かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

高松塚不祥事に見る我が国官僚の構造的問題

2005-09-26 21:40:16 | Weblog
 二匹目のドジョウはやっぱりそう簡単には捕まりそうもないですね。昨日に引き続き、「いい夢」見ようと目論んだ私でしたが、逆に気負いすぎたか朝5時には目が覚めてしまって、今日は一日眠くてしょうがありませんでした。何故睡眠不足で眠いはずなのに、一旦起きるともう眠れなくなるんでしょう? 休日ならあっさり二度寝出来るんですが、仕事の日はストレスがかかるのか、覚醒直後は妙に目が冴えてしまい、かえって出かけようとする時分に眠くなってくるのです。もう、今日は早く寝ることにします。今日こそいい夢をみましょう(笑)。

 さて、我が奈良県明日香村の国宝、高松塚古墳の壁画の劣化は、文化庁の無責任体質が露呈した一大事件になりましたが、今日も文化庁の汚点が一つ加わったようです。これまで1987年の報告書で、既に壁画の退色などを情報公開していると見解を出していましたが、当時の同庁にはそんな認識がなかったことが、関係者の証言で明らかになったんだそうです。また、逆に97年には「壁画は発見当時のまま」と記者発表をしていながら、既に壁画の状態が変化しているのを認識していたこともわかったとか。まさに恥の上塗りですが、今、文化庁に勤めている人達を責めてみても、多分しょうがないでしょう。何故なら公務員は人事異動が激しく、二、三年でポストを変わっていく例が多いので、今その席に座ってマスコミ等の矢面に立っている人は、発表のあった過去には無関係だった可能性が高いのです。自分に覚えのないことで責められても、普通の人ならその理不尽さに怒りや悲しみを覚えることでしょう。でも、彼ら公務員にはそれが許されていないのですから、ある意味大変可哀想な人達と言えないこともありません。これはつまるところ、仕事の責任を個人からはるかに曖昧な組織に付け替え、結局誰も責任をとらないですますようにした、今のお役人の仕事のやり方が問題なのでしょう。皆、その席についたものは問題の大きさや緊急度を多分理解しているにも関わらず、自分がその席にいる間に問題が表面化しなければ、つつがなく問題をスルーできるのです。当たりを引かなければOK、当たりを引いた運の悪い奴が責任を持って問題の処理に当たる、と言う、システム。それも、いつ爆発するか判らない時限爆弾をリレーしているだけでなく、自分の時には爆発しないように隠蔽や虚偽の報告をして、しかもあとでそれが爆発したとしても、かつてそうやって問題の先送りをした人達の責任は問われない。これでは、どんな優秀なヒトが配置された組織でも、まともな仕事など出来ないでしょう。つまりこれは文化庁だけの問題ではなく、この国の官僚機構その物に巣くう病なのだと思われます。問題の解決よりも自分達や組織の保身を優先する連中が牛耳る社会に、明るい未来は乏しそうです。いよいよ郵政民営化法案が再び国会に提出されようとしておりますが、我が国の官僚機構の人事システムを抜本的に改革しないと、いつまでたっても、どこの省庁においても、同じような問題が生じて、貴重な文化財や時には自分の命を、そのつけに取り立てられることになるのでしょう。役人は一応厳しい選抜試験を潜り抜けてきたそれなりに優秀な人達のはずなのですから、彼らを十全に働かせるためのシステムを、考えなくてはならないでしょう。民主党党首の言うような、労働三権の付与と身分保障剥奪、と言うのは一つの方法だと思うのですが、今のままでも、まず仕事の成果に応じて正しい評価と待遇をして、まじめで仕事の出来る職員の成果にぶら下がっている寄生虫職員を処分していくだけで、公僕としてのモラルやプライドややる気のあふれた「まじめさ」を醸成することができるんじゃないでしょうか。変に労働権利を叫ぶような組合的職員を増やすよりも、その方が我々国民としてはより利益の上がるシステムになると思うのですが。

コメント
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