にちようび

2010年11月07日 | Weblog
 毎日の生活は平凡です。そういろいろな刺激的なことはあるものではありません。平凡は竹の節と節の間の部分です。平凡でない日や時は節々です。節は硬いです。

 平凡の反対は非凡です。非凡は平凡ではないことを言いますが、同時に優れていることを意味しますので、平凡でない特別な時を言うのには非凡とは言いづらいです。

 言葉は使い方が難しい時があります。ひとつ気になる言葉があります。それは 「 たち 」 という語です。「 あの人たち 」 の 「 たち 」 です。今は動物くらいまでは言っても良いとされているとか。物に対しては使わないと言われますが、物にも言うことが多くなってきました。

 「 たち(等、達) 」 は昔は神仏あるいは高貴な人に対して使っていたようです。今は普通語になっています。



 

 毎日、平凡な日々を過ごしています。今日は物置に寝ていました。ネコトイレと書いてありますが、買ってやったんですけど、わが家は田舎にあるので、外のどこかですますのが気持ちが良いとみえて使われず、しまいには寝床になってしまいました。トイレの大変身でした。

 物置は静かで良いところです。晴れの日は暖かくて寝心地がとても良さそう。


 

 大根がちょうど良い加減におおきくなりました。けっこうまっすぐに伸びて、出荷できるかななどと思えるくらいになりました。

 大根ひとつでも良く出来りゃうれしい。平凡な毎日にちょっとした刺激。ちょっと辛かった。


 

 フランスの、サンソン・フランソワという人の演奏のショパンのピアノ曲集です。たっぷりとショパンの曲が楽しめます。深まりゆく秋の日にはとても良いですね。

 腹が減っている時にはショパンより食パンの方が良いです。トーストにコーヒーなんてのはいいですねー。大好きです。


 

 「 たち 」 が物に対して使われるようになったのは、私の推測ですが、たぶん外国語の影響もあるのではないかと思います。今の人はほとんどが外国語、主に英語、を学生時代に習います。英語は複数形がうるさいです。日本語は複数に関しては重要視していなかったと思います。

 木々と云いますが、鳥々とは言わないです。鳥が一羽以上くいる時には、沢山の鳥とか二三羽の鳥と言います。ですが、鳥たちと言いたくなることがあります。その時には、親しみの加わった意味合いになると思います。

   廃 句

     日曜日 遠くでうなる バイク音
     日曜日 いつもと同じ 生活じゃ
     日曜日 休まず働く 建設場
     日曜日 子供の声が 聞こえない
     日曜日 枯葉一枚 落ちにけり
     日曜日 街はにぎやか 近づかず
     日曜日 ショパンのピアノ 昼下がり