The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
集団的自衛権について―香田洋二氏と小川和久氏の本を読んで
実を言うと“集団的自衛権”について もう一つしっくり理解できておらず、違和感を抱えたままでいる。そこで、“賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門”を読んでみた。標題も魅力的ではあるが、著者は元・海上自衛隊自衛艦隊司令官であった香田洋二氏である。海上自衛隊自衛艦隊司令官は、旧海軍で言えば連合艦隊司令長官と言ったところであろうか。いわば海軍或いは海自そのもののトップと言っても構わない立場の人だ。日本で国際紛争が起こるとすれば、先ずは海で生じるであろうから自衛権を論じるにあたって、究極の現場の最高責任者に当たる。その人が、“集団的自衛権”をどう捉えて、私達一般国民に教示してくれるのか、これまでの政府見解にどのような不都合があって、これまでの解釈をどのように変更しようとしているのか、はたまた現政権の解釈変更に対してどのような問題があるのかないのか、等々を明らかにしてくれるものと思い読んでみた。
ところが、実際に読んでみると香田氏が“集団的自衛権の行使容認”がない場合の大きな問題点として挙げていて印象的だったのは、米軍との情報の共有であった。現状では、例えば自衛艦と一緒に行動している米軍艦に第三国からの攻撃があってそれを自衛艦が察知し、米艦が明らかに知らずにいる場合、自衛艦側からそれを米艦に知らせることはできない、という点だった。何故ならば、それまで第三国との武力紛争関係に無い時点では、自衛艦がそれを知らせば米艦は直ちに第三国に反撃することが明らかであり、そうなれば日本側の情報提供が、米艦による第三国への“攻撃”に資したことになるからだという。日本が間接的に攻撃したことになる、と解釈しているのだろう。
本当にそうなのか、日本側はこんなところに規制をかけているとは、全く驚きであった。同盟関係にある場合、情報の共有は必須のような気がする。また、情報の供与による米側の反応までを思い図るのは余計なことのように思われるが、どうだろうか。入手した情報の解釈は、各自の責任においてなされるべきものであるとするものではないだろうか。“集団的自衛権の行使容認”がなければ米軍との情報共有ができない、というのは過剰規制ではないだろうか。
この点、後から読んだ小川和久氏の著作“日本人が知らない集団的自衛権”によれば、私の常識と一致する。
つまり、小川氏によれば政府が示した“15事例”の“⑨武力攻撃を受けている米艦の防護”が課題となっているが、“共同行動する艦船はふつう、目視できないほどの距離に展開”するが、これを防護するのは不可能とするのが軍事技術に無知なマスコミ等の間では一般論になっている。しかし、現実には既に米艦と自衛艦は防空イージスシステムの最新型“ベースライン7”を備えて、センサー機能、意思決定、攻撃力をつなげたネットワークの戦いを実施できる状態にあるという。“具体的には、自らのレーダーが探知していない脅威であっても、それに向けて迎撃ミサイルを発射したり、他の艦艇が発射したミサイルについても誘導したりする能力を備えており、それによって艦隊全体で共同して脅威を迎撃する”ことが可能、と言っている。要は、共同して艦隊を組んでいる場合には、“情報を供与するという特別な行為”を行わなくても、自動的に情報は共有されるシステムになっている、ということだ。
但しこの小川氏によれば、問題は“集団的自衛権”以前のところにあり、“日本の現法規制では自分が撃たれた時には正当防衛で撃ち返すことができるが、日本の僚艦が撃たれた時それに代わって撃ち返すことは、総理大臣の防衛出動が発令される前には出来ないことになっている。・・・問題は、まず、防衛出動発令前の個別的自衛権の在り方を検討した上”でなければならない、という元・陸上幕僚長・冨澤暉氏の指摘を紹介している。
従い、先の香田氏の指摘も防衛出動発令前の事態での問題であれば理解できる。しかしもし、そうならば香田氏も そのように指摘するべきではないか。否、ひょっとして“集団的自衛権の行使容認”の前に既に、艦隊防空システムと言う現実がそれを乗り越えてしまっていることへの警告であったのだろうか。しかし、いずれにせよその内容は非常にお寒い話である。
