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2015年、年頭に思うこと



何はともあれ、謹賀新年。
昨年末のご挨拶では、いつもと違って個人的な話から始めて申し訳なく恐縮だが、とりあえず、昨年末を受けて今年の新年ご挨拶も個人的な話から始めたい。

今年も当面、私の所属する機関でのポジショニング向上がこのところのテーマとなるが、どこまで向上させるかについて具体的なイメージは持っていない。具体的なイメージは持った方が良いのかも知れないが、どういうイメージが自分の本当に欲するものなのか確定できていない。また、たとえ具体像があったとしても、それは公表するべきものではないようにも思う。
否、そういう“ポジショニング向上”のために何をするかの方が語り易いので、ここでは それを明かしたい。まずは神戸版、京都版の環境システム審査での審査技量の向上が、正当な目標であろう。つまり、規格やチェックリストに照らして客観的になさなければならない指摘を如何に適切な表現で行い得るかを目標とするべきであると考えている。

そして、そのための監査技量向上のための講習を今年は是非受講したいと考えている。実は私には、師匠と仰ぐ人がいると公言しているが、それは品質ISO資格ホルダーの勉強会でのコーディネータ役を担っている方だ。実は、その方が講師で行われているある監査メソッドの研修会が、東京のISO研修機関で開催されている。その最も肝心な研修を本来はもっと早くに受講していなければならないのに、これまで出来ていなかった。だから弟子だと公言するのはいささか早計だったが、当面3月に東京で開催予定があるので、それに参加することを目指すことがいる。
この時ついでに、どの程度 東京見物できるか、も楽しみの一つである。また、どれだけの知人と会うための呼びかけを検討したい。

それから、その品質ISO資格ホルダーの勉強会ではISO認証企業を訪問して、ISOマネジメント運営上の問題点についての相談・協議の会を開催することにしている。昨年は、それを広島の建物メンテナンス会社について実施。その前は、3年前に広島の中堅造船会社の関連会社で100トン未満の小型船舶専門の造船会社を対象として開催した。いずれも、広島から参加しているメンバーが、企画して実施してくれていた。その彼が、“他にやる奴おらんのか!”というボヤキを聞いたので、妙に義侠心を起こして私もやる気になっている。
それは、かつて阪神間に勤務していたステンレス鋼冷間圧延工場を対象に考えている。難しいのは、その研修会には、観光が付帯しているので、それをどのように企画するかである。当初 宝塚と神戸の観光の2案が浮かんだが、神戸の観光の方がやりやすいし具体的に考えられるが、どうなることか。

リスク研究会については、昨年末にも言ったように何ら期待はしていないので、現在は何かをするつもりは全くない。
しかし近くない将来、関係する学会に このリスク研究会のメンバーとして何かを発表したいという野心があるので、“お勉強”はしたいと思っている。“環境”と“リスク”の両分野に関連することをテーマとしたいと考えてはいるが、具体的には定まってはいない。
ただ、このブログでは未だ公表はしていないが、“予防原則”の考え方には ある種の危険な臭いを感じているので、これについての考え方を固めてみたいとは思っている。もし、これをテーマとするならば、法理学・法哲学の広範な学識が必要となるので、歯が立つことはないのではないかと躊躇したままである。これを、どのように具体化するか少し焦点を絞って“お勉強”するべきだろうとは思っている。できれば何とか、この方面の師匠を見つけるべきだろうが、その手がかりすら見えていない。
一方、“リスク”を理解する上でベイズ統計のマスターが基本だが、それが未だにできていない。今年あたり解消してみたいとも思っている。こういう理数系の“お勉強”も必須だ。

