでいるというので「こげちゃん はげちゃんやね」というと奥
さんにウケられて(笑)
こんなにこげを愛してくれてる人がいたのがよかったね。寂しいけど この人たちが
どこかで こげのことを思い出して話のネタになってくれたら いいよね。
もしかして、おばあちゃんの言う通りだったかも
>そこの看護師さんが「ほいで、こげちゃんは元気?」と聞いてきます。
こげちゃん 人気者です
>「え~、こげちゃんが、死んだの?可哀そうに・・・でもあの時 こげちゃんと最後に会えてよかった」涙声で言います。
Fさんにも愛されていたんですね
さすが、こげちゃん