とにかく寒いです。午前中は冷たい北風がありました。外は日差しがありますから、陽だまりの所は暖かいですが、家の中の特に北側の部屋は暗くて空気が冷たいです。
馬鹿馬鹿しい話と思われそうですが、寒ければさむいほど暖かい空気が出るような仕掛けのエアコンがあると良いなと思います。ただし、その際に、エネルギー源は電気など利用せずに、気温から取ることが出来る。なんてことは出来っこないですよね。
つまり、寒さをエネルギーと考える訳です。夏は暑さをエネルギーと考えるのです。暑さの方は、強い太陽光を電気に変え、そして普通のエアコンを使うということです。しかし、冬も太陽光は使えますが弱いので、その方式から離れて、寒さをエネルギーと考えることができるかどうかです。
私は素人なので、それが可能かどうかはさっぱり分かりませんが。
若い頃見たことのある西部劇です。「 Hannie Caulder 」 と言う映画ですが、日本名は 「 女ガンマン 皆殺しのメロディ 」 と言う、無粋なタイトルです。
女性のガンマンなんて珍しいです。まあ、たいした西部劇ではありませんが、思いだすととても懐かしいです。もう一度見たいなと思い始めてから数年が過ぎました。DVDは出ているようですが、かなり高かったようです。
そこでハッと思いつきました。そうだ Youtube には無いだろうか。ありました。但し、言葉はスペイン語です。私はスペイン語は分からない。でもまてよ。たいしたストーリーでは無く、ただの悪人に復習すると言う内容のアクション映画。全部見てみようと、全部見てしまいました。言葉は分からなくても、ずいぶん昔ですが一度見たことがあるので、ストーリーは分かります。大いに楽しめましたし、胸のつかえがスッキリと取れた感じになりました。ネットって、本当に便利ですね。
物置の前で何やら、七輪に鍋を載せてゴトゴトと煮物をしていました。せっかく炭が大量にあるのだからと言われ、先日七輪を買ってきました。元々あったのですが、物置の中に静かに置いておいたのですが、風化してサラサラと組織が崩れてしまいました。この材質は、実に弱い土あるいは岩の塊だったのですね。
そしたら、これ。お汁粉でした。寒い冬にいよいよ突入してしまいました。これから、コトコトと煮物があったかくていいですね。せいぜい、七輪に仕事をしてもらおうと思っています。
炭が大量にあるのは、それこそ今では大昔。私の母が台所をやっていたころに買い置きしておいたものでした。私も炭俵を買ってきた記憶があります。その後、台所も変わって、今ではガスや電気を使い、せいぜい対流式のストーブを朝のうちに使っている時だけ、上に鍋などを載せて多少煮物をするくらいです。
穏やかな日でした。冷たい風が吹かなかったので、自転車に乗っても手や顔がさほどは寒く感じなかったです。
電動アシスト自転車は、時々は充電をしてやらないと電池切れになり、普通の自転車より重く出来ていますから、電池がなくなってしまうと疲れます。
買うときに 「 時々は、電気を全部使い切ってから充電したほうが電池が長持ちします 」 と言われましたので、今日は余計に走って、電気を全部使い切りました。いま、充電中です。
普通の、自転車ですと 「 あそこに長い坂道があるから嫌だなぁ 」 と思うと車に乗ってしまいますが、この自転車ですと坂道は大抵は楽に上れますから、自転車を拒否するようなことはありません。健康にも良いかなと思っています。
琉球アサガオは宿根草です。根が凍ると枯れてしまいます。例年は特に何もしませんが、この軒下も降りかかる雨に濡れて、それが凍ると枯れるかも知れませんから、今年は藁を敷いてみました。
苗は、少し値段が高いです。普通のアサガオの種は安いですが、これはちょっと高いですし、あまり売っている所が無いので、枯らさないようにします。 今年の秋になってから聞いたのですが、なんでも茎を挿してやると増やせるのだとか。挿し芽というのでしょうか。
大雪の頼りか聞こえてきますが、この雪の処理は今のところ、特に効果的な方法が見つからないのが残念です。
科学は、遅れているところもあるし、宇宙の彼方まで飛んでいけるほど進歩している面もあるし、一定してどの分野も進んでいるというわけには行かないようです。宇宙の彼方のことは、多少は疎かにして、とは言いませんが身近の本当に困ることの分野の進歩を強く望みます。
たぶん、雪に熱を加えて溶かし・・・、などのような大昔から誰も考えるような方法では、全くダメとまでは言えないまでも、今の進歩の具合から見てダメでしょうね。
昨日は午前と、日が暮れてからの二度、会議がありました。今日は、午前と午後の二度ありました。二日続けてダブルヘッダーです。
なかなかゆっくりできません。まあ、出かければそれだけ緊張もするでしょうから、気持ちの張りが出ていいかも知れません。とまあ、そう考えるようにしています。
隣の猫なのですが、私のところで猫を飼い始まる前は、毎日日中のほとんどを私の庭で過ごしていました。こちらで猫を飼い始めてからは、互いに仲が悪いわけでもなさそうなのですが、 少しは遠慮しているみたいです。
猫にもそういう気遣いがあるのでしょうかね。猫の気持ちはわかりませんが。
夕暮れ時は、独特の雰囲気になるものです。何でもない風景でも、絵になることがあります。これは絵になるかどうかは分かりませんが。
マンリョウは、センリョウと違って寒さに強いです。マンリョウは実が垂れ下がり、センリョウは実が上向きに付くというので、センリョウをありがたがるのだそうです。あっしには、そういうことは関係ないことでござんすが。
この頃は、野菜の話題がないです。畑はほとんど同じ状態です。毎日の日記では変化が目まぐるしくあるはずもないし。
今日の風景ではありませんが、このような雲を見るとの第三編・「 ラピュータ (空飛ぶ島 )」 を思いだします。
この ラピュータ は、宮崎 駿の 『 天空の城ラピュタ 』 として、ヒントになったその元の話です。ストーリーは、『 ガリバー旅行記 』 のとは全く違っています。
一度、 『 ガリバー旅行記 』 を全編通して読んでみると良いと思います。決して子ども向けの本では無いことが分かります。
会議があり、それが終わったら外は雨になってしました。いつ頃降り出したのか、全然わかりませんでした。ザーザー降りではなく、間欠ワイパーを使うくらいの程度です。
暗くなるのが早いようです。今は冬だと思うのですが、旧暦ですと晩秋に入ると思いますので、家の前の風景を見ていたら一つ歌を思いだしました。
寂しさに宿を立ち出でて眺むれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ 良暹法師
昔の人は、実にうまい歌を作ったものです。もっとも、今とは風景も生活も世の中が全然違いますからね。
一般庶民は、毎日の生活がやっとのことだったのでしょうが、少しでもゆとりのある人は、このような詫び寂びを感じて歌を作ったのだと思いますが。
猫のミーちゃんが、よく水を飲む つくばい の水にも枯れ葉が沢山沈んでてしまいました。
まだまだモミジの木には枯れ葉が落ちずに残っていますので、部分的には掃き掃除をしていますが、全部落ちたらよく掃いてしまおうと思っています。
今年の秋は雨が多かったので、地面にこのようなどちらかと言うとツルツル滑り易いものではなく、ビロードのような苔類が生えていましたが、それが乾燥して昨日まではめくり上がっていました。
今日は雨なので、また苔が喜んでいるのではないかと思います。今朝はやや南風で暖かかったし、今も雨にしては暖かいほうですから、なおさら喜んでいるかなと思います。
寂しさに宿を立ち出でて眺むれば
街道筋は車でいっぱい
心なき身にも哀れは知られけり
宿無し犬の雨に濡れ行く
見わたせばいづこも落葉風も無し
薄暗がりに急ぐピーポー
昨日は、フルート教室から帰る途中、県立図書館に立ち寄った話をしましたが、言うなれば一つのことがひとつだけで終わるのでは無くて、新しい行為を生み出したという話です。
きのうは、たまたま新しい行為が一つだったのですが、それはちょっと大げさな言い方をしますと、末広がりになる可能性があります。 行為のみならず、行為を起こさせる元は 考え ですから、一つのことを行う過程において、他のヒントとなることが数多くあるということになります。
今朝の残月
それは、引き起こされた物事自体が、そこからまたまた新たなことを引き起こすということにもなります。それがどのようになるか。本人は一度に数多くのことはできないし、ひとつ時に複数の場に存在することはできないので、どれかを選択しなければならなくなります。さて、その選択したものに依(因)り、どう運命が分かれていくのか。それは知る由もありませんが、もし知ることができたら、その違いの大きさに驚かされることと思います。
「 あ~、あの時はあれをしておけばよかったのだが 」 という悔いは、そのようなことからも起こるわけです。
