今朝の奈良市の最低気温は19.4℃、最高気温は29.5℃、五條市の最低気温は17.3℃、最高気温は29.2℃でした。今日も朝からよく晴れましたが、昼前から雲が多くなり、午後はすっかり曇り空でした。そのためなのか、気温は昨日より若干低めだったのにやたらと日中は蒸し暑く、体に堪えました。天気予報によると今夜ひょっとしたら一雨あるかも知れず、明日は一日曇りで、明後日また雨の予報が出ています。その後しばらくこれまでより少し気温低めで推移し、といっても10月中旬としては異例の暑さのままですが、なんと日月に突然最高気温が20℃を割るかどうか、という週間予報が出ていました。10月一杯はこの調子なのかと思いきや、どうやら一気に季節が進むみたいです。多分それで10月らしい機構なのではないかと思いますが、いきなり下がる分心身への影響は大変なものになるかも知れません。早い目に秋冬用の支度をして、心して週末を迎えると致しましょう。
さて、「源氏物語」の古注釈を大学院で専攻していたタイ・バンコク出身の日本古典文学好きの女性研究者が来日、古典文学の魅力を現代人に伝えるため、古典独特の文字「くずし字」をAIで認識して現代文字に翻訳するというスマホアプリ「みを」を開発しました。スマホで撮影してアプリで解読するのに必要な時間はほんの数秒。その解析能力は、江戸時代の版本で約95%の精度を誇るそうです。これに対し、「『AIによるくずし字認識は望ましくない』『こんな研究は良くない』という国文学研究者が何人かいたとのこと。この女性は、「古典文学を広めようと頑張っているのに、自分が所属する分野の人たちに反対されるのはつらいです」とコメントしているそうですが、このニュース記事には、彼らAI反対派の国文学者たちが、何故反対するのかについては何ら情報がありませんでした。そこで軽くググってみましたが、残念ながら反対論の主張が判るような記事は発見できませんでした。
仕方がないのでここからは全く個人的な推測ですが、ゆっくりと眺めていればいくらかは読めておおよその内容が判ったり判らなかったり、というレベルの私でしたら、こんなアプリがあればもっとくずし字も読めるようになって、博物館とか行くのも更に楽しくなってくるだろうと思うのですが、人間、便利になるほど怠惰になるもので、専門の国文学者の先生方は、解読が自動化されると学生や場合によっては研究者すらも、「勉強」しなくなる、と思っていらっしゃるのではないでしょうか? このままでは、いずれ専門家ですらアプリなしでは古典を解読できなくなる、と将来を憂えていらっしゃるのかも知れません。
もしそうならある程度は共感しないでもないところもありますが、世の中は凄まじい勢いで進化を続けており、この件に関していえば、もはや反対賛成を議論する段階はとうの昔に過ぎてしまっているのではないかと思ったりします。そしてそんな時代にあるからには、例えば将棋の藤井三冠が見事活用しているように、学問を先へ進めるための道具としてAIをどう使いこなすかを考えてみてはどうでしょう? もし学生の勉強不足を懸念するなら、仮にAIがあってもちゃんと勉強するようなカリキュラムを工夫するのが教員というものだと思います。それにどうせ反対したってこの女性のようにやる人はやってそれを元にした研究とかがどんどん出てきてしまうのです。それでも戦いたいならAIではできない、AIでは深化できない、AIが苦手としていてヒトでないとできない、そんな研究を考えないと駄目でしょう。
さて、「源氏物語」の古注釈を大学院で専攻していたタイ・バンコク出身の日本古典文学好きの女性研究者が来日、古典文学の魅力を現代人に伝えるため、古典独特の文字「くずし字」をAIで認識して現代文字に翻訳するというスマホアプリ「みを」を開発しました。スマホで撮影してアプリで解読するのに必要な時間はほんの数秒。その解析能力は、江戸時代の版本で約95%の精度を誇るそうです。これに対し、「『AIによるくずし字認識は望ましくない』『こんな研究は良くない』という国文学研究者が何人かいたとのこと。この女性は、「古典文学を広めようと頑張っているのに、自分が所属する分野の人たちに反対されるのはつらいです」とコメントしているそうですが、このニュース記事には、彼らAI反対派の国文学者たちが、何故反対するのかについては何ら情報がありませんでした。そこで軽くググってみましたが、残念ながら反対論の主張が判るような記事は発見できませんでした。
仕方がないのでここからは全く個人的な推測ですが、ゆっくりと眺めていればいくらかは読めておおよその内容が判ったり判らなかったり、というレベルの私でしたら、こんなアプリがあればもっとくずし字も読めるようになって、博物館とか行くのも更に楽しくなってくるだろうと思うのですが、人間、便利になるほど怠惰になるもので、専門の国文学者の先生方は、解読が自動化されると学生や場合によっては研究者すらも、「勉強」しなくなる、と思っていらっしゃるのではないでしょうか? このままでは、いずれ専門家ですらアプリなしでは古典を解読できなくなる、と将来を憂えていらっしゃるのかも知れません。
もしそうならある程度は共感しないでもないところもありますが、世の中は凄まじい勢いで進化を続けており、この件に関していえば、もはや反対賛成を議論する段階はとうの昔に過ぎてしまっているのではないかと思ったりします。そしてそんな時代にあるからには、例えば将棋の藤井三冠が見事活用しているように、学問を先へ進めるための道具としてAIをどう使いこなすかを考えてみてはどうでしょう? もし学生の勉強不足を懸念するなら、仮にAIがあってもちゃんと勉強するようなカリキュラムを工夫するのが教員というものだと思います。それにどうせ反対したってこの女性のようにやる人はやってそれを元にした研究とかがどんどん出てきてしまうのです。それでも戦いたいならAIではできない、AIでは深化できない、AIが苦手としていてヒトでないとできない、そんな研究を考えないと駄目でしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます