先週の続きです。
それで、「神谷傳兵衛さん」何ですが、出身が現在の愛知県で、昔の「三河」です。
明治13年(1880年)、東京浅草で“にごり酒など”の一杯売りを始めたのです。店の屋号が「みかはや酒店」。
そう何です!“酒屋さん”と云えば、この屋号です。団子屋さんと云えば“伊勢屋さん” 悪徳商人と云えば“越前屋”と決まっているのです。
そして「みかはや酒店」が“神谷バー”につながっていくのです。
明治14年(1881年) 輸入ワインにハチミツや漢方薬を加えて、「蜂印香竄葡萄酒」を発売し、これが大当たりして財を成したのです。
「蜂印香竄葡萄酒」が後の「蜂葡萄酒」になり、「ハチブドー酒」に繋がるのです。
それと、“神谷バー”と云えば、「電気ブラン」が有名ですが、造られた年代はハッキリ分かりませんでした。
「香竄葡萄酒」の後から造られた事は間違い無さそうです、まぁ、兎に角、それほど画期的な発明ではありませんから、「何年何月電気ブラン完成」何て記録は付けていなかったのでしょう。
最初は「電気ブラン」何って名前ではなく、それとなく、何となく店で少量のカクテルとして客に出しつつ、少しずつ配合も変化しつつ、そこそこ評判になったところで、大量生産の瓶詰めとして売り出したのでしょう。
そんな、こんなで、電気ブランの名前も、それとなく、なんとなく、いつの間にか付いて・・・・・・、まぁ、そんなことで、始まりも、配合も、命名も、ハッキリしなかった、と思うのです。
それでも、兎に角、この「シャトーカミヤ」を見学して、神谷傳兵衛、神谷バー、、電気ブラン、シャトーカミヤの繋がりが判り、又、“香竄葡萄酒”の存在も知ることになりました。
それと、未だ、これまで抱いていた疑問に、「合同酒精」との関わり、「キャノンワイン」と云う名前の由来、そんな処が残っています。
ワインの上に「キャノン」が付き、カメラの上にキャノンが付く、そして、互いの距離が近い、ここに何か? 隠された事実が・・・???
常磐線で3つ隣の取手にある、カメラの「キャノン」と同じ名称が気になるのです。まぁ、直接的には関係無いと思うのですが・・・・・・。
合同酒精と云う酒造メーカーが、今でも、“蜂印香竄葡萄酒”“電気ブラン”“ハチブドー酒”の製造販売をしているのです。
なんやかんやと、いろいろあり、未だ、未だ、話は続くのですが、本日は、都合により、中途半端ですが、兎に角、今日は、ここで終わります。
それでは、また明日。
それで、「神谷傳兵衛さん」何ですが、出身が現在の愛知県で、昔の「三河」です。
明治13年(1880年)、東京浅草で“にごり酒など”の一杯売りを始めたのです。店の屋号が「みかはや酒店」。
そう何です!“酒屋さん”と云えば、この屋号です。団子屋さんと云えば“伊勢屋さん” 悪徳商人と云えば“越前屋”と決まっているのです。
そして「みかはや酒店」が“神谷バー”につながっていくのです。
明治14年(1881年) 輸入ワインにハチミツや漢方薬を加えて、「蜂印香竄葡萄酒」を発売し、これが大当たりして財を成したのです。
「蜂印香竄葡萄酒」が後の「蜂葡萄酒」になり、「ハチブドー酒」に繋がるのです。
それと、“神谷バー”と云えば、「電気ブラン」が有名ですが、造られた年代はハッキリ分かりませんでした。
「香竄葡萄酒」の後から造られた事は間違い無さそうです、まぁ、兎に角、それほど画期的な発明ではありませんから、「何年何月電気ブラン完成」何て記録は付けていなかったのでしょう。
最初は「電気ブラン」何って名前ではなく、それとなく、何となく店で少量のカクテルとして客に出しつつ、少しずつ配合も変化しつつ、そこそこ評判になったところで、大量生産の瓶詰めとして売り出したのでしょう。
そんな、こんなで、電気ブランの名前も、それとなく、なんとなく、いつの間にか付いて・・・・・・、まぁ、そんなことで、始まりも、配合も、命名も、ハッキリしなかった、と思うのです。
それでも、兎に角、この「シャトーカミヤ」を見学して、神谷傳兵衛、神谷バー、、電気ブラン、シャトーカミヤの繋がりが判り、又、“香竄葡萄酒”の存在も知ることになりました。
それと、未だ、これまで抱いていた疑問に、「合同酒精」との関わり、「キャノンワイン」と云う名前の由来、そんな処が残っています。
ワインの上に「キャノン」が付き、カメラの上にキャノンが付く、そして、互いの距離が近い、ここに何か? 隠された事実が・・・???
常磐線で3つ隣の取手にある、カメラの「キャノン」と同じ名称が気になるのです。まぁ、直接的には関係無いと思うのですが・・・・・・。
合同酒精と云う酒造メーカーが、今でも、“蜂印香竄葡萄酒”“電気ブラン”“ハチブドー酒”の製造販売をしているのです。
なんやかんやと、いろいろあり、未だ、未だ、話は続くのですが、本日は、都合により、中途半端ですが、兎に角、今日は、ここで終わります。
それでは、また明日。