goo

天満宮初詣と東洋陶磁美術館の展示品鑑賞

先々週の与党議員で派閥領袖が新型ウィルスに感染入院したのに引き続き、先週は与党議員2名が、緊急事態宣言中の東京で、相次いで夜遅くまで銀座でクラブ活動していたという。不祥事がなくならない。
保守与党の腐敗は理解できるが、“平和の党”については権力にすり寄る癖からその腐敗度も相当進行しているように見受ける。なんだか上級特権意識の面目躍如!!!自分達は上級国民である!という強い潜在意識があると見られている。

入院できずに“自宅療養”が増えているが、これはまやかしの言葉。“自宅遺棄”が真相。“療養”とは“治療と養生”であり治療が伴うもの。保健所からの電話だけでは“治療”とは言えまい。実態を反映した言葉遣いが至当で、そうでなければ真実は見えてこない。政権に都合のよい言葉遣いは改めるべきではないか。

ワクチン接種が急に話題になっているが、G7でワクチン接種ができていないのは日本だけだという。“先進国”の大半は既に今月からワクチン接種を開始している。現時点でも日本は予定の段階で2カ月近く遅れており、実態面ではもっと遅れるのは確実ではないか。
現に、ワクチン・メーカは生産能力を既に半減させている、という。これで2月下旬のワクチン接種開始は見込めるのだろうか。期待してもワクチンは来ない可能性は高い。日本は世界の“先進国”ではなくなっているのだ。

ところで、ワクチン接種に関して全く話題にならない、気になる点がある。それは、既に感染真っ最中に接種すれば重症化するのではないかという疑念である。つまりウィルス増殖中だが」無症状のため感染を知らずに、ワクチン接種を行えば、抗体反応が過剰になり、その分免疫力が低下し重症化するのではないか、ということだ。だから、ワクチン接種前には必ず事前の感染検査を実施する必要があるのではないか。ところが日本の体制はPCR検査に後ろ向きである。この問題をどうするのか、明確にしてほしいものだ。

ワクチンや創薬開発への後ろ向き姿勢、そればかりではなくこの国の先端技術への開発力の劣化がこのところ激しい印象だ。国産旅客機が遂に絶望的になった。戦闘機開発も同じような状態のようだ。宇宙開発も小型飛翔体のコントロール程度で満足している。造船技術があっても、今流行の豪華客船が商業ベースで造れていない。ついに5Gにもついて行けていない。
大学の基礎研究への予算付けもおろそかのようだ。ITも人材不足のままでハッカーに狙われて情報が盗まれている実態すら知らずにいるのが実情ではないのか。一体、いつの間にこんな国になったのか。かつてのライジング・サンは天頂に達することなく、そのまま落ちてゆくセッティング・サンとなってしまった。国家戦略の枠組みが作れなかった結果であろうか。情ない限りではないか。

そう言えばワクチン接種に出遅れて、無謀なオリンピック開催の可能性はゼロに近い。少なくとも、無観客が必要条件になるのではないか。そうなれば開催国のみが膨大な赤字を抱えるだけ。財政難が一層厳しくなる。お祭り騒ぎだけでうかれうかれたアホアホだ。
たとえ開催できても、選手らの感染予防はどうするのか。各国の選手は、出身国の英雄である場合が多い。そういう選手たちの安全と健康をどのように保障できるのか。それに失敗した場合、日本の国際信用力を大きく毀損しない保障はあるのか。
そのための医療関係者は1万人が必要と見積もられているらしい。新型ウィルス禍で、日本の医療従事者不測の中一体どのようにそれを確保するのか。
“出来ないことばかり言うな”と言うはたやすいが、そうであれば数々の疑問にどう答えられるのか。その疑問解消は開催の必要条件ではないのか。

ところで、大手マスコミではあまり話題にしていないが、“しんぶん赤旗”(1月4日付)によると、“菅義偉首相が内閣官房長官に在任した7年8カ月余(2822日)で自身に支出した内閣官房機密費(報償費)は86億8000万円超だったことが、本紙が情報公開で入手した資料で判明”。“支出した官房機密費の総額95億4200万円余の90・97%を菅氏は、自身の“つかみ金”として1日平均307万円をつかった計算”になるという。一体何に使ったのか。
菅首相はコロナ禍でも朝昼晩「外食フルコース」の贅沢三昧”という報道との合わせ技で、会食には絶対に使っているのだろう。公費で私的な食事か?それにしても1日307万円も食べるとなると大変!公私混同極まれり。

