そろそろ『とはずがたり』において「有明の月」ストーリーがいかなる機能を果たしているか、という問題の結論を出したいと思います。
「有明の月」ストーリーの大きな流れを掴むため、(その1)と(その6)では、次田香澄氏の『とはずがたり 全訳注』の目次を借りて、「有明の月」が直接登場する場面には(☆☆)、間接的に話題になっている場面には(☆)をつけておきましたが、(☆☆)と(☆)の場面を除くと、巻二は次のようになります。
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1 元旦の感懐
2~5 (「粥杖事件」)
7 亀山院来訪、遊宴ののち文
8 長講堂供養、御壺合せ
10 六条殿供花、伏見の松取り
11 院「扇の女」と逢う
12 雨中に捨ておかれた傾城出家
16 院と亀山院小弓、負態に女房蹴鞠
17 負態の女楽の計画、作者の琵琶の来歴
18 祖父隆親の措置に怒り出奔
19 関係者作者を探す、醍醐に移る
21 雪の曙来訪、隆顕と三人で語る
23 院来訪、作者御所にもどる、着帯
24 曙との女児に再会
25~29 (「近衛大殿」エピソード)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f1db6de82f14d8b00d924a83f5e67774
また、巻三は、
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5 雪の曙来訪の夜の火事
9 曙の恨み言、着帯
11 法輪寺に籠る、嵯峨殿より院の使
12 大宮院と院・亀山院との酒宴
13 両院の傍らに宿直、亀山院の贈物
14 東二条院より大宮院への恨みの文
21 亀山院との仲を疑われる
23 御所を追放される、祖父隆親と対面
25~33(北山准后九十賀)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/db5720edb69d91bf372e6f4ab306d4cd
となります。
「有明の月」が存在しないと、巻二・巻三はスカスカになってしまいますが、この粗い骨組みから更に華やかな宮廷行事、後深草院単独の好色エピソード、二条と後深草院・亀山院・「近衛大殿」との好色エピソードを除くと、結局は後深草院二条が東二条院との対人関係のトラブルから宮廷を追放されたこと、そして四条隆顕が父・隆親と対立して籠居し、死んでしまったことが残ります。
「有明の月」との関係では、二条と隆顕は常にセットで登場しますし、二条も「女楽事件」で祖父・隆親と対立しているので、隆親との関係でも二条と隆顕はセットとなっています。
そうすると、結局のところ、「有明の月」という存在は、宮廷生活における人間関係のトラブルと親子関係のトラブルで、二条と隆顕がともに敗者となったという、まあ、世間にはいくらでもありそうな話を壮大な悲劇にするための舞台装置、ということになろうかと思います。
主役はもちろん二条、隆顕は脇役で、後深草院は二条の運命を翻弄する悪魔的な舞台回し、「有明の月」は後深草院に翻弄される点では二条と共通する個性的な脇役ですが、同時にこの人がいるおかげで舞台に世俗世界とは異なる深遠な宗教的雰囲気が醸し出されるので、大道具・小道具・音響・照明という裏方の取り纏め役も兼ねていますね。
以上はあくまで『とはずがたり』という自伝風小説の中における架空の人物「有明の月」の機能の分析ですが、次の投稿では、現実世界で、四条家の総帥である隆親にとって、二条と隆顕がいかなる機能を果たすべき存在として期待されたか、を検討したいと思います。
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