投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月13日(金)14時01分18秒
ユルスナールの『ピラネージの黒い髄脳』、読み始めたばかりですが、ピラネージも意外に苦労人ですね。
少し引用してみます。(p11以下)
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ピラネージの生活、意図、性格についてわれわれの知っている詳細の大部分は、フランチェスコ・ピラネージの口から、ジャック=ギョーム・ルグランというフランス人が聞き出したもので、今日残っている画家自身の書きものはこの伝聞を裏づけている。製作に陶酔する情熱家、自分の健康や安楽を心にかけず、ローマ平原のマラリアをものともせず、ハドリアヌス離宮や、アルバーノやコーラの古代遺跡のような、そのころは訪れる人もない不健康な地に長期滞在し、その間ずっと冷えた米の飯だけで身を養い、探索と製作のための時間を少しでも割くのを惜しんで、週に一度だけ、粗末な食事のためにキャンプの火をおこした男の姿がそこにある。「彼の画の印象の真実さと厳密さ」と、十八世紀の良き精神のしるしであるあのきまじめな適確さでジャック=ギョーム・ルグランは記している、「彼の描く影の正確な投影と透明感、あるいはその描き方の幸福な奔放さ、色調の表示そのもの、それらは、灼熱の陽光のもとであれ、月光のもとであれ、実物に即した彼の厳密な観察に負うものである」。正午のめくるめく光のなか、あるいは月明の夜、他の者ならば財宝の在処をさぐったり、亡霊の姿を浮かび上がらせたりするところを、一見不動のもののなかに動き変化するものを探し、効果的な加筆の秘訣や、複線影をそえる位置を発見するために廃墟を目でさぐりながら、捉えがたいものを捉えようと待ち伏せているこの観察者を、われわれはたやすく思い描くことができる。
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「ローマ平原のマラリアをものともせず」、「訪れる人もない不健康な地に長期滞在し、その間ずっと冷えた米の飯だけで身を養い」、「週に一度だけ、粗末な食事のためにキャンプの火をおこした」云々は、現代のイタリア観光客にはなかなか想像し難い状況ですね。
さて、翻訳者が多田智満子氏だけあって、複雑な内容でもすらすら読めますが、この後、ちょっと気になる記述があります。
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過労でへとへとになったこの偉大な職人は、ろくに手当もしなかった腎臓病のために一七七六年ローマで死んだ。レッツォニコ枢機卿が費用を負担して、聖マリア待降教会に埋葬され、今日もそこに彼の墓を訪れることができる。≪幻想の牢獄≫の口絵の肖像は彼の三十歳頃の姿を示している。短く刈った髪、いきいきした眼、ローマ人の胸像に似たがっしりした肩や胸郭とは不似合いに、すこぶるイタリア風ですこぶる十八世紀風の、かなり柔弱な顔立ち。単に年代記的な観点から記しておくのだが、彼はルソーやディドロやカザノーヴァとわずか二、三歳違いで、まさしく彼らの同時代人であったし、≪奇想集≫の不安なゴヤや、『ローマ哀歌』のゲーテや、妄想に憑かれたサドや、牢獄の大改革者ベッカリーアよりも、一世代だけ年長であった。十八世紀の事象のあらゆる角度の反響と反映とが、ピラネージの奇妙な線書きの宇宙のなかで交錯し合っているのだ。
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「三十歳頃の姿」で、「短く刈った髪、いきいきした眼、ローマ人の胸像に似たがっしりした肩や胸郭とは不似合いに、すこぶるイタリア風ですこぶる十八世紀風の、かなり柔弱な顔立ち」となると、ウィキペディアのフランス語版の左側・一番上に出てくる肖像ではないかと思われますが、これは『幻想の牢獄』ではなく、『古代ローマ』の口絵のようですね。
ネットで少し検索しただけですが、『幻想の牢獄』(Le Carceri d'Invenzione)には、そもそもピラネージの肖像がないんじゃなかろか、という感じがします。
>筆綾丸さん
>谷川渥氏も『廃墟の美学』で触れていたような
早速読んでみます。
高山宏氏も『カステロフィリア―記憶・建築・ピラネージ』(作品社、1996)等の多くの著書でピラネージに触れているのですが、今は基礎知識を与えてくれる地味な本が読みたい気分なので、高田氏の軽業師的な文体が少々疎ましく、先送りしています。
大妻大学比較文化学部・高山宏(教授)
「いろいろあって悪魔と呼ばれているが、本当は親切な小市民。」
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
廃墟の美学 2017/01/12(木) 12:49:54
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B8%A5
ピラネージについては、たしか、マニアックな谷川渥氏も『廃墟の美学』で触れていたような記憶があります。
博識の如月さん、今頃、どうされているのでしょうね。
遠江国の浜松市は駿河国の静岡市への対抗意識が強いらしく、周囲の町村を吸収合併して政令指定都市になりましたが、天竜区だの北区だの、山中に区とは噴飯物だろう、と思います。静岡県と一口に言っても、遠江と駿河と伊豆では県民気質がまるで違んだ、みたいなどうでもいいことをいまだに言ってる気がしますね。
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B8%A5
ピラネージについては、たしか、マニアックな谷川渥氏も『廃墟の美学』で触れていたような記憶があります。
博識の如月さん、今頃、どうされているのでしょうね。
遠江国の浜松市は駿河国の静岡市への対抗意識が強いらしく、周囲の町村を吸収合併して政令指定都市になりましたが、天竜区だの北区だの、山中に区とは噴飯物だろう、と思います。静岡県と一口に言っても、遠江と駿河と伊豆では県民気質がまるで違んだ、みたいなどうでもいいことをいまだに言ってる気がしますね。
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