歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

白樺文学館の小林多喜二

2008年05月13日 | 街の風景
昨日の続きです。

「志賀直哉邸跡地公園」の斜め向かいに「白樺文学館」がありました。有料ならば通り過ぎるつもりでした。

入り口付近の様子を窺って見たのですが、有料の様でも有るし、無料の様でもあり、何だかハッキリ判りません。

地方に良くある“単なるふつうの資料館”だろうし、たぶん、写真とか、原稿とか、初版本とか、当時の社会背景とか・・・・・・。

そんな資料を見るよりは、我孫子の町で“白樺派の痕跡”を探す方を選択しました。白樺派の“作品・作者”そのものには興味が薄いのです。

兎に角、白樺派が居た町“我孫子”はどんな町なのか、そこら辺に興味があるのです。



それと、今回ブログを書く為に、この文学館のホームページを見たら、何故か「小林多喜二ライブラリー」があるのです。

白樺派と、“プロレタリア文学”の“代表的作家小林多喜二”、この両者に交流があった事は知りませんでした。志賀直哉と親交があったようです。

考えて見ると、白樺派も、プロレタリア文学も、資産家の「お坊っちゃん」の“正義感”で一つに括る事はできそうです。

多喜二には“単なる正義感”だけでは片づけられない「勇気」と「根性」と「現実を見る眼」があります。

「カボチャ」や「ナス」を描き、“みんなで仲良く楽しくお手手繋いで”の武者小路実篤とは、かなり方向が異なるように思います。

「新しき村」のような「夢想・空想」とは確かに方向が異なります。直ぐに飽きた実篤ですが、「新しき村」は現在でも続いているそうです。

もう一つ、それと何ですが、“小林多喜二ブーム”が起きているそうです。

今日の新聞に新潮文庫が「蟹甲船・党生活者」を4月に7千部刷っても足りず、5万部の増刷をした記事が載っていました。

新潮社以外の複数の出版社から、小説、マンガ本が出されているそうで、20代、30代を中心にブームのようです。

「格差貧困社会」になっている? なりつつある? 今の世の中、現代の蟹工船は到る所に有るのかも知れません。

多喜二も草場の影で、複雑な心境ではないかと思います。特高に拷問を受け獄死して75年後の平成の世に、蟹工船に共感を覚える若者が増えているのです。

それで、この「白樺文学館」は、昨年11月16日から休館していたそうで、再開されたのが、今年の4月1日だったそうです。

私が前を通りかかったのが4月3日で、再開3日目だったのです。何か?タダならぬ因縁が、有りそうな、無さそうな・・・・・・、無いですね、でも、何だか、覗いて見たくなりました。

これまで個人が運営していたものを、土地、建物、資料を我孫子市に寄贈し共同運営になったそうです。

本日は、話が少し逸れてしまつたので、白樺文学館の話だけで終わります。

明日からは、また走り回った「ネタ」でいきたいと思う所存です。

文学館の次は、「杉村楚人冠」の痕跡にふれます。それにしても、“楚人冠”とは「へんてこ」な名前です、いったい何者なのでしょうか?


我孫子に来るまで、まったく知らなかった人です。

この白いマンションの裏手、陽の当たる丘の上に「楚人冠」の痕跡があります。


それでは、また明日。

コメント (1)
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