“お勉強”と言えば、世の中の動向が気になる。むしろ、こちらが気になって上記のテーマがこなせていないのが実情と言うべきかも知れない。
アベノミクスの先行きや集団的自衛権について、方向性は理解しているつもりで、従来から私の見解は、このブログでも投稿・掲載しているつもりだ。だが、具体論になるとまだまだ不透明感が否めない。そういうこともあって、昨年は呉に海上自衛隊の施設を視察して実態的な皮膚感覚を少しでも養うことを試みた。この方面の“お勉強”も欠かせないとは思っている。
或いは、こうした社会の動向に関しては、もっとマクロな文明史論的視点が必要であるとも思っていて、最近はある経済誌に載った内田樹の発言が気になっている。これを切っ掛けに、白井聡、片山杜秀、赤坂真理らの主張にも、これまで気付かなかった不明を恥じている。これらも“お勉強”の対象としなければならないだろうと考えている。

“お勉強”するのならば、当面何かに一点集中しなければ大成しないのだろうが、ここ数年こうした状態のまま何も獲得できないままに過ぎてしまっている。今年も、同じようにならないようにしたいものだ。だが、そうした多面的な知識が、いずれ“リスク”考察に役立つのではないかとも思っている。
結局、皆様には“どうでもエエコト”についての独白になってしまった。ボヤキに似た決意表明はここらで止めにしたい。

さて、世の中の動向についてだが、どう考えるかについて若干触れておきたい。
となるとアベノミクスの成否についてのコメントとなるが、結論から言うと私はかねてから表明しているように、原則的にはうまく行かず不景気が持続すると思っている。それは、どう考えても国民一般の購買力が向上しているとはとても思えない状態であるにもかかわらず、円安による物価高が容赦なくしかも間断なく家計に襲いかかるのは間違いない既定の事実だからだ。それは、日銀はとにかく何でも良いから“悪いインフレ”でも構わずデフレからの脱却を目指しているためだ。
これは、現行政府の政官の一致した隠された陰謀でもある。つまり、インフレによって財政赤字を極小化したいという意向の実現を目指しているのは間違いない。日本政府には、かつて戦前の戦時財政の赤字をインフレを引き起こして国債を無価値にして切り抜け、善良な国民を犠牲にした前科がある。反省しない前科者は同じ罪を犯すのだ。かねてより、この陰謀については一部金融マン達の間では囁かれていた噂であったが、それが今回はいよいよ財務官僚を日銀総裁に据えて、実現に向かって動き出したと見るべきであろう。株式相場の格言に、“国策には逆らうな”があるが、今回こそその格言が生きるのであろう。国民経済は瀕死となり、政府と国際化に成功した大企業は生き残る構図なのだ。

そういうインフレになれば、当然年金生活者は生きて行けなくなる。これまでタンス預金など現ナマの保持で物価下落の中を生き延びた人々も今度は円の貨幣価値が下がるので生きて行けなくなる。逆に、これまで借金で首が回らなかった状態は、今度は笑いが止まらない状態になる。モノの考え方の180度の転換が必要だ。日頃から経済の“お勉強”をしていなかった人達は、そういうパラダイム転換に気付かず、国策の犠牲となる。

アベノミクスは上記の金融緩和第一の矢に加えて、第二の矢と第三の矢による単なるバラマキ財政によって、むしろそのインフレを加速する方向にしか機能しないであろう。本来はカンフル剤でしかない第一の矢と第二の矢が一時的な経済浮揚に働いたように見えているが、肝心の第三の矢はバラマキとしてしか働かず、本来あるべき姿としては全く機能せず、政商の好事としかならず、いずれ庶民には塗炭の苦境が訪るであろう。
恐らく、基本的には今年はそういうことの動きの最初の年になるものと思っている。

株価は当面、一時的な経済浮揚に働いたように見せかけるため、GPIF等を動員して“国策に売りなし”を地で行く可能性が高い。海外のファンドはこれを好機に大儲けをたくらんでいる。そして、素早く逃げる。高値掴みするのは多くの日本人なのであろう。少なくとも今年前半までは、こういう傾向にあるだろう、と見ている。しかし、作られた相場が崩れた時の痛手は大きいと言うので警戒は高度に行うべきだろう。
そんなところだ。当たるも八卦、外れるも八卦、そう思っていただきたい。

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