朝はたいへん寒くて着替えをするのがたいへんつらくなりました。若い頃は、どんなに寒くても出勤する服に着替えるまでは素足のままでいられたのですが、この頃はそのような緊張感はないので、そういうことは絶対にできなくなりました。
上空を通る飛行機を画面の真ん中にいれて撮るのは、とても難しいです。飛行機は速くてすぐにファインダーの外に出てしまうし、再び出てしまうと、また画面に入れるのに時間が経ってしまい、そのうちに良い角度で取れなくなって仕舞います。また、こちらも上を見ながらですから、体がぐらつくし。
でもまあ、うまく撮れた時にはそれだけ 「 やったー 」 という気持ちになり、感動も大きいものです。
フィルムを使っていたときには大変でした。出来上がりは現像・焼き付けをしてみなければ分かりません。うっかり 「 良いものだけ焼iいてください 」 と言うのを忘れてしまうと、全部焼かれてしまい、かなりの出費となります。あげくの果てに、満足のいく物は一つも無かったなんてこともありました。
少々理屈っぽいことになってしまいました。
午後に出かけて行って、イオン内ウォーキングをしていたら遅くなってしまいました。外歩きほどは歩数をかせげませんが、それでも8,000と数百歩けました。
イオンの中とか、街歩きは田舎をただ歩いているだけではなく、一つメリットがあります。
それは、賑わいの中を歩くと、いなか道をの~~~~んびりと歩いているよりも、たぶん気持ちが高揚したりして、刺激を受けられるように思います。
いつも、のんびりでは気が緩みっぱなしですが、場所を変えれば見て楽しんだり、見ることの一部ですが、見て変化を楽しんだり不思議に思う事があったり、さまざまな刺激に会います。
今日はフルート教室に行って来ましたが、どうしても克服できないところがあって、それを中心に何度もなんども練習しましたが、どうしてもだめです。
年期の入った人に、何か良い方法が無いか聞いてみたのですが、答えはただひたすら練習をするのみなのだそうです。
私が行っている教室は大部屋で、十数人が練習をしていて、順番が来たら先生に教わるというやり方なので、古株の人たちからいろいろなことを聞くことができます。それが大きなメリットです。二時間半の間には雑談をすることもあります。
駐車場のある旧・県庁跡(水戸城三の丸)の大きなケヤキは葉っぱが全部落ちてしまいました。銀杏の葉も落ちました。
この敷地内には、県立図書館もあります。帰りに、子供の頃に小学校の図書館にあって、たいへん面白く読んだ本があるかどうか、たぶん無いだろうと思いながらも探してみました。
館内のパソコンで検索してみると、同じ題名の本が地下倉庫にあるのが分かりました。
確かにこの装丁です。図書館のは、このデザインではありませんでした。 しかし中身は少し読んでみましたが、挿し絵もあって同じだと思いました。今日は借りませんでしたが、あとで一気に読める時に借りて読んでみようと思います。
原題はコナン・ドイルというイギリスの作家で原題は 『 アイヴァンホー』 と 言う名前の騎士の活躍する話です。それを、この 『 覆面の騎士 』 は子供用に書き換えたものです。
少し安心したことがあります。それは忘れっぽいことに関してですが、私だけでは無く10歳以上も若い人もおなじように忘れっぽいそうです。パソコンが立ち上がるまでに、何を調べようとしていたのか忘れてしまうことしばしば。何をするために椅子から立ち上がったのか思い出せない。とまあ、そういうことはよくあるとか。
他人(ひと)もそうなのかと思うと、仲間が多くなったようで、ホッとするものです。ブログを書く時に良い話題があるのに、パソコンが起動したら、もう何を書くつもりだったのかすっかり忘れてしまい、悔しい思いをしたことは数知れずです。
忘却は私にとって大敵です。読んだ本の内容を覚えていられたらとか、映画をきちんとおもいだせたら、なんてことはずいぶん今までに思ったことでした。
しかしまあ、忘れてしまった方が良いこともたくさんありますから、差し引きプラスマイナス・ゼロくらいになるのかなと思います。
いつまでも覚えていると、そのたびにとても嫌な思いをすることは無くもないですからね。
今日は、裏山から飛んで来た木の葉が家の裏にたまってしまっていたので、火が付いたらたいへんですから、それをさらって堆肥にしようとして積みあげているところに運びました。