気になるところは、小川氏の指摘に依れば、最近共同演習等で米国艦船に加えてオーストラリア艦船が来演して共同行動をしている場合が多いと言う点だ。米艦と自衛艦は日米安保に沿って行動しているので、法規制上の問題はないと思えるが、オーストラリアの艦船と自衛艦の共同行動は一体どういう法的枠組みで実施されるのであろうか。それこそは、現行憲法の精神に抵触するところはないのだろうか。それに、むやみな軍事同盟の拡大は許容されるのであろうか。れらの本での指摘は無いが、議論の余地はあるのではないか。
私も政府の示した集団的自衛権行使容認のための4類型には、個別的自衛権の行使で対処できる部分が多々あるように思う。しかし、香田氏は個別的自衛権の適用拡大のための拡大解釈は逆に問題を生じるので慎重であるべきだと具体的な説明はせずに指摘しているが、それは気懸りな点だ。
しかもこの4類型や15事例には、小川氏も現実軍事技術的にはありえない設定が多々含まれていると非難している。
また、軍事専門家が良く指摘することだが、小川氏も“4類型のように『これは出来るのでやっても良い』という項目を挙げることをポジティブ・リスト方式”と言うが、これでは問題だと言っている。ポジティブ・リストでは“相手に日本側が「できること」”を教えているのと同じで、手の内をさらけ出しいることになるので、逆に『それ以外は何でもやってよろしい』とするネガティブ・リストにするのが、世界標準であると指摘している。運用現場でもポジティブ・リストでは非常にやりにくいという話も聞いたことがある。
日本政府の頭脳部分には軍事専門家は居ないのだろうか、非常に不安になる。
これらの本を読んで驚いたのは、“集団的自衛権”についての具体的イメージが定まらなかったことだ。例えば、香田氏は現内閣の方針に歓迎の意向であるが、小川氏は驚くべきことに実体的に米国とは集団的自衛権を既に行使している状態にある、と言っていてそのイメージに違いが見られる。
“集団的自衛権”の定義は簡単なもので、小川氏によると、“個別的自衛権:自国の安全を自国の軍事力によって守る権利/集団的自衛権:自国の安全を同盟国などの軍事力を使って守る権利”としている。しかし、それを具体的に様々な場面に応じて行使するには、解釈が様々になる問題があるから複雑になるのではないかと思われる。いずれにせよ、“個別的自衛権”も含めて軍事技術の専門家、民主法規制の専門家達の熟議とある程度の一致またはオーソライズが必要のように思う。
さて、いずれにしろ日本の軍事行動で最大の懸念事項は、暴走に対する“歯止め”がかかるような法的な枠組みができるものかどうかだと思われる。それを小川氏は、現状で懸念する必要はないと論理的に解説している。
その論理はこうだ。日本の最高法規たる憲法は、戦争放棄しているが生存権は保障していることから自衛権は担保されるものと解釈し、憲法前文から“国連を中心とする安全保障体制のなかで生きていく”と宣言しているものと解釈できる。また勿論、日本は国連に加盟していることから国連憲章は国際条約と同じで、順守すべきものである。さらに、日米安全保障条約は国連憲章を強く意識した、また国連憲章の認める「極東における国際の平和及び安全」のための地域的安全保障に関する取極(取り決め)に当たるという。
従って、もしも米国からの軍事的要請が、“日本周辺から遠く離れた地域での武力行使であり、国連憲章の目的・原則に沿わない”と判断される時は、“安保条約の趣旨や国連憲章の規定に反している。”として拒否できると主張している。だから“集団的自衛権”の行使を容認しても、米国の無理強いは拒否できると言いたいのだろう。
しかしながら、“日本周辺から遠く離れた地域”とはどこからなのか気になるところだ。また安保条約での極東とは、日本政府は“フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国(台湾地域)の支配下にある地域もこれに含まれ”ているとしているとのことだが、これは半世紀前(1960年2月)の政府見解であって現在も果たしてその通りなのか、はたまた米国もこの見解で満足するのであろうか、疑問があると私は思う。
海自の米軍支援意義は、その世界一と言われる対潜、掃海の分野においてであるのは間違いあるまい。*1) 対潜にあっては南シナ海での活動であり、掃海に在ってはペルシャ湾での活動が望まれるところだろう。しかも、海自もその発足当初から日本のシー・レーン防衛は視野の中に在り、そのための能力開発を目標とし今日まで営々と磨いてきていると、私は見ている。*2) その点で、南シナ海とペルシャ湾での活動は米海軍と海自の利害一致するところではないかと懸念される。
