かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

15.奇跡 その6

2008-03-05 08:02:24 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「ハンス!」
 悲痛な蘭の叫び声も虚しく、ハンスの長身が、文字通り掃除機を前にしたほこりのように傍らを飛び過ぎた。美奈も何とか顔を上げたが、悲鳴を上げることすら出来ないまま、ハンスが暗黒の穴に吸い込まれていくのを見つめるばかりだ。だが、ハンスの身体はすんでの所で消滅を免れた。死夢羅の左手ががっしりとハンスの喉元をつかみ取ったのだ。更に死夢羅は、ハンスの長身を高々と持ち上げた。ハンスの足が床から一〇センチ近くも浮き上がり、顔が苦痛と呼吸困難にゆがむ。
「お前の先祖はなかなか立派な男だったが、末裔はどうしようもなく堕落したな、え? ハンス・ゲオルグ・ヴァンダーリヒよ」
 ハンスは返答の代わりに手にしたレイピアを振るって死夢羅に斬りつけた。だが、死夢羅はあっさりと右手の鎌でハンスの攻撃をはねつけた。その衝撃でレイピアが飛び、瞬く間にブラックホールに呑み込まれて消えてしまう。ハンスは死夢羅のくびきを逃れようと、両手で必死にその左手首を握りしめたが、死夢羅は眉一つ動かさず片手でハンスを吊り上げ続けた。
「先祖の名を汚す愚か者は、このわしが直々に粛正してくれる。だが、反省して闇に還る積もりがあるなら答えるがいい。お前の先祖との旧交に免じ、わしがお前を鍛え直してやろう」
「ダ、ダレガ死神ノ手先ニナドナルモノデスカ!」
 ハンスは苦痛に呻きながらも、精一杯の声を振り絞り、死夢羅に叫んだ。死夢羅は、心底面白くないと表情をゆがめて、溜息をついた。
「所詮残りかすは残りかすでしかないか。正統なる血筋なればこそ、あるいはと思ったのだがな・・・。もういい。死ね」
 死夢羅の左手が離れた。たちまちハンスの身体が、頭上の暗黒に向かってふわりと浮き上がり、美奈、蘭、麗夢の息を呑む悲鳴が交錯した瞬間。
 ハンスの右手が、まっすぐ死夢羅の胸に突き出されていた。その手にしているのは、さっきまでの細身の剣ではない。それよりも遙かに重厚で巨大な、一振りの大剣だった。その剣が死夢羅の胸を突き破り、後ろの床に深々と打ち込まれていたのだ。死夢羅は信じられぬ思いでその剣を見、そして、今にも暗黒に呑み込まれようとしていた青年の顔を見て、更に驚愕の表情で固まった。
「お、お前は・・・」
『私の実験材料を勝手に処分して貰っては困るな、オーナー』
 ハンスの顔の前に、穏やかに微笑みを浮かべる透明な高原の顔が重なっていた。死夢羅は必死にその剣から逃れようともがいたが、はじめに貰った一撃と異なり、その剣はけして死夢羅から抜けようとはしなかった。
「な、何故抜けぬ? き、貴様! 一体何をしたぁ!」
『燃え尽きる前の最後の輝きという奴かな』
 高原の顔が晴れやかに笑った。死夢羅は愕然となって、その影のない笑顔を見た。
「ま、まさか! あれほどわしを憎んでいた貴様が・・・、神も愛情も幻想だと断言した貴様が、どうして・・・」
 憎しみに囚われた力なら、死夢羅は容易く自分のものに吸収することが出来た。初めの一撃はそのために全く通じなかったのだ。だが、今高原が繰り出した剣には、死夢羅が必要とする憎しみも、怒りも、悲しみも、およそ負の感情が一切混入していなかった。逆にもっとも忌むべき力、愛情と慈しみの波動が、色濃く載せられていたのである。
『私はようやく悟ったのだ。人にとってもっとも価値ある幻想が何かを。だから私は、憎むのをやめた』
「あ、あれ!」
 ブラックホールの吸引力が失せ、美奈はようやく顔を上げることが出来た。そして、見た。透明な高原に寄り添うように柔らかな光を放つ、うら若き女性の姿を。麗夢と蘭も、背中に真白い鳩のような羽を柔らかく広げながら、おだやかに微笑む和風美人の顔を見上げた。高原は死夢羅から視線をはずすと、ややはにかみながら、心底うれしそうにその女性に笑いかけた。女性は黙って高原に手をさしのべた。高原もまた笑顔を返しながら、その手を取った。途端にハンスの身体が床に落ちた。死夢羅の胸に突き立った剣が跡形もなく消え失せ、高原とその女性-在りし日の幸福を再現した好美とが、しっかりと手を携えて消えていった。死夢羅もたまらず膝をついた。麗夢は、跳ねるように飛び起きると、まだ苦しげに手をついたままの死夢羅に剣を突きつけた。蘭、美奈も麗夢に習ってそれぞれの得物を死夢羅に向けた。
「終わりね。観念なさい」
 死夢羅は苦しげに首を回し、まだ生きている左の目で麗夢を見上げた。が、その唇は奇妙に笑みを刻んでいた。
「勝ったと思っているのなら、甘いな、麗夢よ」
「この期に及んで何を・・・」
「麗夢さん! スイッチ!」
 美奈が気づいたときにはもう遅かった。死夢羅は身体に隠すようにして持っていたリモートコントロール装置のスイッチを、思い切り押し込んだのである。その途端、どこか上階の方でくぐもった機械音がこだました。
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