小児アレルギー科医の視線

医療・医学関連本の感想やネット情報を書き留めました(本棚2)。

「SARSと闘った男」(2004年、NHK-BS)

2018年10月21日 14時07分00秒 | いのち
 我々は未知のウイルスにどう立ち向かえばよいのか?
 〜人類永遠の課題です。
 ウイルスは人間に感染して自分のコピーを作られ、増殖して広がっていきます。
 しかし、人間がすぐ死んでしまうほど病原性が強すぎると、自分をコピーしてくれる場所がなくなるので、ウイルス自身が困ります。
 なので、生きながらえるウイルスは毒性を弱めて、人間との共存という選択をします。
 インフルエンザ・ウイルスがよい例ですね。

 新しいウイルス感染症が登場した場合、えてして強毒性であり重症化しやすい傾向があります。
 SARSもその一つ。

 録画していた番組に「SARSと闘った男」をみつけたので見てみました。
 WHOからベトナムに派遣されていたイタリア人医師が、新しい感染症に出会い、悪戦苦闘し、世界を救うことと引き替えに自らの命を落としてしまう物語。


 時は2003年3月、場所はベトナム。
 イタリア人のカルロ・ウルバニ医師はWHOから派遣され、ハノイでマラリアなどの感染症の診療に当たっていた。
 彼は国境なき医師団の経験もある、国際派の感染症専門医である。

 ある日、ハノイのフレンチ病院から相談されて診た成人男性の肺炎患者(中国系アメリカ人のビジネスマン)。
 肺野が真っ白で人工呼吸器を装着していた。
 ウルバニ医師は不思議に感じた。
 健康な中年男性がこんな重い肺炎を起こす病原体が思い浮かばない。
 ウルバニ医師の制止を振り払い、家族の希望で香港の病院へ転院し患者は8日後に死亡した。

 その頃、ハノイの病院ではその肺炎患者の診療に当たったスタッフが次々に発熱していた。
 25人中10人が発症し6人が入院。

 3月6日、肺炎患者の同僚が発熱して医療機関を受診した。
 
 同じくWHOスタッフの、中国にいた押谷仁医師はハノイに向かった。
 CDCのティム・ウエキ医師も同行した。
 しかしベトナム政府からの要請がないため、入国できなかった。
 ウルバニ医師は危機感を覚え、公表して国際社会に訴えようとベトナム保険証に相談したが、却下された。

 3月8日、17人の病院スタッフに肺炎症状が現れた。
 肺全体が真っ白になっていった。
 生還した看護師は「呼吸ができず、海の底にいるようだった、肺に水がたまっていると感じた」と話す。

 感染を恐れて職場放棄する病院スタッフも出てきた。
 ウルバニはこの感染症が世界に広がって収拾が付かなくなることを恐れ、WHOハノイ事務所のパスカル・ブルードン代表にベトナム政府と緊急に会議を開くよう相談した。

 3月9日(日)、ベトナム保健省との交渉会議。
 ウルバニはハノイで起きていることを公表するよう「忠告」し、3時間にわたって粘り強く説得した。
 その結果、公表することに同意した。
 患者発生から8日目のことだった。
 押谷医師とウエキ医師も入国した。

 その頃、香港の病院で医療スタッフが肺炎で倒れていることが判明した。
 世界に広がることを考えて、診断基準を作る必要があった。
 しかしWHOの進藤奈邦子医師の所に集まる病状についての情報は、ウルバニ医師からのメールしかなかった。

・潜伏期は3〜5日とインフルエンザより長く、感染力も強い。
・高熱と筋肉痛で始まる。
・3-4日で肺炎が起きるが、初期にはX-ray に変化は現れない。

 3月10日、ハノイ・フレンチ病院が感染対策としての隔離目的で閉鎖される。
 押谷医師はウルバニ医師にやっと面会できた。
 しかしその時、ウルバニ医師は微熱があった。
 フレンチ病院が閉鎖された今、ベトナムには新型肺炎を診療できる医療施設が存在しない。
 その夜、ウルバニ医師はバンコクへ飛行機で飛び、WHO職員により病院に入院させた。
 入院5日後に肺炎を発症、徐々に意識が遠のいていった。
 妻が病院に駆けつけ、ウルバニのメール情報がWHOを動かし、「グローバル・アラート」が発せられ、世界中の人のために役立っていると話すと、ウルバニは微笑んだ。

 3月29日、ウルバニ医師死亡。
 
 ウルバニの情報から、新型肺炎の正体が判明していった。
 彼の死から1ヵ月後、ベトナムで新型肺炎の最後の患者が退院し、流行は終息した。

 ウルバニの遺体はイタリアの故郷に運ばれ、埋葬された。




■ 「SARSと闘った男〜医師ウルバニ 27日間の記録〜(2004年2月15日放送、NHK-BS)
 去年3月、世界がまだ新型肺炎SARSの存在に気がついていなかった時、一人の医師が未知のウィルスと格闘していた。ベトナムのWHO事務所の職員、カルロ・ウルバニだ。ウルバニは院内感染の広がるハノイ市内の民間病院に留まり、ウィルスの脅威を世界に発信し続けた。世界はウルバニからの情報で、対策に動き出すが、ウルバニ自身は感染し亡くなっていった。ウルバニがSARSと闘った27日間を証言とメールで辿る。