南シナ海への海自艦艇の派遣は中国の海上勢力との角逐を、東シナ海ばかりではなく南にも拡大して全面対決へと大きく変化し、同海域での紛争に首を突っ込むことに通じる。しかもそのための空母を基幹とした機動部隊の創設は目指すところで、護衛艦としては巨大な“いずも”就航に見られるように、着々と進捗していると思われる。しかしそれは、“国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する”に反する行為になるのではないだろうか。
*1)特に海自の対潜能力は、潜水艦運用に限っても極めて優秀であるとされる。潜水艦からの対潜探知能力は千kmに達するとされ、南シナ海を除いて沖縄周辺海域から対岸の中国大陸沿岸全てをカバーしている。即ち、海自は中国海軍の動向の殆ど全てを把握していると言って間違いない。しかも、日本の潜水艦の静粛性も世界一とされ、2週間以上恐らく1ヶ月程度は潜航航行可能と思われるので、隠密度も高レベルにある。したがい海自の潜水艦が中国の原潜を早期に把握し潜伏していても、中国側はそれを知らずに近くを通過して行くことが度々あるという。恐らく、中国海軍が第二列島線付近で武威を誇るつもりで演習すれば、その付近には必ず海自の潜水艦が潜んでおり情報収集にいそしんでいて、貴重な情報源になっているものと推測される。(空自も田母神氏によれば、中国空軍の動向は殆ど把握できている由。;こんな話は秘密保護法に抵触するのかも知れないが、香田氏は情報収集は平時の重要任務であると指摘している。)
*2)日本のシー・レーン防衛対象はペルシャ湾からの原油輸送の海上ルートであり、ペルシャ湾~インド洋~南シナ海~東シナ海である。テロ特措法によるアフガン支援のインド洋上での活動は、今後に非常に役立ったと海自幹部が言っていた。今後の何に役立ったかは不明。
また、自衛隊部隊の運用の“歯止め”に対する最後に残る懸念は、軍事ジャーナリスト・田岡俊二氏の指摘に尽きる。それは、日本政府は時の米国政府には従順すぎることであり、その従順さが法規制の矩を踰えてしまう懸念があることなのだ。かつて、日本は自ら宣言した“非核3原則”を踏みにじったことがあった。一度やったことは容易に繰り返される。
米国の強い要請があれば、“集団的自衛権”を盾に南シナ海への海自艦艇の派遣は十分に考えられる。中国海軍の活発化を南シナ海での脅威とし、“我が国に対する急迫不正の侵害”と見做し、“他に適当な手段がない”とされれば、海自出動の口実とできるのではないか。それが、かつて私がこのブログで“集団的自衛権は集団的攻撃権である”と指摘した所以だ。
先述のように個別的自衛権の行使すら法的不確実性があるにもかかわらず、何故今“集団的自衛権”なのかというところにも日本政府の主体性の欠如が感じられるが、これそのものが外部圧力によるものでは、あるまいか。
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ところが、実際に読んでみると香田氏が“集団的自衛権の行使容認”がない場合の大きな問題点として挙げていて印象的だったのは、米軍との情報の共有であった。現状では、例えば自衛艦と一緒に行動している米軍艦に第三国からの攻撃があってそれを自衛艦が察知し、米艦が明らかに知らずにいる場合、自衛艦側からそれを米艦に知らせることはできない、という点だった。何故ならば、それまで第三国との武力紛争関係に無い時点では、自衛艦がそれを知らせば米艦は直ちに第三国に反撃することが明らかであり、そうなれば日本側の情報提供が、米艦による第三国への“攻撃”に資したことになるからだという。日本が間接的に攻撃したことになる、と解釈しているのだろう。
本当にそうなのか、日本側はこんなところに規制をかけているとは、全く驚きであった。同盟関係にある場合、情報の共有は必須のような気がする。また、情報の供与による米側の反応までを思い図るのは余計なことのように思われるが、どうだろうか。入手した情報の解釈は、各自の責任においてなされるべきものであるとするものではないだろうか。“集団的自衛権の行使容認”がなければ米軍との情報共有ができない、というのは過剰規制ではないだろうか。
この点、後から読んだ小川和久氏の著作“日本人が知らない集団的自衛権”によれば、私の常識と一致する。
