The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
地球温暖化に関する雑感
この冬は異様に寒い、マスコミが言うように寒い。これでも 温暖化していると言えるのだろうか。気象観測結果はどうなっているのだろうか。
いや、“(グローバルに見て)局所的に寒冷化しているだけで、この日本の寒さは (グローバルな)温暖化の結果である”という輩が居るのだろうか。それは、戦前 日本軍は負けているにもかかわらず、“転進している”と強弁して、勝利を装っているような図を思い起こさせる。こういう時、“素朴な感性を大切にし、それを判断基準にするべきである”とされて来た。だから自分の感性を大事にするべきであるし、この寒さの中では“「地球温暖化はウソ」と思うべし”というのが素直な反応であると思われる。
ところが、先日のテレビで、“北極のバレンツ海の温暖化した結果、そこで発生する低気圧の挙動が ユーラシア大陸中央に存在する寒気団である高気圧が強力になり、ヨーロッパや日本に寒気を送り込んでいる”というような意味の学説の解説をしていた。これは最近の海洋研究開発機構の猪上淳主任研究員の研究成果だとされている。つまり、今の寒さは地球温暖化の結果の局地的現象であるということである。
やっぱり、こんな説を唱える“科学者”が居るのだと思っていたら、同じ日、別のテレビ局では、“地球は氷河期に入った。”と言う科学者の主張を取り上げていた。一体、どちらが本当なのだろうか。この学者は、広島大学の長沼毅准教授であり、その説明では、これまで地球史上 氷河期は10万年毎に繰り返しやって来ており、今はその氷河期の間の温暖な間氷期にあたり、その約1万年の間氷期の末期であるとしていた。こちらで紹介されたのは、気候学の専門家ではなくて、このように激変して行く気候に順応できる強い生物を探している生物学者とのこと。つまり、厳しい環境下で生き残る強い生物はどういうものかに興味があり、それを探すにあたって間もなくやって来る氷河期の前兆の気候下で耐えている生物、生命を探しているということのようだ。
このように間もなく氷河期がやって来るだろうとする説は、これまでこのブログで紹介したことのある東北大学の南極での観測結果を見ても十分に納得できるものである。しかも 最近太陽活動が不活発であり、これが地球の寒冷化に向かうきっかけになるのではないかと危惧されるという。
考えてみれば、温暖化よりも寒冷化の方が 人類社会に与える影響は深刻である。つまり、寒冷化は多くの動植物は絶滅の危機に瀕することになるのであり、それは食糧の減産に直接結びつく。だからこそ、先の生物学者は 強い生命とはどのようなものかを探しているのだと思われる。
ならば、“温暖化阻止”などと騒ぐのは 実に滑稽なことではないのか。むしろ 人工的にもせよ地球全体を“温暖化”させて、少しでも寒冷化を遅らせ、その間寒冷化に強い生物や食糧を生産する技術開発が必要だと考えるべきではなかろうか。もし、CO2の増加が 本当に温暖化に寄与するものであるのなら、むしろ今の社会政策の逆の施策が必要となる。“温暖化阻止”をして、“寒冷化を促進する”ことは 非常に問題があることと言えるのではなかろうか。だが、そうなるとたちまち化石燃料を 無駄に先食いするという矛盾に遭遇することになるのだが・・・。
そして、氷河期に人類が生き残るための暖房等のエネルギーを何に求めるのか検討し、開発する必要があるものと思われる。というのも、いわゆる再生可能エネルギーと呼ばれる今後注力するべきとされるエネルギー分野が気候激変下に耐えられるものかどうか 専門家ではないものの目から疑わしく見える。先ず第一に気圧配置の変化に伴う風力発電、快晴率の変化によるソーラー発電、場合によっては潮流発電すら影響を受ける可能性があり、これらの稼働率が大きく変化するのではないかという懸念があるのだ。
そうなると、この際、原子力エネルギーも 感情的に忌避するのではなく、選択肢の一つとして考えておく必要があるのかも知れない。10万年も続くという氷河期に備えるには、核燃料サイクルの実現に向けた研究・技術開発も必要ではないかと思われる。
また、日本の周囲の海底には 当面のエネルギーとしてメタン・ハイドレードがあるとされているので、早期にこれの実用化を促し、氷河期に対する様々な防御策を講じる時間的余裕を確保することも必要なことと思われる。
こうした超長期にわたる先を見越してのエネルギー政策が必要であるにもかかわらず、10年先すら見越した政策がなされない日本は、非常に危うい状態であると思われる。つくづく今の日本の政治家たちの仕事ぶりには 苛々が募るばかりである。
