先週の続きです。
“旧村川別荘”の見学に小一時間を費やし、外に出たときは12時少し前でした。次は、志賀直哉邸跡を目指します。
それにしても、この案内看板に「旧村川別荘」の表示が有りません。看板が立てられた時には公開されていなかった?
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「ハケの道」を我孫子駅に向かって自転車のペダルを漕ぎます。この辺りには今でも別荘風の家が見受けられます。
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ハケの道は昔は沼べりの道だったのです。そんな昔の面影を所々で感じることができます。
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ガイドパンフには「博物館等」のマークが表示されている“旅館富舛”です。建物がそれなりの年代物なのでしょう。
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特に白樺派との関わりがあったとかの話も無く、兎に角、建物が“そこそこ古い”と云うだけで、それ以上の意味は無さそうです。
“博物館等”の“等”の方に重点を置いた建物なのです。
こちらのお家も立派です。広い庭に大きな桜の樹が満開でした。
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「志賀直哉邸跡」に到着。村川別荘から700㍍ですから数分の距離。
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チョット見には、小さな町中の公園の雰囲気です。奥の方には公園の“清掃用具小屋風”の建物が見えました。
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石段を登り「公園」の中に入ります。埃と苔にまみれた「案内板」の表面をティッシュで擦ります。
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白樺派と云えば、志賀直哉に武者小路実篤です。二人とも名前は知っているのですが、本は読んだことはありません。
一応、志賀と云えば「暗夜行路」と“云える”だけで、内容はまったく知りません。「暗夜行路」もここで書いたそうです。
大正4年(1915年)から7年半ここに住んでいたそうです。志賀が最初に自分の家を建てのがここだそうです。
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この“清掃用具小屋風”の建物は、何と、復元された“書斎”でした。冬場はかなり寒そうです。
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12時を回りました。今日はお弁当を持参しているのです。書斎脇にお誂え向きのテーブルと腰掛けがあり、早速昼食を摂りました。
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お弁当は大好物の“海苔弁”
ご飯を半分ほど詰めて、その上に“かつお節”を敷き詰め、醤油を適量垂らし、その上にまたご飯を詰め、ご飯の上に醤油を付けた海苔を隙間無く敷き詰めるのです。
おかずは自家製の梅干しが一つ、これだけで充分なのです。今書いていても、唾液が口の中に溢れてくるのです。
この「海苔弁」が“堪らなく美味い”のです。じっくり噛みしめ、ゆっくり味わいます。
鳥の囀り、柔らかな陽射し、心地よい風、すべてがご馳走になります。ゆったりとした“究極のランチタイム”です。
食後は、水戸の“梅羊羹”を四分の一。辛い物も、甘い物も好きなのです。デザートも食べ終わり、ペットボトルのお茶を飲んでいると、同年代の夫婦連れがやって来ました。
彼らもランチタイムのようです。
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一人で広いテーブルを占拠し、幾分気が引ける思いがしたのですが、奥さんが直ぐにベンチに座り、ポリ袋の中からパンを取りだし、旦那に無言で手渡しました。
旦那の方も無言で受け取り、互いに無言のままでランチタイムが開始されたのです。食事中もずっと無言で視線も合わせません。
典型的な中年後期の夫婦です。兎に角、二人で散策に出掛けて来たのです。それなりに仲の良い夫婦だと思います。
二人はパンを食べ終わると、さっさと先に行ってしまいました。昼食の為に立ち寄っただけのようです。
お茶を飲み終わりました。そろそろ、こちらも出発です。
“志賀直哉邸跡”はホントに“跡だけ”でした。しかし、お弁当を食べるにはトテモ良い処です。
それでは、また明日。
“旧村川別荘”の見学に小一時間を費やし、外に出たときは12時少し前でした。次は、志賀直哉邸跡を目指します。
それにしても、この案内看板に「旧村川別荘」の表示が有りません。看板が立てられた時には公開されていなかった?
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「ハケの道」を我孫子駅に向かって自転車のペダルを漕ぎます。この辺りには今でも別荘風の家が見受けられます。
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ハケの道は昔は沼べりの道だったのです。そんな昔の面影を所々で感じることができます。
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ガイドパンフには「博物館等」のマークが表示されている“旅館富舛”です。建物がそれなりの年代物なのでしょう。
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特に白樺派との関わりがあったとかの話も無く、兎に角、建物が“そこそこ古い”と云うだけで、それ以上の意味は無さそうです。
“博物館等”の“等”の方に重点を置いた建物なのです。
こちらのお家も立派です。広い庭に大きな桜の樹が満開でした。
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「志賀直哉邸跡」に到着。村川別荘から700㍍ですから数分の距離。
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チョット見には、小さな町中の公園の雰囲気です。奥の方には公園の“清掃用具小屋風”の建物が見えました。
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石段を登り「公園」の中に入ります。埃と苔にまみれた「案内板」の表面をティッシュで擦ります。
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白樺派と云えば、志賀直哉に武者小路実篤です。二人とも名前は知っているのですが、本は読んだことはありません。
一応、志賀と云えば「暗夜行路」と“云える”だけで、内容はまったく知りません。「暗夜行路」もここで書いたそうです。
大正4年(1915年)から7年半ここに住んでいたそうです。志賀が最初に自分の家を建てのがここだそうです。
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この“清掃用具小屋風”の建物は、何と、復元された“書斎”でした。冬場はかなり寒そうです。
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12時を回りました。今日はお弁当を持参しているのです。書斎脇にお誂え向きのテーブルと腰掛けがあり、早速昼食を摂りました。
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お弁当は大好物の“海苔弁”
ご飯を半分ほど詰めて、その上に“かつお節”を敷き詰め、醤油を適量垂らし、その上にまたご飯を詰め、ご飯の上に醤油を付けた海苔を隙間無く敷き詰めるのです。
おかずは自家製の梅干しが一つ、これだけで充分なのです。今書いていても、唾液が口の中に溢れてくるのです。
この「海苔弁」が“堪らなく美味い”のです。じっくり噛みしめ、ゆっくり味わいます。
鳥の囀り、柔らかな陽射し、心地よい風、すべてがご馳走になります。ゆったりとした“究極のランチタイム”です。
食後は、水戸の“梅羊羹”を四分の一。辛い物も、甘い物も好きなのです。デザートも食べ終わり、ペットボトルのお茶を飲んでいると、同年代の夫婦連れがやって来ました。
彼らもランチタイムのようです。
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一人で広いテーブルを占拠し、幾分気が引ける思いがしたのですが、奥さんが直ぐにベンチに座り、ポリ袋の中からパンを取りだし、旦那に無言で手渡しました。
旦那の方も無言で受け取り、互いに無言のままでランチタイムが開始されたのです。食事中もずっと無言で視線も合わせません。
典型的な中年後期の夫婦です。兎に角、二人で散策に出掛けて来たのです。それなりに仲の良い夫婦だと思います。
二人はパンを食べ終わると、さっさと先に行ってしまいました。昼食の為に立ち寄っただけのようです。
お茶を飲み終わりました。そろそろ、こちらも出発です。
“志賀直哉邸跡”はホントに“跡だけ”でした。しかし、お弁当を食べるにはトテモ良い処です。
それでは、また明日。