つまり、小川氏によれば政府が示した“15事例”の“⑨武力攻撃を受けている米艦の防護”が課題となっているが、“共同行動する艦船はふつう、目視できないほどの距離に展開”するが、これを防護するのは不可能とするのが軍事技術に無知なマスコミ等の間では一般論になっている。しかし、現実には既に米艦と自衛艦は防空イージスシステムの最新型“ベースライン7”を備えて、センサー機能、意思決定、攻撃力をつなげたネットワークの戦いを実施できる状態にあるという。“具体的には、自らのレーダーが探知していない脅威であっても、それに向けて迎撃ミサイルを発射したり、他の艦艇が発射したミサイルについても誘導したりする能力を備えており、それによって艦隊全体で共同して脅威を迎撃する”ことが可能、と言っている。要は、共同して艦隊を組んでいる場合には、“情報を供与するという特別な行為”を行わなくても、自動的に情報は共有されるシステムになっている、ということだ。
但しこの小川氏によれば、問題は“集団的自衛権”以前のところにあり、“日本の現法規制では自分が撃たれた時には正当防衛で撃ち返すことができるが、日本の僚艦が撃たれた時それに代わって撃ち返すことは、総理大臣の防衛出動が発令される前には出来ないことになっている。・・・問題は、まず、防衛出動発令前の個別的自衛権の在り方を検討した上”でなければならない、という元・陸上幕僚長・冨澤暉氏の指摘を紹介している。
従い、先の香田氏の指摘も防衛出動発令前の事態での問題であれば理解できる。しかしもし、そうならば香田氏も そのように指摘するべきではないか。否、ひょっとして“集団的自衛権の行使容認”の前に既に、艦隊防空システムと言う現実がそれを乗り越えてしまっていることへの警告であったのだろうか。しかし、いずれにせよその内容は非常にお寒い話である。
気になるところは、小川氏の指摘に依れば、最近共同演習等で米国艦船に加えてオーストラリア艦船が来演して共同行動をしている場合が多いと言う点だ。米艦と自衛艦は日米安保に沿って行動しているので、法規制上の問題はないと思えるが、オーストラリアの艦船と自衛艦の共同行動は一体どういう法的枠組みで実施されるのであろうか。それこそは、現行憲法の精神に抵触するところはないのだろうか。それに、むやみな軍事同盟の拡大は許容されるのであろうか。れらの本での指摘は無いが、議論の余地はあるのではないか。
私も政府の示した集団的自衛権行使容認のための4類型には、個別的自衛権の行使で対処できる部分が多々あるように思う。しかし、香田氏は個別的自衛権の適用拡大のための拡大解釈は逆に問題を生じるので慎重であるべきだと具体的な説明はせずに指摘しているが、それは気懸りな点だ。
しかもこの4類型や15事例には、小川氏も現実軍事技術的にはありえない設定が多々含まれていると非難している。
また、軍事専門家が良く指摘することだが、小川氏も“4類型のように『これは出来るのでやっても良い』という項目を挙げることをポジティブ・リスト方式”と言うが、これでは問題だと言っている。ポジティブ・リストでは“相手に日本側が「できること」”を教えているのと同じで、手の内をさらけ出しいることになるので、逆に『それ以外は何でもやってよろしい』とするネガティブ・リストにするのが、世界標準であると指摘している。運用現場でもポジティブ・リストでは非常にやりにくいという話も聞いたことがある。
日本政府の頭脳部分には軍事専門家は居ないのだろうか、非常に不安になる。
これらの本を読んで驚いたのは、“集団的自衛権”についての具体的イメージが定まらなかったことだ。例えば、香田氏は現内閣の方針に歓迎の意向であるが、小川氏は驚くべきことに実体的に米国とは集団的自衛権を既に行使している状態にある、と言っていてそのイメージに違いが見られる。
“集団的自衛権”の定義は簡単なもので、小川氏によると、“個別的自衛権:自国の安全を自国の軍事力によって守る権利/集団的自衛権:自国の安全を同盟国などの軍事力を使って守る権利”としている。しかし、それを具体的に様々な場面に応じて行使するには、解釈が様々になる問題があるから複雑になるのではないかと思われる。いずれにせよ、“個別的自衛権”も含めて軍事技術の専門家、民主法規制の専門家達の熟議とある程度の一致またはオーソライズが必要のように思う。
さて、いずれにしろ日本の軍事行動で最大の懸念事項は、暴走に対する“歯止め”がかかるような法的な枠組みができるものかどうかだと思われる。それを小川氏は、現状で懸念する必要はないと論理的に解説している。
その論理はこうだ。日本の最高法規たる憲法は、戦争放棄しているが生存権は保障していることから自衛権は担保されるものと解釈し、憲法前文から“国連を中心とする安全保障体制のなかで生きていく”と宣言しているものと解釈できる。また勿論、日本は国連に加盟していることから国連憲章は国際条約と同じで、順守すべきものである。さらに、日米安全保障条約は国連憲章を強く意識した、また国連憲章の認める「極東における国際の平和及び安全」のための地域的安全保障に関する取極(取り決め)に当たるという。
