昨日の続きです。
諏訪神社を後に、大屋根を目指します。
この日、二つ目の使命である“燈明寺”に到着です。事前の予想とは大違いの大きな“お寺さん”です。
先ずは、塀越しに眺めます。大きくて立派な本堂です。
山門には石造りの仁王様です。
お二人供に、筋骨隆々の大男ではなく、小柄で堅太りタイプの金剛力士です。
それではいよいよ、仁王門をくぐり境内に入ります。
直ぐに眼に付いたのはこの座像です。これまでの経験から、この寺に一番貢献した住職の方と推測します。
いろいろな石像が並んでいます。
石像の傍らに2枚の案内板があります。
木製の案内板に“此の茶室は・・・”とあるのですが、辺りをいくら探しても「此の茶室」と思われる建物は見当たらないのです。
伊藤左千夫が設計して、正岡子規も遊びに来たと云う茶室は何処にあるのでしょうか? それにしても、左千夫が茶室の設計もしていたのには驚きです。
後で判ったのですが、この山門越しに見える、左手の建物が「茶室」らしいのです。しかし、茶室の説明板は向かい側に立てられていたのです。
何故か?建物側に無く、それなのに「此の茶室は・・・」と表記されているのです。「此の」とあれば、その背後か近辺を指す言葉です。
茶室と案内板の位置関係から、敢えて云うならば、「彼の茶室・・・」と表記すべきです。ホントは茶室の前に案内板を立てるべきです。
それにしても、この建物、如何にも案内所的、受付的な外観でした。一部改築されたように見受けられます。
こちらは江戸川区教育委員会が立てた案内板です。
【平井聖天(燈見寺)】と表記されています。「平井聖天」がメインのようです。灯明寺は「新義真言宗」とあります。
調べてみたら、真言宗には「古義」と「新義」があり、それぞれが、いろいろな宗派に分かれているのでした。
“古義真言宗”には、醍醐派、泉涌寺派、御室派、山階派、大覚寺派、善通寺派、東寺派があり。
“新義真言宗”には、豊山派、智山派があるそうです。しかし、まぁ、いろいろあるものです。これでは、ホントに、
『お釈迦様でも、あッ、気が付くめェ~』と、思うのです。
本堂です。大きくて、立派で、美しい建物です。
関東大震災後、26代目の住職、“関澄道さん”の時代に建てられたようです。入り口の座像はこの方のようです。
良く見ると、木造の本堂が、鉄筋コンクリートの台座の上に乗っかっています。昭和40年代の地盤沈下が騒がれた頃、改修工事を行ったものと思います。
台座で嵩上げされた結果、建物の高さが増し、その偉容も増したようです。
“高くて、大きい”と、人は見上げることになります。見上げると、敬う気持ちが自然に生まれるようです。
“高くて、大きい”ことは、宗教にとって必要条件のようです。
これから、じっくり、見学させて頂きます。
それでは、また。
諏訪神社を後に、大屋根を目指します。
この日、二つ目の使命である“燈明寺”に到着です。事前の予想とは大違いの大きな“お寺さん”です。
先ずは、塀越しに眺めます。大きくて立派な本堂です。
山門には石造りの仁王様です。
お二人供に、筋骨隆々の大男ではなく、小柄で堅太りタイプの金剛力士です。
それではいよいよ、仁王門をくぐり境内に入ります。
直ぐに眼に付いたのはこの座像です。これまでの経験から、この寺に一番貢献した住職の方と推測します。
いろいろな石像が並んでいます。
石像の傍らに2枚の案内板があります。
木製の案内板に“此の茶室は・・・”とあるのですが、辺りをいくら探しても「此の茶室」と思われる建物は見当たらないのです。
伊藤左千夫が設計して、正岡子規も遊びに来たと云う茶室は何処にあるのでしょうか? それにしても、左千夫が茶室の設計もしていたのには驚きです。
後で判ったのですが、この山門越しに見える、左手の建物が「茶室」らしいのです。しかし、茶室の説明板は向かい側に立てられていたのです。
何故か?建物側に無く、それなのに「此の茶室は・・・」と表記されているのです。「此の」とあれば、その背後か近辺を指す言葉です。
茶室と案内板の位置関係から、敢えて云うならば、「彼の茶室・・・」と表記すべきです。ホントは茶室の前に案内板を立てるべきです。
それにしても、この建物、如何にも案内所的、受付的な外観でした。一部改築されたように見受けられます。
こちらは江戸川区教育委員会が立てた案内板です。
【平井聖天(燈見寺)】と表記されています。「平井聖天」がメインのようです。灯明寺は「新義真言宗」とあります。
調べてみたら、真言宗には「古義」と「新義」があり、それぞれが、いろいろな宗派に分かれているのでした。
“古義真言宗”には、醍醐派、泉涌寺派、御室派、山階派、大覚寺派、善通寺派、東寺派があり。
“新義真言宗”には、豊山派、智山派があるそうです。しかし、まぁ、いろいろあるものです。これでは、ホントに、
『お釈迦様でも、あッ、気が付くめェ~』と、思うのです。
本堂です。大きくて、立派で、美しい建物です。
関東大震災後、26代目の住職、“関澄道さん”の時代に建てられたようです。入り口の座像はこの方のようです。
良く見ると、木造の本堂が、鉄筋コンクリートの台座の上に乗っかっています。昭和40年代の地盤沈下が騒がれた頃、改修工事を行ったものと思います。
台座で嵩上げされた結果、建物の高さが増し、その偉容も増したようです。
“高くて、大きい”と、人は見上げることになります。見上げると、敬う気持ちが自然に生まれるようです。
“高くて、大きい”ことは、宗教にとって必要条件のようです。
これから、じっくり、見学させて頂きます。
それでは、また。