ついでに、雨樋にたまった木の葉も掃除。大雨がふると滝のように雨樋からこぼれる場合がありますから、その滴が当たり家が濡れたりすると良くありません。
それから、いつの間にかうず高く盛り上がってしまった土を低いほうに持っていったりして、けっこう体を使う仕事ができました。土木作業ですね。
冬はどうしても運動不足になりがちですから、運動をかねて、そういう仕事は進んでやるようにしています。
特に土いじりは運動になります。ただし、やり過ぎるとガックリくるくらいに体にきますので、その辺は程よい具合を考えながらやらなくてはなりません。
連呼だけ している迷惑 選挙カー
お日さまが 傾きゃ背中も 丸くなり 寒くってさむくって
この寒さ 分けられたらなあ 真夏日に
忘却は 忘れることと 言った人 菊田一夫 「君の名は」
真夜中に お出でお出でと 呼ぶトイレ 寒くてつらいなぁ
大雪に見回られている地域の皆さんはお気の毒です。なんたって、いま頃からそんなに大雪が降るとは。
今日は、茨城県の海岸線をずっと北上して 北茨城というところに魚を食べに行ってきました。「 魚を食べに 」 と言うのは出かけるための半分口実です。あと半分は気晴らしです。もっとも、食べることだって気晴らしにもなりますけど。
もう一つ北に行くと福島県です。3年前の大地震の時には、ここの大津港という港は津波のダメージを受けて大変な被害でした。また、ここの町には岡倉天心が日本画の横山大観や、菱田春草などを集めて絵を描いていた所もあります。
市場食堂というのが港の近くにあって、お客さんで混んでいました。私はノドクロの煮物定食です。味付けと煮方がよくて、とても美味しかったです。
隣の建物は魚屋さんが集まった、一種のいわゆる店の魚市場ですが、そこで散策しながら味見をしたりして、多少買い物もしました。
広場ではのみの市をやっていましたが、その一軒。若い人がやっていたので、写真を撮って良いかと聞くと「どうぞ」。と、真ん中に立ってもらってパチリ。
風は冷たかったですが、みんな元気でしたね。
帰り道、同じ市内に「赤い靴」「シャボン玉とんだ」などの詩を書いた野口雨情の生家があります。前回は生家を見たので、今回は博物館をみました。館内は残念ですが、撮影禁止です。
私は、とても可哀想な女の子がモデルになった「赤い靴」が好きです。
赤い靴の話は、異説があるらしいですがそれはともかく、北海道の留寿都(るすつ)という所に住んでいた貧しい家の女の子がアメリカ人夫妻にもらわれて、アメリカに行ったという話を野口雨情が夫妻から聞き、それを詩にしたのですが、実際は女の子は病気になり、日本で寂しく亡くなってしまったらしいということです。雨情はそれを知らなかったと見えて、「今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう」と謳っているそうです。
寝返りをしたときに、あいにく布団の隙間が出来てしまうと、スースーと寒くて目が覚めてしまうことがあります。
私は比較的寝相が良い方だと思うのですが、それでも寝ていて全然動かないということはないです。
寝相については自分では分からないだろうと言われそうですが、自分で寝返りが良い方というのは、あまり布団が動かないようですし、寝始めた頃と夜中に目を覚ましたときに大体は同じ姿勢でいることが多いからです。
龍の頭を持つ白鳥が空を飛んでいるような感じの雲が浮いていました。雲はいろいろな形をしますから、さまざまな姿を想像したりして面白いです。
ウォーキング中、飽きないで空を眺めながら歩くことができます。
青首大根を太くなる前に引き抜いて干し、これからタクアンを作るつもりでいます。 私はタクアンが大好きで、お昼などタクアンだけでも済ませられるくらい好きです。
しかし、これに対して強力なライバルがあります。それは白菜の漬け物です。これも大好きでどっちがどっちとは決められないですが、私にとっては漬け物の東と西の横綱です。
臘梅が花を開く準備をしているような
しかし、漬け物で注意しなければならないのは塩分の摂取です。お医者さんの講話を聞いたことがありますが、「 あと一切れ 」 を我慢しなさいと言っていました。 確かに。
選挙カー うるさいだけの くりかえし
夕暮れや 寂しいのみか ただ寒し
夕食を 食べたしコタツを 出たくなし
朝は寒くてつらいです。誰に聞いても寒いと言っていますが、寒さが来るのが早いという話ですね。朝、起きて着替えるのがちょっとつらい。
