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「空想の建築―ピラネージから野又穫へ―」

2017-01-16 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月16日(月)22時10分54秒

ピラネージに関する邦文の書籍のうち、画集では『空想の建築-ピラネージから野又穫へ-展』(町田市立国際版画美術館編、エクスナレッジ、2013)が非常に良かったですね。
判型が大きいので細部まで確認できます。
時々訪問している群馬県立近代美術館の常設展示室に野又穫の作品があり、以前からちょっと気になっていたのですが、確かにピラネージに通じるものがありますね。

町田市立国際版画美術館サイト
http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2013-181

それにしてもピラネージの『幻想の牢獄』は若干22歳の時の作品だそうで、かなりびっくりしました。
『ピラネージの黒い髄脳』では、p32に、

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 版画集≪牢獄≫、もっと正確に題を訳せば≪幻想の牢獄≫(Invenzioni Capric di Carceri 牢獄の気まぐれな考案)の初版には製作の日付が記されていないが、一七四五年の上梓と推定されている。ピラネージは、自分の作品目録のなかでこれにもっと古い日付を与えている、「一七四二年に作られた彫版」と。するとそのとき作者は二十二歳であった。
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とあり、またp34には、

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 この前代未聞の一四枚の版画シリーズと、一七四四年のもっと軽い、装飾的な≪グロテスク≫の四つの画と、この二つの版画集だけがピラネージが自分で「気まぐれ」と呼んだもの、もっとよい言い方をすれば強迫観念や幻覚に身を任せた作品なのである。大きな差異はあるものの、≪牢獄≫と≪グロテスク≫とは、いずれも、ヴェネツィア人ピラネージにおよぼした古代的ローマ的なものの最初の衝撃を記録している。≪グロテスク≫は石柱の断片、壊れた薄肉彫の石板、それに十七世紀のある種の墓石の優雅にも不吉な装飾を少しとアレクサンドリアの細密彫りの軽やかな骸骨を少し想い出させる死者の頭部などを、魅力的なロココ風ごった煮のうちにまぜあわせている。高邁な≪牢獄≫は、幻視者の頭脳の黒い暗室〔カメラ〕に写しとられたローマ的バロック的壮大の、一種の倒立した影像を提供している。後には現実と具象のうちに吸収されてしまう暗い幻想─≪ローマ古代遺跡≫はそれにまたどっぷりと浸されることになるのだが─青春期のこの二つの作品には、何ものにも拘束されぬ、いわば化学的に純粋な状態で、その暗い幻想を生きている。とりわけ≪牢獄≫については、この尋常ならざる連作の作者が若干二十二歳であったことをぜひとも想い起こしておくべきである。もしもバロック時代の画家を後期ロマン派の詩人になぞらえることができるものなら、若きピラネージの連作牢獄〔カルチェリ〕を、ランボーの─ただしその後筆を折ることをしなかったもう一人のランボーの、『イリュミナシオン』に相当するもの、とあえていってもよいであろう。おそらくこれはピラネージにとっての「地獄の季節」であったのだ。
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とあります。
ユルスナールの名文を読むとピラネージに深入りしたい誘惑に駆られますが、諸々の都合があるので、今は止めておきます。
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