歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

平井聖天燈明寺の茶室は何処に?

2008年06月27日 | お寺・神社
昨日の続きです。

諏訪神社を後に、大屋根を目指します。


この日、二つ目の使命である“燈明寺”に到着です。事前の予想とは大違いの大きな“お寺さん”です。


先ずは、塀越しに眺めます。大きくて立派な本堂です。


山門には石造りの仁王様です。


お二人供に、筋骨隆々の大男ではなく、小柄で堅太りタイプの金剛力士です。



それではいよいよ、仁王門をくぐり境内に入ります。


直ぐに眼に付いたのはこの座像です。これまでの経験から、この寺に一番貢献した住職の方と推測します。


いろいろな石像が並んでいます。


石像の傍らに2枚の案内板があります。


木製の案内板に“此の茶室は・・・”とあるのですが、辺りをいくら探しても「此の茶室」と思われる建物は見当たらないのです。


伊藤左千夫が設計して、正岡子規も遊びに来たと云う茶室は何処にあるのでしょうか? それにしても、左千夫が茶室の設計もしていたのには驚きです。

後で判ったのですが、この山門越しに見える、左手の建物が「茶室」らしいのです。しかし、茶室の説明板は向かい側に立てられていたのです。


何故か?建物側に無く、それなのに「此の茶室は・・・」と表記されているのです。「此の」とあれば、その背後か近辺を指す言葉です。

茶室と案内板の位置関係から、敢えて云うならば、「彼の茶室・・・」と表記すべきです。ホントは茶室の前に案内板を立てるべきです。

それにしても、この建物、如何にも案内所的、受付的な外観でした。一部改築されたように見受けられます。

こちらは江戸川区教育委員会が立てた案内板です。


【平井聖天(燈見寺)】と表記されています。「平井聖天」がメインのようです。灯明寺は「新義真言宗」とあります。

調べてみたら、真言宗には「古義」と「新義」があり、それぞれが、いろいろな宗派に分かれているのでした。

“古義真言宗”には、醍醐派、泉涌寺派、御室派、山階派、大覚寺派、善通寺派、東寺派があり。

“新義真言宗”には、豊山派、智山派があるそうです。しかし、まぁ、いろいろあるものです。これでは、ホントに、

『お釈迦様でも、あッ、気が付くめェ~』と、思うのです。

本堂です。大きくて、立派で、美しい建物です。


関東大震災後、26代目の住職、“関澄道さん”の時代に建てられたようです。入り口の座像はこの方のようです。


良く見ると、木造の本堂が、鉄筋コンクリートの台座の上に乗っかっています。昭和40年代の地盤沈下が騒がれた頃、改修工事を行ったものと思います。

台座で嵩上げされた結果、建物の高さが増し、その偉容も増したようです。

“高くて、大きい”と、人は見上げることになります。見上げると、敬う気持ちが自然に生まれるようです。

“高くて、大きい”ことは、宗教にとって必要条件のようです。

これから、じっくり、見学させて頂きます。

それでは、また。


コメント (1)
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