写真を撮らせてくれた親切なおかあさん。「マトイソウっていうの」と教えてくれました。調べてもマトイソウという花はできません。でも。マトイソウを見せてくれた親切なおかあさん。今日ボクにできることはマトイソウの写真を載せること。
町から灯りが消えいつも以上に星が見えた金曜日。夜が明けると街には競争めいた奪い合いがありましたが、分かち合いを肌で感じることもありました。意思とか想いというのは行動の痕跡でも伝わるし、伝わっちゃうし、そして伝えられるんだなぁと思いました。
亡くなられた方のご冥福。今を生きる被災地の方に昨日よりも良い今日が訪れ続くことを今も祈っています。
町から灯りが消えいつも以上に星が見えた金曜日。夜が明けると街には競争めいた奪い合いがありましたが、分かち合いを肌で感じることもありました。意思とか想いというのは行動の痕跡でも伝わるし、伝わっちゃうし、そして伝えられるんだなぁと思いました。
亡くなられた方のご冥福。今を生きる被災地の方に昨日よりも良い今日が訪れ続くことを今も祈っています。
もう5年経ったのかまだ5年なのか…。
無宗教なのですが何ですが毎日続けてみています。
手をあわせるだけで世界が変わるわけではないのですが願うこと。お祈り。ってそういうものなのかな?って最近そう思えるようになってきました。
はい。同感です。もう5年。まだ5年です。
少しでも明るい明日が訪れるよう願いたいですね。
あれは卒業した年、父について仕事を始めたばかりで、まだ仮免許練習中でした。
ロフトつきのコーポの二階にこもって清掃をしていて、気象庁から震度1の通知がmailで来ました。
何も知らずに何時間か経って、車に乗ったときになんとなくラジオを点けました。ニュース嫌いなのに珍しく。
避難所からの中継を聴いても、何事が起こったのかわからないままで、近くのドラッグストアの駐車場に入って、親子でしばらく不思議な顔をしていました。
直接の影響を受けることは結局、ありませんでしたが、それでもあの日の仕事、あの日走った道、あの日点けたカーラジオの液晶の緑色、すべてはぼくの心のいちばん底に、いつまでもそっと沈んでいることでしょう。
なにもできなくても、ぼくは忘れません。
ごめんなさい、自分のブログにでも書けばいいことですが、つい此処に書いてしまいました。
いつまで推敲しても上手くまとまりそうにありません。
帰宅したときは地区全体が停電していてやはりラジオを聞いていました。
私もあの時みた星空、暗がりでロウソクを囲んでいるアパートの住人、ガソリンを求めて列を作る車などいろいろ覚えています。閉店予定を返上して独自ルートで食べ物を売ってくれたコンビニとか。。浮かんでは沈んだりと人間の心はすっかり忘れてしまうのは苦手なんだと思います。
そういったイメージが他人や自分を責め立てるだけのために残っているのだとしたら、とっても辛くなってしまうと思うんです。
みんな生きていれば辛いことはたくさん出てくるので、さらに自分や他人を追い詰めるようなことはやめて、忘れられないイメージとどう付き合っていけばよいのかを考えてみるのがいいのかなぁと5年間すごしてきました。
あんまり関連は見えないかもしれませんが、震災以降そのことを考えてこのブログを続けています。
自分も含めて読んだり見た人が、ちょっとだけでもプッとかホッとしてもらえたら。。そんなことを目標としています。
なので、Ryo.さんからこういったコメントを頂いてしまって。。ちょっと悪いことしたかったかなぁ。。と思いながらも。。でも。。口を開いてくれたこと。。
うれしかったです。ありがとうございます。
うーん。私もうまくまとまっていませんね。。っていつもまとまっていませんが(笑)