2020年度第3次補正予算は28日夜、賛成多数で可決、成立した。“GoToトラベル”の延長経費(1兆311億円)など3月までの執行が見込めない予算を組んだままだ。どうしてこんな無駄をするのか。新型ウィルス禍で困難にある医療関係者を救わずに、無駄な予算を立てるのか。日本の政治は狂っている。


さて、先週は大阪の図書館へ借りた本の返却の時期だったので、ついでに大阪で何か観るものはないかと考えてみた。新型ウィルス禍で不謹慎ではあるが、まぁ堅いこと言わずに・・・。すると、中之島美術館、正式には国立国際美術館で、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の開催があるのを思い出した。そこでネットで調べてみたが、新型ウィルス禍で1時間ごとに入館制限をしていてそのための予約が必要と分かり、しかもほぼ予約で満杯であることが分かった。残念の極み!
そうだ!中之島ならば、東洋陶磁美術館がある。陶磁器に関しては超一級の美術館ではあるが、不思議にあまり人気が無い。そこで、ネットで調べると、特に入館制限をしている気配もない。それに近くの天神さんへの初詣も未だだ。
そこで、予定を次のようにした。先ず、大阪市立中央図書館へ行き、借りていた本を返却し予約した本を借り受ける。次に天神さんへ初詣。中之島の東洋陶磁美術館で陶磁器の鑑賞し、府立中之島図書館で、図書返却とする。移動は地下鉄と徒歩とし、午後一出発。

阪神電車で野田へ出、西長堀の大阪市立中央図書館。本を借り受て、地下鉄で南森町へ。天神橋筋商店街から天満宮へ。



正門から境内へ。門の脇に、行儀の悪いプロカメラマンの目に余る行動を持て余して、“プロカメラマンの撮影の全面禁止”を告げるポスターあり。こっちは時代遅れのコンパクト・カメラ持参なので、まぁ見とがめられることはあるまいと境内でお構いなしに撮影実施。手洗いは、ししゃくは撤去されていて、うがい禁止。無事正殿へ参拝。社務所でおみくじを引くと“吉”だった。ついでに正殿の東側の小さな庭に紅梅がわずかに開花しているのを見つけた。
境内を出て正門から東へ行けば、川端康成の生誕地がある。今回はそこへは向かわず、中之島に向かって歩き始める。

難波(なにわ)橋から東洋陶磁美術館へ。堂島川からの眺めはやはり“大阪”の風景。中之島内の道路は工事中であった。公園の改造計画であろうか。美術館までグーグルマップで15分だったが、結構早く歩けたように感じる。
途中に、唐突に木村長門守重成*表忠碑があった。いきなり、なんじゃこりゃぁ?!の印象。碑には“木邨”とあった。大阪で生まれ育ったが、名前は聞いたことがあるような・・・複数のネット情報を組み合わせると次の通りと分かった。

*安土桃山時代の武将(?‐1615(元和1))。木村常陸介重茲(しげこれ)の子とも、紀伊の地侍出身ともいわれる。父は賤ヶ岳の戦い以来の豊臣秀吉の忠臣だったが、その後豊臣秀次に仕えたため秀次事件に連座して秀吉に自害させられた。だが助命された母は豊臣秀頼の乳母となり、重成は幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれる。幼少より秀頼に仕え,長門守と称した。大野治長らとともに、対徳川強硬派の一人であった。大坂冬の陣では佐竹義宣、上杉景勝の軍を今福、鴫野に破って奮戦したが、その後の夏の陣で井伊直孝と若江に戦って戦死した。首級が家康のもとに届けられたとき頭髪に香がたきこまれていて、徳川家康からも賞賛を受けた、という。
この碑は第6代大阪府知事西村捨三が発起人となって明治29年(1896)に建立したという。かつてここにあった豊国神社内に建立されたが、神社が大坂城内へ移転した際にここに残されたため、唐突感があるようだ。
『重成血判状』という芝居があるようだが、重成の死から200年以上経った文政11年(1828年)に、重成の墓に参拝するブームが突如として発生し、大坂町奉行が沈静化に乗り出す騒ぎとなるほどの人気となった。江戸幕府への反感の裏返しであろうか。当時の大阪の人々は重成の墓を「残念墳」、重成を「残念様」と呼び、願をかけると願いが叶う神として親しんだ、という。