選挙の車が動きはじめました。茨城県は県会議員の選挙もありますから、馴染みのない名前もけっこうありますから、「あれ?どっちがどっちの候補なんだっけ?」 と、ちょっとややこしいことになりますね。
小松菜
朝の天気予報の女性は、野外からの報告ですが、暑い時もつらいでしょうが、これからはさぞやつらいことでしょうね。同情。
通勤で、せっせと集団の中で職場に急ぐ場合と、じっと予報の時間まで待機しているのは、寒さの感じ方が全然違うと思います。大変だなと思いながら見ています。何も外に出なくったって良いじゃないですか。
芭蕉の葉っぱが寒さでこんな状態です。だんだんには全部がうす茶色というより薄黄色っぽく枯れてしまいます。しかし、土中あるいは太い幹の芯の部分までは被害を受けないと見えて、春になるとまた緑になります。
幹は本当は幹ではなく、切ったことは無いのですが、ばっさりと切ってみると葉っぱがグルグル巻きになった状態なのだそうです。それなので、幹と思える部分も葉っぱなのだとか。と言うことは、幹は無いということに・・・。
そんなことより、バナナが生ればいいのにと思うのですが、暑さが足りないのか、それとも暑い機関が短いせいなのか、実は生りませんね。
寒さに強いバナナがあれば良いわけですが、誰かそういう品種をつくってくれないかな。バナナが好きなものですから。
猫のミーちゃんは、手術をした跡を舐めてしまったりできないように保護するために、手ぬぐいを切ってチャンチャンコにしたものを着せていましたが、とうとうそれがダメになったので、脱がせたとたんにこんなにおてんばに戻りました。さぞや嬉しいことと思います。
今までは、思い切り動けないので、静かにしていましたが、それが何とも可哀想な感じでした。見ているのがちょっとつらかったです。
午後になると、また雨がふりだしました。雨なら雨でしかたのないことですが、ただし、きょうはとても寒い日になってしまいました。師走ですから、しかたがありませんが。今日の水戸の最高気温は9℃だそうですから、寒いはずです。
それに暗いです。まあ、こう言う日には幸い 「あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ」 と外の仕事はきっぱりと諦めることができますので、見ずに溜めてある録画をみたり本を読んだりと、落ち着いた生活が出来ます。それもまた良しです。
今は春ではなく、もう冬です。漢詩 『 江南の春 』 の 「 多少楼台煙雨中(たしょうのろうだいえんうのうち) 」 ではありませんが、やや煙雨っぽい感じです。
昨晩、ウォーキングの時に撮ったものです。それなりに夕景色になったかなと思っているのですが。
また、これは茨城空港に着陸しようとしている飛行機です。もう車輪をだしているようです。
新千歳空港から来たもののようです。
ミーちゃんは、エコバッグが気に入ったようです。段ボールの箱にはいったり、猫はなかなかひょうきんで面白いですね。
押し入れなど開けると、必ず中にはいりしばらくの間、中を探検してまわりますからね。探求心も旺盛です。
裏山の雑木の紅葉もきれいです。これはコナラです。モミジほどは赤くなりませんが、お日さまがあたると輝くようにとても綺麗な色をみせてくれます。
この木の葉をさらって堆肥にしようと思っているのですが、ある人の話によると、野菜に特に窒素を与えないようにすると、畑は痩せ地になり、その結果、特に白菜などは害虫がつきにくくなるということです。
真偽のほどは分かりませんが、収穫量やおいしさなどには支障を来さないのか。それで良いなら肥料代はかからなくて良いということですよね。
http://hbol.jp/13269
昨日と今日は風がやや強いです。今日の方が幸い弱いです。が、今日はすごく綿毛が飛んでいます。数からして、たぶんこれはセイダカアワダチソウの種だろうと思います。やたらあちこちの放棄地に生えていますから。その数もものすごいです。昔はそういうことは一切無かったですけどね。
綿毛が飛んでいる所を撮ってみたのですが、風景にピントが合ってしまってなかなか撮れませんでした。が、下を見たら舗装の上に点々と付いてきているのが見え始めました。
これが全部発芽して草になってしまったら、とてもたまったものではないです。ですが、発芽するのはほんの一部のようです。やや安心。
掃いても掃いてもまた枯れ葉
