今日は西から迫る雨から逃げるように東京へ出張です。現場で懸念された雨はなんとか作業中はぎりぎり保ったので、明日の予定を前倒しして外での仕事を今日中に仕上げ、明日は屋内での仕事で済むように頑張ってみました。残念ながら途中雨が降ってはきましたが、傘なしで歩き回れるくらいの小雨で、作業には何ら影響なくしのぐことが出来ました。ただその代わり、やたらと風が強く吹き、その対策が厄介でした。結局実害はほとんどありませんでしたが、もう少し強く吹くようだとさすがに色々危なっかしいところもありましたから、あれくらいで済んで本当に良かったです。明日は朝から屋内での作業に取り組み、夕方には帰路につく予定です。色々遊びに行けたらいいのですが、今回はお預けですね。
さて、熊本地震を巡って、現地入りして状況を取材するマスコミが、救援活動のじゃまになったり避難生活のストレスを余計に増したりろくなことをしていない、という糾弾が、ネット上で花盛りです。確かに良識のかけらも感じられない目に余る行為や勇み足による失態とでも言うべきことも多々起こっているようではあり、それは阪神・淡路大震災や東日本大震災でも往々にして見られたもので、マスコミは教訓を活かすことも無ければ反省もしていないという非難のボルテージは上がるばかりという状況になっているように感じます。
報道がなければ国民が現地の状況を知ることができないというマスコミの言い分も、SNSの発達で現地の生々しい情報がリアルタイムに世界中に拡散する時代になっていることから、説得力に欠けつつあるようにも感じますし、そもそも国民皆が、現地の状況や被災者の苦労ぶりを詳細かつ念入りに知る必要があるのか? という疑問もあります。優先すべきは救難活動と被災者へのケアであり、それをマスコミが阻害している側面があるのなら、報道活動は制限されてしかるべきものなのかもしれません。
個人的には、それでもマスコミによる災害報道には一定の意味があるだろうとは思いますが、こと災害に関しては、視聴率・部数稼ぎを度外視して、ひとえに被災者の助けになること、災害の脅威を後世に確実に伝えること、を目的として活動してこそ、報道の正義というものが成り立ちうるのではないかと思います。SNSなどのネットの津波に呑まれず今後も生き残ろうと思うならば、マスコミこそが高邁なる理想と高潔なる精神を持って活動する存在であることを万人が認めるような姿を、今この機会に世間に見せつけるべきだと私は思います。そんなことが可能かどうかは知りませんが。
さて、熊本地震を巡って、現地入りして状況を取材するマスコミが、救援活動のじゃまになったり避難生活のストレスを余計に増したりろくなことをしていない、という糾弾が、ネット上で花盛りです。確かに良識のかけらも感じられない目に余る行為や勇み足による失態とでも言うべきことも多々起こっているようではあり、それは阪神・淡路大震災や東日本大震災でも往々にして見られたもので、マスコミは教訓を活かすことも無ければ反省もしていないという非難のボルテージは上がるばかりという状況になっているように感じます。
報道がなければ国民が現地の状況を知ることができないというマスコミの言い分も、SNSの発達で現地の生々しい情報がリアルタイムに世界中に拡散する時代になっていることから、説得力に欠けつつあるようにも感じますし、そもそも国民皆が、現地の状況や被災者の苦労ぶりを詳細かつ念入りに知る必要があるのか? という疑問もあります。優先すべきは救難活動と被災者へのケアであり、それをマスコミが阻害している側面があるのなら、報道活動は制限されてしかるべきものなのかもしれません。
個人的には、それでもマスコミによる災害報道には一定の意味があるだろうとは思いますが、こと災害に関しては、視聴率・部数稼ぎを度外視して、ひとえに被災者の助けになること、災害の脅威を後世に確実に伝えること、を目的として活動してこそ、報道の正義というものが成り立ちうるのではないかと思います。SNSなどのネットの津波に呑まれず今後も生き残ろうと思うならば、マスコミこそが高邁なる理想と高潔なる精神を持って活動する存在であることを万人が認めるような姿を、今この機会に世間に見せつけるべきだと私は思います。そんなことが可能かどうかは知りませんが。