DVD書籍も発売されています。

■ NHKアーカイブス「未知のウイルスとの闘い」
2014年11月16日放送:NHK総合

(オープニング)
 今週は、エボラ出血熱について紹介すると伝えた。1976年発症が確認されてから、今年大きく被害が出ていて、10月の国連安全保障理事会では、国連エボラ緊急対応ミーティングも設けられバンベリー代表も、いまエボラ出血熱を抑え込めなければ対処法すらわからない前例にない事態に陥ると発表した。これまで人類は未知のウイルスの対応に追われ、1918年にはスペインかぜでは死者4000万人以上を出している。
 2003年の新型肺炎SARSが、中国から東南アジア、カナダまで影響を及ぼした。今日は、SARSに対し取り組んだ医師、押谷仁さんを取材。更に2004年に放送した「SARSと闘った男 医師ウルバニ27費間の記録」をあわせ放送すると伝えた。

◇NHKスペシャル SARSと闘った男~医師ウルバニ 27日間の記録~
 2004年に放送されたNHKスペシャル「SARSと闘った男」の映像が紹介。2003年、ベトナム・ハノイに未知のウイルス「SARS」が発症し、感染は香港、シンガポール、カナダまで広がり700人を超える死者が出た。その新型肺炎と闘った医師や看護師も7人が亡くなっている。そこで1人の医師、カルロ・ウルバニ医師も自ら感染し命を落とした人物である。ウルバニ医師は、自ら闘う中で世界にメールを発信した事で、感染拡大の防止に向け動き始めたと伝えられた。

◇謎の肺炎患者との遭遇
 イタリアで生まれたカルロ・ウルバニ医師はWHOに所属する感染専門の医師だった。2000年7月、43歳の時にベトナム・ハノイに入りマラリアや感染症などを研究するようになったが2003年3月3日、ハノイ・フレンチ病院からの謎の肺炎患者発生で事態は一変した。ウルバニ医師は集中治療室に案内されると、48歳男性患者は昏睡状態に陥っていて人工呼吸器をつけていた。当時について、ウルバニ医師を知るオリビエ・カタン医師は患者を診て驚き、こんなに早く悪くなるのは考えられない、更に肺が真っ白になっていた事から、ウルバニ医師は普通のインフルエンザではない、原因を突き止めなければと語っていたと伝えられた。そこで患者が中国からベトナム・ハノイに来て直ぐにかかった事から当時、中国で原因不明の肺炎が流行っていた事から患者と肺炎が繋がっているのではないかと考えていた事が伝えられた。早速、ウルバニ医師は男性患者の中国での情報を細かく知りたいとWHOにメールをしていた。
 ベトナム・ハノイで確認された男性患者の行動から、中国・広東省で謎の肺炎の情報を得ようとしていたのが、押谷仁さんである。WHOのアジア地域の感染症対策の責任者だった押谷仁医師は、当時について症状から国境を超えて発症したとすれば国際的に広がる可能性があると語った。しかし当時、中国政府は別のウイルスをあげ調査団を入れる事も拒否した事が伝えられた。その後、押谷医師は中国側はクラミジアが原因と発表しているが症状から別のものと判断、監視が必要だとウルバニ医師にメールを送っていた。その後、ベトナム・ハノイで発症した患者が香港など医療設備が整った病院に行きたいと申し出たが、ウルバニ医師は反対したが現実、出国を止める権限もなかった事で患者は香港に出国、8日後に死亡したと伝えられた。