今朝は霜柱が立ちました。霜は土の表面の水分が凍るだけなのだそうですが、霜柱は土の中の水分が凍るのだそうです。ですので、霜と霜柱は出来方が違うのだとか、暫く前に気象予報士が言っていました。関西では霜柱は見られないそうです。
バケツに氷もはりました。バケツの氷は写りにくいので、取り出してみたらはっきり写りました。
一歩一歩確実に寒さが増してきているようです。まあ、短期間なら寒いのも良いかなと思うのですが、本音は正月も過ぎたら、もう寒さは嫌だと言いたいです。
しかし、自然に関してはそうは行きません。 春先の寒さから始まる歌さえあります。『 早春賦 』 です。「 春は名のみの風の寒さよ 」 と、まだまだ寒さの名残がしつこいことを言っているわけです。まだ始まったばかり。春は遠いですね。 「 冬来たりなば春遠からじ 」 なんてのは一言葉のあやです。レトリックです。あゝ言えばこう言うというやり方ですね。
さあ、皆さん長い冬の始まり。 覚悟ですゾ。
今日は晴れました。明日も明後日も降りませんように。何せ、今年のこの11月は雨が多すぎました。雨降りは少しの間、休んでいてください。と、空(そら)にお願い。
今朝の日の出ちょっと前です。朝焼けだなぁと思ったのですが、さいわい降りませんでした。
風がやや強く、物干し竿が風で浮き上がったのでしょうか、落とされたようです。洗濯物が船の帆のような役割をしてしまったのでしょう。
ホトケノザは花盛りです。これがバカにできず、これからやたら増えます。稲で言えば分結したように一株が大きくなります。寒さには強いようです。
ホトケノザは春の七草に入っていますが、そのホトケノザはこれではないそうです。長い歴史の中で何時の頃からか元々のホトケノザではなくて、この食べられない 種類のものがホトケノザという名前になってしまったようです。
本来のホトケノザはこの草だそうです。正式には「コオニタビラコ」と呼ばれていますが、ロゼット状に地面に広がる葉の様子を、仏さまの座る「蓮華座」に見立てて、「仏の座」と名付けられたようです。
しかし、 知らない人は春の七草だと思ってピンクの花の咲くホトケノザを食べてしまうかも知れません。危ないですね。この写真は借り物です。
保育園の前に植えてある紅葉です。数十年前に、私が近くの林から抜いてきて植えたものがこれだけ大きくなりました。
「モミジが無いなぁ。欲しいな」と思っても、これだけの大きさの木は、買ったら運び賃も入れて大変な額になります。植えて置いて良かったと思っています。
今日も、つつがなく過ごすことができました。ありがたいです。世の中、いろいろと世間を騒がすことの多い日々。特に大きな感動や喜びが無くても、何ごともなく暮らせれば上々と思います。
若い人は、小さな平和だけに満足していてはいけないとも言えますが、それでもやっぱり嵐の日を過ごすよりはずっと良いはず。毎日の平穏を願ってやみません。
また雨です。今どき、こんなに降るなんてめずらしいです。温暖化現象特有の、豪雨のような降り方ではないだけ救いですが。
琉球アサガオが雨に濡れています。午後になり青からピンクがかってきました。
まだこんなに咲いているんですよ。一度か二度、霜がおりて氷が張ったのですが、 それでもダメにならないで咲き続けています。普通のアサガオは、もう種がとっくに出来て蔓も何も始末されてしまっているのではないかと思うのですが。
このアサガオは、茂り方が普通のアサガオよりずっとすごいです。緑のカーテンにできると思います。種は出来ず、根が残りますが、あまり寒いところでは根が枯れます。
歩き出してから、それも遠くに行ってから降り出すと困ります。歩くスピードは遅いので、家に着く頃はビッショリになる可能性がありますから、このところあまり歩けません。
それなので、極めて安く簡単なウォーキングマシン があるのを思い出し、久しぶりに使いました。しかし、道路をあるいているのとは、わけが違います。すぐに飽きます。ですから、CDウォークマンで大和朝廷成立のころの話の講演を録音したCDを聞きながら歩きました。これなら退屈しません。集中して聞いていると、時間が経つのを忘れるくらいです。
こういう日には、書類の整理をしたり、海外にいる友達に手紙を書いたり、録画を見たり、本を読んだりと、決して退屈などはしないのですが、やっぱり体を動かさないと気になります。
しかし、家の中は体育館では無いので、 なかなか家の中でできる運動についてグッドアイディアが出ません。
まあ、晴れる日が来るのを待ちましょう。明けない夜はない、止まない雨はない、ですからね。