歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

平井橋はリベット橋?ボルト橋?

2008年06月24日 | 東京の風景
昨日の続きです。

いよいよ?平井橋を渡ります。橋のこちら側は墨田区、あちら側は江戸川区になります。

橋の真ん中が区境となっています。でも、橋の管理は墨田区のようです。


銅製の“橋銘板”が取り付けられているコンクリートブロック。銘板、左下隅の雨だれの跡が、風に吹かれて左から右に斜めに流れ落ちています。

風は、川に沿って上流から下流に吹く確率が高いようです。銘板の右下隅から緑青の流れた跡が見られます。

緑青の流れは垂直に落ちています。銘板の四隅を流れてきた水滴が、右下隅で合流し、流体力学的都合?により、流れは垂直に落下した模様です。



それにしても、長い年月、風雨に晒され、コンクリートブロックのコンクリート成分が溶けだし、小石が露出してきています。

この劣化具合に、世の移ろいを、人の世の儚さを、わびさびの世界を、感じてしまったりして・・・・・・、腹が減ったせい?かも知れません。

小石の露出具合といい。

鉄板のリベット結合と云い。


全体の佇まいと云い。


どう見ても、昭和初期の橋だと、思ったのでした。が、しかし、後で調べたところ、何と、1980年(昭和55年)竣工となっていました。

何と、28年の歳月しか経過していないのです。1980年と云えば、ついこの間のことです。80年代製としては、かなり時代遅れのデザインだと思います。

写真をズームアップして確認したら、鉄板はリベット結合ではなく、ボルトで結合でした。この当時であれば、溶接だと思うのですが、かなり中途半端な橋です。


まぁ、当日は、なかなケッコウな、昭和初期のリベット橋と思いつつ、辺りの景観を眺めつつ、渡りました。

ここからは、江戸川区となり、妙光寺はもうすぐそこです。


軒先に、袋が積まれています。何か中に商品でも入っているのかと思ったなのですが、


よく見ると、川が氾濫した時に使用する“土嚢”のようでした。この辺りも、戦中、そして戦後の高度成長時期まで、地下水の汲み上げによる、地盤沈下が激しかったようです。


あの当時、この辺りも“0メートル地帯”と騒がれたようです。通りすがりの者にとっては“0メートル地帯”は懐かしい響きです、郷愁です。

橋を渡って、二つ目の信号を右に入って直ぐに、妙光寺がある筈です。

信号の角に妙光寺の駐車場がありました。

妙光寺の山門が見えてきました。


この日の使命である、妙光寺に到着です。

これから、本堂に参拝し、境内の観察です。


それでは、また明日。


コメント
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