東洋陶磁美術館は大阪市立公会堂と向き合って建っている。ここは一度、来たこともあったが、その後は見に来ていないので、今回は全くの久しぶりだ。そのまま入ってみると、国立国際美術館程の規制はなく、通常の手指消毒と検温だけで済んだ。
所蔵品の展示と、“黒田泰蔵”の特別展が開催。所蔵品は豊富なので、その一部の展示でも充分見応えがある。

ここで改めて、陶磁器の定義・分類はwikipediaによれば、次のようだ。
一般的には陶磁器のうち素地が多孔性で透光性がなく吸水性があるものを陶器、素地が緻密質で透光性があり吸水性がないものを磁器という。特に、日本語の「磁器」は、原材料にケイ酸を多く含み、施釉して高温で焼成し、ガラス化が進んだやきもののことを指す。

先ずは所蔵品展示。古代の須恵器から江戸期の相撲人形の磁器まで数点の展示の次が沖正一郎コレクション・鼻煙壺のブース。鼻煙壷(びえんこ、Snuff Bottle)とは嗅ぎ煙草を入れておくための容器、喫煙具のこと。



そこから引き続き、ブースごとに明代や唐三彩等中国の陶磁器、柿右衛門の有田焼の展示があった。



行きついた東の端に特別展「黒田泰蔵」があった。美術館のHPに次の記述がある。安藤氏は大阪出身のよしみでのコメントだろうか。
“黒田泰蔵さんの白は、真理を求めてやまない心の色である。―安藤忠雄”
黒田泰蔵氏の人となりについて、wikipediaでは次の通り紹介されている。
黒田 泰蔵 (くろだ たいぞう、1946年1月1日 - ) は日本の陶芸家。滋賀県神埼郡能登川町(現東近江市)生まれ。ビジュアルデザイナーの黒田征太郎は兄。
民芸運動に連なる陶芸家島岡達三に師事するものの、初期のキャリアの大半をカナダで培うという異色の経歴を持つ陶芸作家である。1988年に日本に帰国して以降は静岡県伊東市にアトリエを構え、曲折を経て白磁の制作に専念するようになる。近年は《円筒》など実用の枠を超えた、純粋芸術的な作品も制作している。
黒田の作品は主に3つの様式に分類することができる。日本での活動開始から1991年頃にかけて制作された彩色を用いた作品、1990年代にかけて制作された李朝時代の作品からの影響を強く受けた轆轤(ろくろ)成形された花入、壺などを中心とした作品、2000年代半ばから徐々に見られるようになる《円筒》作品に代表される、従来の陶磁器としての用途の枠を超えた純粋芸術的作品である。
現在一般に現在展覧会で鑑賞することのできる作品は後二者にほぼ限定される。海外で制作を学んだ点、島岡達三という民藝運動に携わった作家に師事した経歴を持ちながらこうした抽象性の高い、日用を目的としない作品を多く制作している点で、黒田泰蔵は日本を代表する作家ではあるものの、極めて特徴的な経歴を持つといえるだろう。



円筒形や円錐形の白磁の抽象の極致の展示会である。こうした抽象物を見て、建仁寺の“丸三角四角”の公案のような絵を思い出す。
これで何を感じるのか・・・???何でもエエでぇ!どうでもエエでぇ?ホンマかいな!
中には、完全無欠から破れたオブジェもある!それがどうした?フーム!!そんな感想!

戻る途中の部屋にも中国や朝鮮の陶磁器あり。
さぁて、これで陶磁器への鑑識眼が少しは養成できたか?まぁ何とも言えまへんナァ。何か疲れたワァ!それじゃぁ又、いつか来まっか!

そんな感慨を抱きながら、中之島図書館へ図書返却に向かう。これで無事予定通りの経過となった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NHK・100分 de... 伊丹敬之・著“... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。