いや、“(グローバルに見て)局所的に寒冷化しているだけで、この日本の寒さは (グローバルな)温暖化の結果である”という輩が居るのだろうか。それは、戦前 日本軍は負けているにもかかわらず、“転進している”と強弁して、勝利を装っているような図を思い起こさせる。こういう時、“素朴な感性を大切にし、それを判断基準にするべきである”とされて来た。だから自分の感性を大事にするべきであるし、この寒さの中では“「地球温暖化はウソ」と思うべし”というのが素直な反応であると思われる。
ところが、先日のテレビで、“北極のバレンツ海の温暖化した結果、そこで発生する低気圧の挙動が ユーラシア大陸中央に存在する寒気団である高気圧が強力になり、ヨーロッパや日本に寒気を送り込んでいる”というような意味の学説の解説をしていた。これは最近の海洋研究開発機構の猪上淳主任研究員の研究成果だとされている。つまり、今の寒さは地球温暖化の結果の局地的現象であるということである。
やっぱり、こんな説を唱える“科学者”が居るのだと思っていたら、同じ日、別のテレビ局では、“地球は氷河期に入った。”と言う科学者の主張を取り上げていた。一体、どちらが本当なのだろうか。この学者は、広島大学の長沼毅准教授であり、その説明では、これまで地球史上 氷河期は10万年毎に繰り返しやって来ており、今はその氷河期の間の温暖な間氷期にあたり、その約1万年の間氷期の末期であるとしていた。こちらで紹介されたのは、気候学の専門家ではなくて、このように激変して行く気候に順応できる強い生物を探している生物学者とのこと。つまり、厳しい環境下で生き残る強い生物はどういうものかに興味があり、それを探すにあたって間もなくやって来る氷河期の前兆の気候下で耐えている生物、生命を探しているということのようだ。
このように間もなく氷河期がやって来るだろうとする説は、これまでこのブログで紹介したことのある東北大学の南極での観測結果を見ても十分に納得できるものである。しかも 最近太陽活動が不活発であり、これが地球の寒冷化に向かうきっかけになるのではないかと危惧されるという。
考えてみれば、温暖化よりも寒冷化の方が 人類社会に与える影響は深刻である。つまり、寒冷化は多くの動植物は絶滅の危機に瀕することになるのであり、それは食糧の減産に直接結びつく。だからこそ、先の生物学者は 強い生命とはどのようなものかを探しているのだと思われる。
ならば、“温暖化阻止”などと騒ぐのは 実に滑稽なことではないのか。むしろ 人工的にもせよ地球全体を“温暖化”させて、少しでも寒冷化を遅らせ、その間寒冷化に強い生物や食糧を生産する技術開発が必要だと考えるべきではなかろうか。もし、CO2の増加が 本当に温暖化に寄与するものであるのなら、むしろ今の社会政策の逆の施策が必要となる。“温暖化阻止”をして、“寒冷化を促進する”ことは 非常に問題があることと言えるのではなかろうか。だが、そうなるとたちまち化石燃料を 無駄に先食いするという矛盾に遭遇することになるのだが・・・。
そして、氷河期に人類が生き残るための暖房等のエネルギーを何に求めるのか検討し、開発する必要があるものと思われる。というのも、いわゆる再生可能エネルギーと呼ばれる今後注力するべきとされるエネルギー分野が気候激変下に耐えられるものかどうか 専門家ではないものの目から疑わしく見える。先ず第一に気圧配置の変化に伴う風力発電、快晴率の変化によるソーラー発電、場合によっては潮流発電すら影響を受ける可能性があり、これらの稼働率が大きく変化するのではないかという懸念があるのだ。
そうなると、この際、原子力エネルギーも 感情的に忌避するのではなく、選択肢の一つとして考えておく必要があるのかも知れない。10万年も続くという氷河期に備えるには、核燃料サイクルの実現に向けた研究・技術開発も必要ではないかと思われる。
また、日本の周囲の海底には 当面のエネルギーとしてメタン・ハイドレードがあるとされているので、早期にこれの実用化を促し、氷河期に対する様々な防御策を講じる時間的余裕を確保することも必要なことと思われる。
こうした超長期にわたる先を見越してのエネルギー政策が必要であるにもかかわらず、10年先すら見越した政策がなされない日本は、非常に危うい状態であると思われる。つくづく今の日本の政治家たちの仕事ぶりには 苛々が募るばかりである。
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