従って、もしも米国からの軍事的要請が、“日本周辺から遠く離れた地域での武力行使であり、国連憲章の目的・原則に沿わない”と判断される時は、“安保条約の趣旨や国連憲章の規定に反している。”として拒否できると主張している。だから“集団的自衛権”の行使を容認しても、米国の無理強いは拒否できると言いたいのだろう。
しかしながら、“日本周辺から遠く離れた地域”とはどこからなのか気になるところだ。また安保条約での極東とは、日本政府は“フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国(台湾地域)の支配下にある地域もこれに含まれ”ているとしているとのことだが、これは半世紀前(1960年2月)の政府見解であって現在も果たしてその通りなのか、はたまた米国もこの見解で満足するのであろうか、疑問があると私は思う。
海自の米軍支援意義は、その世界一と言われる対潜、掃海の分野においてであるのは間違いあるまい。*1) 対潜にあっては南シナ海での活動であり、掃海に在ってはペルシャ湾での活動が望まれるところだろう。しかも、海自もその発足当初から日本のシー・レーン防衛は視野の中に在り、そのための能力開発を目標とし今日まで営々と磨いてきていると、私は見ている。*2) その点で、南シナ海とペルシャ湾での活動は米海軍と海自の利害一致するところではないかと懸念される。
南シナ海への海自艦艇の派遣は中国の海上勢力との角逐を、東シナ海ばかりではなく南にも拡大して全面対決へと大きく変化し、同海域での紛争に首を突っ込むことに通じる。しかもそのための空母を基幹とした機動部隊の創設は目指すところで、護衛艦としては巨大な“いずも”就航に見られるように、着々と進捗していると思われる。しかしそれは、“国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する”に反する行為になるのではないだろうか。
*1)特に海自の対潜能力は、潜水艦運用に限っても極めて優秀であるとされる。潜水艦からの対潜探知能力は千kmに達するとされ、南シナ海を除いて沖縄周辺海域から対岸の中国大陸沿岸全てをカバーしている。即ち、海自は中国海軍の動向の殆ど全てを把握していると言って間違いない。しかも、日本の潜水艦の静粛性も世界一とされ、2週間以上恐らく1ヶ月程度は潜航航行可能と思われるので、隠密度も高レベルにある。したがい海自の潜水艦が中国の原潜を早期に把握し潜伏していても、中国側はそれを知らずに近くを通過して行くことが度々あるという。恐らく、中国海軍が第二列島線付近で武威を誇るつもりで演習すれば、その付近には必ず海自の潜水艦が潜んでおり情報収集にいそしんでいて、貴重な情報源になっているものと推測される。(空自も田母神氏によれば、中国空軍の動向は殆ど把握できている由。;こんな話は秘密保護法に抵触するのかも知れないが、香田氏は情報収集は平時の重要任務であると指摘している。)
*2)日本のシー・レーン防衛対象はペルシャ湾からの原油輸送の海上ルートであり、ペルシャ湾~インド洋~南シナ海~東シナ海である。テロ特措法によるアフガン支援のインド洋上での活動は、今後に非常に役立ったと海自幹部が言っていた。今後の何に役立ったかは不明。
また、自衛隊部隊の運用の“歯止め”に対する最後に残る懸念は、軍事ジャーナリスト・田岡俊二氏の指摘に尽きる。それは、日本政府は時の米国政府には従順すぎることであり、その従順さが法規制の矩を踰えてしまう懸念があることなのだ。かつて、日本は自ら宣言した“非核3原則”を踏みにじったことがあった。一度やったことは容易に繰り返される。
米国の強い要請があれば、“集団的自衛権”を盾に南シナ海への海自艦艇の派遣は十分に考えられる。中国海軍の活発化を南シナ海での脅威とし、“我が国に対する急迫不正の侵害”と見做し、“他に適当な手段がない”とされれば、海自出動の口実とできるのではないか。それが、かつて私がこのブログで“集団的自衛権は集団的攻撃権である”と指摘した所以だ。
先述のように個別的自衛権の行使すら法的不確実性があるにもかかわらず、何故今“集団的自衛権”なのかというところにも日本政府の主体性の欠如が感じられるが、これそのものが外部圧力によるものでは、あるまいか。
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