◇感染拡大の危機
 ベトナム・ハノイにあるハノイ・フレンチ病院から男性患者が出国してから新たな事態が発生。看護師達が高熱を出し、次々と倒れた事が、カルロ・ウルバニ医師のメールで発表された。その1人、グエン・ティ・シン看護師は「今まで経験した事がない疲れを感じ、歩く事も出来なかった」と述べた。またグエン・ティ・メン看護師も「鳥肌がたち痙攣のような奮えが襲った」と語った。発病した看護師は一般患者と同じ病棟に入院した事で、ウルバニ医師は、感染防止対策を強くするよう指示した事がメールで語ったと伝えられた。その後もウルバニ医師は看護師から聞き取りをし、患者の身体に触れただけで感染した事も明らかになった。
 当時、WHO本部も中国とベトナム・ハノイで起きている症状について注目し当時、進藤奈邦子医師は中国の肺炎について研究者達と連絡をとっていたが確かな情報は確認がとれず、カルロ・ウルバニ医師からのメールだけが謎の肺炎の実態を伝えていた。ウルバニ医師のメールで男性患者が25人、その内10人が異常を訴え入院している。患者らは別の患者との接触があり会話の中で咳やつばも何もマスクなど防御なく時間を過ごした事も明らかになった。進藤医師は、どういう症状、治療が有効で無効な治療は何か、とにかく情報が欲しかった中、ウルバニ医師だけが確認出来る術だったと述べていた。
 カルロ・ウルバニ医師の活動が紹介。昔からアジアやアフリカをまわり貧しい人達のための医療活動を続けてきた人物である。国境なき医師団にも加わり、カンボジアでは感染症に苦しむ子供たちの診療にもあたっていた。その経験を活かしたいと自らベトナムにいくと選択した事が伝えられた。当時、ウルバニ医師は、どんな人にも区別なく満足な医療を提供したい、どんな生涯にも屈しない事、いつも患者らの傍らにいることが大事だと語る映像が流れた。
 当時、中国にいた押谷医師のもとにはベトナム・ハノイからのカルロ・ウルバニ医師からのメールが毎日、届いていた。患者の様子からも押谷医師は、ウルバニ医師が入り込み過ぎてないか不安に感じていたと述べていた。ここで、ウルバニ医師は忙しくても子ども達との時間を大切にしていた事が紹介。当時、妻のジュリアーナさんは感染を恐れ病院に行かないでと頼んだが、病院には子どもを持つ母親達もいる、それを放っておけないと言っていた事があきらかになった。そして3月6日、香港に運ばれた男性患者の同僚が高熱を出した事で、外にも感染が広がっていると不安になった事が伝えられた。

◇国家の壁
 3月7日、カルロ・ウルバニ医師は自分1人では感染を防止するのは不可能と感じ、ベトナム保険省に対し、WHOに援助を要請するよう専門家の派遣を受けるべきと提案するも受け入れられなかった事が伝えられた。ウルバニ医師は未知のウイルスをベトナム・ハノイで食い止めたいのにと「集団感染の発生」でメールしていた。そのメールを確認した押谷医師はベトナム行きを決意した事が語られた。その後、押谷医師はアメリカ・アトランタにある感染症対策の専門期間「CDC」アメリカ疾病対策センターに応援を求め、当時一緒に行動したのがティム・ウエキ医師だった。当時について、ウエキ医師は感染力が強く危険なものである事が理解した。世界中に優秀な学者は多いが未知のウイルスについて説明出来たのはウルバニ医師だけだったと思うと語った。
 その後、WHOは押谷医師もティム・ウエキ医師も政府からの要請なく入国は出来なかった事が伝えられた。事態を打開する為、ウルバニ医師は世界に公表しようと決意した。ベトナム保健省と交渉するも、公表を待って欲しいと言われた、全ての決定を来週に持ち越した事が明らかになった。ベトナム保健省のチン・クァン・ヒュアン局長は、何が起こっているか分からないのに公表は出来ない、判断後にしようと考えたと語った。

◇襲いかかるウイルス
 保健省との交渉に失敗したあと、医師や看護師たちに肺炎の症状が現れた。未知のウィルスによる肺炎だった。ウルバニ医師がもっとも恐れていたことだった。肺炎患者の病棟を別にし、警備員が玄関に配置された。感染を恐れて病院から逃げるスタッフも現れた。ウルバニ医師は患者のもとにいつづけ、症状を記録していた。
ウルバニは、WHOのハノイ事務所の責任者に保健省との会議を緊急に開くよう訴えた。ウルバニは押谷医師にメールをし支援できるよう頼んだ。ウルバニは、ハノイで起きていることを公表するよう、医師の良心をかけて訴えた。保健省の代表は、大変な病気だと思っていなく、公表することを躊躇していた。ウルバニの粘り強い説得によって、世界に伝えることに理解を示した。ウルバニが未知のウィルスと遭遇して7日目のことだった。

◇世界への警告
 WHO本部に、香港で新たに重症の肺炎が広がっているという情報が届いた。WHOは緊急に警告を出すことにした。そのためには、診断基準が必要となる。ウルバニ医師は、進藤医師に、どんな症状と経過をたどるかメールで送っていた。そのおかげで、グローバル・アラートを出す段階で診断基準ができていたという。

 ウルバニ医師が未知のウィルスを見つけて9日目、フレンチ病院は肺炎患者を残して閉鎖された。押谷医師もハノイに到着した。その日の夜、ウルバニ医師はバンコクに向かい、バンコクの病院に入院させた。ウルバニ医師は、肺炎に感染した。ウルバニ医師はバンコクに来て、他の人に感染させるかもしれないことを悩んでいたという。
病院にくることを止められていた、ウルバニ医師の妻がかけつけた。ウルバニ医師が世界に警告を伝えていたことをWHOの職員が伝えた。ウルバニはウィルスを見つけて27日目に亡くなった。新型肺炎SARSの脅威を示したグローバル・アラートを紹介、その後、ウィルスの正体が明らかになった。ベトナムは新型肺炎を制圧した最初の国になった。ウルバニ医師は故郷の人たちの拍手で迎えられた。墓には、国境なき医師、と刻まれている。
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