歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

妙光寺“文六さんの日蓮像は?”

2008年06月25日 | お寺・神社
昨日の続きです。

妙光寺に到着しました。

どんな処にある、どんなお寺か、楽しみだったのですが、こんな処にある、こんなお寺でした。

“こぢんまり”として、手入れの行き届いた、なかなかいいお寺です。周囲の町並みも“こぢんまり”です。



この墓石のような石柱は、いったい何でしょうか?
 

慶長3年の創建ですから、今から410年前です。元禄年間に津波の被害を受けたようです。この辺りは海に近かったと云うか、海岸淵だったかもしれません。


やっぱり、ここも、“0メートル地帯”の影響を受けているのです。昭和40年代は地盤沈下が騒がれた頃です。

平井橋周辺は「海面下8メートル」だったそうです。あれから、地盤沈下はどうなったのでしょうか? 

地下水の汲み上げは規制されたようですから、8メートルで止まっているのでしょうか?

水害防止で持ち上げた本堂です。


庫裏の方は、持ち上げていません。いざと云う時は2階に避難するのでしょう。


階段を登り参拝しました。質素ですが“きちん”として清潔で、気持ちの良い向拝です。


後で判ったのですが、先ほどの「案内板」には、採り上げてありませんでしたが、『武江年表』の中に、この寺に関する記述があったのです。

「武江」は江戸を意味します。あの有名な『江戸名所図会』の著者でもある、“斎藤 月岑”(さいとう げっしん 文化元年1804年~明治11年1878年)が書いた江戸の年表です。

それで、その年表に、

【文化4年・1807年6月20日、中平井村の百姓文六、蜆取りの際に日蓮上人の像を得、平井妙光寺に収める】

と、記されているのです。文六さんの拾った日蓮上人の像は、それからいったい、どうなったのでしょうか? 

武江年表の信憑性が疑わしいのか、それとも、日蓮上人だと称する像が、文六さん以外の誰が見ても、日蓮上人には見えない、怪しい代物だったのか?

寺に当時の記録は残っているのか? いないのか? それとも、秘仏として、極々限られた関係者だけに伝わっているのか?

謎は暫く残しておいた方がよさそうです。寺に電話して聞けば、直ぐ謎は解明されるでしょうが、それでは詰まらないのです。

たぶん、当時の記録も、日蓮上人の像も何も無く、まったく判りませんとの返答が推測されます。


本堂脇の供養塔? まだ新しいです。
 

裏は墓地になっています。


江戸川区登録有形文化財である“田口初右衛門筆子塚”見るのを忘れました。


妙光寺を後に、次のお寺を目指します。


通りに戻り、一つ先の交差点を左折します。


交差点で、左手前方を望むと、何と、何と、驚きです! こんな処に、東大寺大仏殿のような大屋根が見えたのです。


目指すお寺の本堂に間違いありません。


予想外のお寺のようです。楽しみです。


それでは、また明日。


コメント
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