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Et Alors エ・アロール-それがどうしたの

久しぶりに渡辺淳一氏の標題の小説を読んだ。標題からは 不倫モノの匂いがするが、不倫というより、高齢化社会の当事者たる、老人の世界の話だ。この小説の主人公は“高齢者が気ままに暮らせる施設を作ろうと、東銀座のビル街に「ヴィラ・エ・アロール」を開設した。・・・診療室やトレーニングルームはもとより、娯楽室やカラオケルームまで完備した高級老人ホームである。”この老人ホームに入所して暮らすユニークな老人たちのユニークな事件の相次ぐ1年を主人公の目を通して語っているユニークな小説である。もちろん渡辺氏の小説らしく、主人公は54歳のきままな独身。32歳の女性編集者の恋人がいるが、あまりにもユニークな事件の連続で その愛情生活もままならない。それも入居者たる高齢者たちのドタバタのセックスがらみの事件が息つくひまなく連続し、面白、おかしく書かれている。恐らく、この小説を書くにあたって、渡辺氏は高齢者の生活実態を 様々な施設を実地インタビューし、その他の調査も行い医者の立場で分析・研究したのに違いない。だからウソっぽくない、当然ながらきちんとした小説に仕上がっている。
まぁ このブログに掲載する材料としては いよいよふさわしくないという印象だが、森羅万象 知っていて損はない人間の真実を描いていると思い ネタ切れという事情もあり、投稿した。お許しいただきたい。いや、“人間の真実を描いている”限り、そのことはマネジメントにも影響するテーマとなるに違いないという思いもある。

さて、この小説の標題“エ・アロール Et Alors”とは フランス語で“それがどうしたの?”という意味とのこと。洒落た 小説の題名になっていて好ましい。これは“かつてフランスのミッテラン大統領には、妻以外の女性とのあいだに子供がいて その真偽について新聞記者の質問を受けたときに答えた一言”で、それに対し“記者たちはそれ以上、追及はしなかった”由。“この経緯について、のちに記者は、政治家の汚職ならともかく、女性関係は追及しない。男女のプライベート問題についてとやかくいうほど野暮でない”と言っているとのこと。
“この施設は、仕事や世間の枠から解放されて自由になった高齢者のかたたちが楽しく、気儘に生活し、人生を楽し”めるように、“「それがどうしたの」精神で、運営”されている。“こうした高齢者の施設の名称には、「希望」とか「愛」とか「幸福」といった意味の言葉が多いが、来栖(主人公)は、この一見もっともらしい名前が嫌いだった。”とある。

巻末の解説には 次のように書かれている。“日本は少子高齢化の老人大国になったといわれて久しいが、なぜかこれまで「老人文学」と呼べるような作品が少なかった。特に、老人の性の問題を正面から扱った作品はほとんど皆無だといっていい。長らく医学小説や性愛小説を手がけてきた作者は、この作品では老人の性を「生命の輝き」としてとらえ、これからの高齢者施設のあるべき姿をリアルに、そしてヴィヴィッドに描いてみせた。その意味で、これはすぐれて現代的な文明批評小説である。” この一文で この小説の全てが尽くされていると思う。

実は、この小説はあのプライベートでの長野出張の行き帰りの移動の間に読み上げたものだ。遅読の私にしては 珍しく読めた、というか いわば深刻なテーマを実に興味深く書かれていて面白いのだ。
やがて誰にも必ずやってくる老後の世界。この施設のような所に 何とか転がり込めるのなら仕合せだろうと思うが 現在の私にはそのような資力はない。この小説に登場する老人の属する社会階層は 相当に高く、経済的にもかなり余裕があると言って良い。つまり、小説の舞台としては 先ずはこのような、生きること自体 つまり日々の飲み食いを 心配するような状況下では生じない問題を取り扱うことで 返って人生の本質をえぐることができるのかもしれない。いわば漱石の描いた“高等遊民”の世界の老後現代版なのだろう。
そう思えば、人間 ヒマになれば恋愛とその背景にあるセックスしかないのだろうか。なるほど、飲み食い以外の究極の楽しみといえば そうなのかも知れない。ある種 限定された男女の社会となれば行き着く先はそれが本質なのだろう。“高等遊民”であればあるほど、長年の連れ合いを離れて 人生に変化を求めるであろうし・・・・。

さてさて、振り返って自分の先の人生を考えると 少々暗澹としてしまうが、日本の若者たちは もっと絶望しているという。少子高齢化が日本社会の最大の政治課題であり、ここに 北欧に比べ 立ち遅れた日本の社会制度の障害があるが、政治家たちはいずれも 既得権益の確保・獲得に汲々として、改革は一向に進展していない。しかも、日本に残された余裕時間は、数年という単位しか無く、年々刻々少なくなってきている。
だからと言って、そうした“改革”を急ぐ 大阪の人気政治家は 独裁の要素が必要だと言って、思想統制までに走り始めている。こうした“改革”に向かう方向性自体に ある種 とんでもない危険性を感じ始めるべきかも知れないのが、今の日本の大いなる矛盾であり、不幸ではないか。やらせてみて、失敗すれば違う方法を試みればよい、という意見もあるかも知れないが、政治的失敗は 社会にとんでもない犠牲を強いるものだ。残り少ない時間の中で、正しい改革の方向性とは何か、“対案”を示せるのかどうか 非常に悩ましい状況にある。現在の日本は 歴史的剣が峰に立っていると言って良いのではないか。

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