昨日の続きです。
嘉納さんの別荘跡を後にして、天神坂を下り我孫子の駅を目指します。ここらで白樺派とはお別れとなります。
“我孫子に白樺派の痕跡を探る”何って事を以前に書きましたが、痕跡、形跡はあまり有りませんでした。
村川堅固さんの別荘を見学した時には、これは見所満載だと思ったのですが、それ以降の見学スポットは、ホントに“跡地”だけで、当時の匂いを感じる“物証”が有りませんでした。
やはり、当時の建物が残っていたりすると、それなりに興味をそそられるのですが、単なる跡地だけでは、それでは、何とも、致し方ないのであります。
まぁ、兎に角。白樺派のことをほとんど知らなかった訳ですから、まぁ、こんなところなのでしょう。
これより、白樺派を離れます。それで、もう一つ、我孫子と云えば思い出す、あの方の登場です。
そうです。あの“山下清さん”です。清さんが働いていたお弁当屋さんの“弥生軒”を探しもとめ、我孫子駅前に向かいました。
桜が満開(4/3金)の手賀沼公園をチョットだけ覗き、
公園正面口から駅前に続く、メインストリート“公園坂通り”を、渋滞を脇目にペダルを漕ぎます。
何故か気になる、そびえ立つマンション。
平日なのにこの渋滞、公園にお花見に行く車でしょうか? それとも、ここは渋滞スポットなの?
駅前に近づき、渋滞も途切れ、歩道も空いた処で一枚パチリ。狭い歩道が片側にしか有りません。自転車を降り押して登りました。
ここに来るまで、身を捩り、自転車を傾け、下ってくる歩行者を躱し、自転車を躱し大変でした。
駅に続く交差点が見えてきました。
駅前広場です。“以前”に何故か、この右手にある中華屋さんで、中華丼を食べたことを思い出しました。
“以前”とは、退職する数年前でしたから、かれこれ10年ほど前のことになります。
その時、客の一人が納豆チャーハンを注文したのを“ハッキリ”覚えています。納豆とチャーハンを、別々に食べるのであれば理解できます。
しかし、この二つが混ざりあった状態は想像したくありません。私の理解を超えた組み合わせです。
一瞬、振り返り、注文した客の方を見てしまいました。サラリーマン風の若い“ふつうの人”に見えましたが、たぶん“変わった人”です。
納豆チャーハンは、作る方も作る方だが、食べる奴も食べる奴です。これはチャーハンに対する“冒涜”だと思いました。
私はカウンター席に座っていたので、納豆チャーハンを調理する“異様な匂い”が漂って来ないか心配でした。結果として、換気扇が吸い取り被害は被りませんでした。
その時の納豆チャーハンの店は今だ健在でした。未だメニューにあるのか心配です。
話がかなり“清さん”から逸れてしまいました。逸れ序でに、納豆チャーハンの話を続けてしまいます。
いま考えると、納豆の“ネバネバ”がどうしても、チャーハンと結びつき難くしていたのです。
が、しかし、ネバネバを発生させないで、かき混ぜる前の納豆を、高温の中華鍋に放り込み、さっと炒めると、サラサラ、パラパラとなり、匂いも飛び、それなりに“イケそう”に思えてきました。
香ばしさと、旨味が凝縮され、チャーハンとして、それなりの一品かも知れません。
家で作る勇気はありませんが、一度、何処かのお店で見つけたら、試して見る価値はありそうです。
それにしても、あれから10余年、世間で納豆チャーハンが話題になったことが有りません。
やっぱり・・・・・・不味い? 一部のふつうでない人達だけの、マニアックな食べ物なのでしょうか?
明日は間違いなく“山下清さん”の登場です。
それでは、また明日。
嘉納さんの別荘跡を後にして、天神坂を下り我孫子の駅を目指します。ここらで白樺派とはお別れとなります。
“我孫子に白樺派の痕跡を探る”何って事を以前に書きましたが、痕跡、形跡はあまり有りませんでした。
村川堅固さんの別荘を見学した時には、これは見所満載だと思ったのですが、それ以降の見学スポットは、ホントに“跡地”だけで、当時の匂いを感じる“物証”が有りませんでした。
やはり、当時の建物が残っていたりすると、それなりに興味をそそられるのですが、単なる跡地だけでは、それでは、何とも、致し方ないのであります。
まぁ、兎に角。白樺派のことをほとんど知らなかった訳ですから、まぁ、こんなところなのでしょう。
これより、白樺派を離れます。それで、もう一つ、我孫子と云えば思い出す、あの方の登場です。
そうです。あの“山下清さん”です。清さんが働いていたお弁当屋さんの“弥生軒”を探しもとめ、我孫子駅前に向かいました。
桜が満開(4/3金)の手賀沼公園をチョットだけ覗き、
公園正面口から駅前に続く、メインストリート“公園坂通り”を、渋滞を脇目にペダルを漕ぎます。
何故か気になる、そびえ立つマンション。
平日なのにこの渋滞、公園にお花見に行く車でしょうか? それとも、ここは渋滞スポットなの?
駅前に近づき、渋滞も途切れ、歩道も空いた処で一枚パチリ。狭い歩道が片側にしか有りません。自転車を降り押して登りました。
ここに来るまで、身を捩り、自転車を傾け、下ってくる歩行者を躱し、自転車を躱し大変でした。
駅に続く交差点が見えてきました。
駅前広場です。“以前”に何故か、この右手にある中華屋さんで、中華丼を食べたことを思い出しました。
“以前”とは、退職する数年前でしたから、かれこれ10年ほど前のことになります。
その時、客の一人が納豆チャーハンを注文したのを“ハッキリ”覚えています。納豆とチャーハンを、別々に食べるのであれば理解できます。
しかし、この二つが混ざりあった状態は想像したくありません。私の理解を超えた組み合わせです。
一瞬、振り返り、注文した客の方を見てしまいました。サラリーマン風の若い“ふつうの人”に見えましたが、たぶん“変わった人”です。
納豆チャーハンは、作る方も作る方だが、食べる奴も食べる奴です。これはチャーハンに対する“冒涜”だと思いました。
私はカウンター席に座っていたので、納豆チャーハンを調理する“異様な匂い”が漂って来ないか心配でした。結果として、換気扇が吸い取り被害は被りませんでした。
その時の納豆チャーハンの店は今だ健在でした。未だメニューにあるのか心配です。
話がかなり“清さん”から逸れてしまいました。逸れ序でに、納豆チャーハンの話を続けてしまいます。
いま考えると、納豆の“ネバネバ”がどうしても、チャーハンと結びつき難くしていたのです。
が、しかし、ネバネバを発生させないで、かき混ぜる前の納豆を、高温の中華鍋に放り込み、さっと炒めると、サラサラ、パラパラとなり、匂いも飛び、それなりに“イケそう”に思えてきました。
香ばしさと、旨味が凝縮され、チャーハンとして、それなりの一品かも知れません。
家で作る勇気はありませんが、一度、何処かのお店で見つけたら、試して見る価値はありそうです。
それにしても、あれから10余年、世間で納豆チャーハンが話題になったことが有りません。
やっぱり・・・・・・不味い? 一部のふつうでない人達だけの、マニアックな食べ物なのでしょうか?
明日は間違いなく“山下清さん”の登場です。
それでは、また明日。