投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年12月22日(火)09時12分8秒
>筆綾丸さん
>『翼のはえた指─評伝安川加壽子』
ピアニストとして華やかに活躍する一方、優れた教育者として、また堅実な家庭人としても充実していた安川加壽子の人生が、1978年のリウマチの発症以降、急激に暗転して行く様子を青柳氏は詳細に描き出すのですが、本当に痛ましいですね。
発症の五年後、1983年7月に結果的に最後となるリサイタルを開いた後は、再建手術を行うも望ましい結果は得られず、指の腱が切れたり炎症になったりし、更に「九〇年ころから、ボタンホール(ボタン穴からボタンが出るように、腱膜の間から関節がとび出してくる)、スワン(指先が白鳥の首のように曲がる)、尺側偏位(手指が小指側に曲がる)など、リウマチ特有の関節脱臼による指の変形が顕著となりはじめる。九一年には、右手の握力が三分の一、左手は半分に落ちてしまった」という状況だったそうです。(p280)
しかし、この後、青柳氏は次のように続けます。
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加壽子の謙虚さは、手を傷めた後、「もう一度、ショパンのエチュードからやり直さなくてはならない」と言っていたことからもうかがわれる。積み重ね、年輪を経てきたものが一瞬にして失われてしまった、普通は、それまでの名声を後ろ楯に楽壇の重鎮として生きていけばよいと思うところだろうが、手が利かなくなってしまったから、赤ん坊と同じようにもう一度それまでの積み重ねを一からやらなくてはならない、と考えるところに、加壽子の偉大さ、演奏家としての真摯な態度があった。
加壽子は、私のような下々の門下には、今、私の手はヴァカンス中なのよ、とさらりというだけだったが、親しい山岡優子には、「メトード・ローズでもいいから、もう一度弾きたい」ともらしていたと伝えきく。めったに真情を吐露しなかった加壽子だけに、その辛さは、はかってもはかりきれないものがある。
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正直に告白すると、私はメトード・ローズという言葉自体を聞いたことがなかったので、最初に読んだときは「メトード・ローズでもいいから、もう一度弾きたい」という表現の悲痛さが分かりませんでした。
メトード・ローズを知らずに『翼のはえた指─評伝安川加壽子』を読み通した人は相当に珍しいのではないかと思いますが、現在の私の教養はその程度なので、少しずつ地味に知識を増やして行くしかないですね。
なお、メトード・ローズを知らなかった野蛮人の私の辞書にも一応「バイエル」は存在しており、まあ、これも日本における音楽教育がドイツ偏重であったことの反映ではあるのでしょうね。
>ピアノの練習は何時されているのだろう
現在は執筆活動が中心で、ピアノは年一回のリサイタル前に集中してやっておられるようですね。
>皇后陛下
また歌会始の時期が近づいてきましたが、昭和天皇亡き後、皇室の和歌の水準を維持されているのも実質的に皇后陛下ですから、本当に多才な方ですね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「1903年12月12日ー1963年12月12日」 2015/12/21(月) 21:17:32
小太郎さん
『翼のはえた指─評伝安川加壽子』は面白そうですね。いま、『六本指のゴルトベルク』を眺めていますが、青柳氏の読書と執筆の量を考えると、ピアノの練習は何時されているのだろう、と思いますね。
皇后陛下は現在の皇族の中で、いちばんのインテリですものね。
https://www.youtube.com/watch?v=AkpPlOaS_kc
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%85%84%E5%A6%B9
このところ、小津安二郎の映画を画質の悪い YouTube で見ていますが、『戸田家の兄弟』の公開は1941年3月1日とのことで、あの時代にこんな映画がありえたのか、と驚きます。
この映画は財界の大立者が妻の還暦祝いの日に亡くなることから始まりますが、小津の生没年(1903年12月12日ー1963年12月12日)を考えると、不気味なまでの作品で、蓮實氏のようなことでも言わなければ、落ち着かないものがあります。
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・・・いずれにせよ、小津安二郎は還暦の年の六十歳の誕生日に死ぬ家長を題材とした作品を撮って何の不思議もない作家なのである。現実には、そんな作品は存在していない。正確に六十回の誕生日に途絶えることになる小津自身の生涯が、その存在していない作品なのである。その意味で『戸田家の兄妹』の冒頭に据えられた記念撮影の光景は、小津的なフィルム体系の負の中心とも呼ぶべきものかもしれない。その一点で、虚構と現実が、陰画と陽画とがぴたりと重なりあってしまうのだ。これはおそらく、小津安二郎が、才能を超えた何ものかに恵まれていたことを証明する事実でもあるだろう。(『監督 小津安二郎』増補決定版150頁)
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『翼のはえた指─評伝安川加壽子』は面白そうですね。いま、『六本指のゴルトベルク』を眺めていますが、青柳氏の読書と執筆の量を考えると、ピアノの練習は何時されているのだろう、と思いますね。
皇后陛下は現在の皇族の中で、いちばんのインテリですものね。
https://www.youtube.com/watch?v=AkpPlOaS_kc
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%85%84%E5%A6%B9
このところ、小津安二郎の映画を画質の悪い YouTube で見ていますが、『戸田家の兄弟』の公開は1941年3月1日とのことで、あの時代にこんな映画がありえたのか、と驚きます。
この映画は財界の大立者が妻の還暦祝いの日に亡くなることから始まりますが、小津の生没年(1903年12月12日ー1963年12月12日)を考えると、不気味なまでの作品で、蓮實氏のようなことでも言わなければ、落ち着かないものがあります。
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・・・いずれにせよ、小津安二郎は還暦の年の六十歳の誕生日に死ぬ家長を題材とした作品を撮って何の不思議もない作家なのである。現実には、そんな作品は存在していない。正確に六十回の誕生日に途絶えることになる小津自身の生涯が、その存在していない作品なのである。その意味で『戸田家の兄妹』の冒頭に据えられた記念撮影の光景は、小津的なフィルム体系の負の中心とも呼ぶべきものかもしれない。その一点で、虚構と現実が、陰画と陽画とがぴたりと重なりあってしまうのだ。これはおそらく、小津安二郎が、才能を超えた何ものかに恵まれていたことを証明する事実でもあるだろう。(『監督 小津安二郎』増補決定版150頁)
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