幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「戦争体験と経営者」立石泰則著 "二度と戦争は起こしてはならない!”

2019-03-12 08:35:35 | 本の紹介
・多くの学生は徴兵免除がある理系に押しかけ、終戦とともに文系に移っていったのである。そのひとりに堤(清二)がいたことは、間違いないであろう。

・戦場へ行って残虐な行為をしてしまうというのも、慣れてしまって、つまり言いかえれば正常な感覚がマヒしてしまえば十分に起こり得ると思った。だから戦争は怖い、戦場へ行っちゃいけないんだと思いましたね(堤)。

・敗走する兵士たにには十分な補給がなされなかったため、逃げ惑うジャングルの中で飢餓とマラリアなどの病気に苦しめられ、多くの日本兵は戦う前に死亡するか、病気で倒れることになった。そんな彼らの屍が積み重なり、いわゆる「白骨街道」と呼ばれる道が出来たほどだった(インパール作戦)。

・中内(功)たち兵士はルソン島の山中を敗走しながらゲリラ戦を戦わなければならなかった。その敗走中に、中内たちを苦しめたのは強烈な飢餓感であった。中内は蚤と蠅、蚊以外なら油虫でもミミズでも山ヒルでも食べられるものは何でも口にした。しかし、中内をもっとも苦しめたのは、戦友たちが想像を絶する飢餓感から死んだ傷病兵の人肉を口にする、つまり「人肉食い」の噂だった。このような苛酷な戦争体験から、中内は「頼れるのは自分だけ、自分しか信じられない」と人間不信に陥ったと言われる。

・「日向さん、本気ですか? あなたの息子さんが戦争に行って、戦死してみいいんですか?」それなのに徴兵制を復活させ、本格的に再軍備しようなんて話をするから、僕も熱くなって本気で反論した。人間と人間が殺し合うなんて、あんな悲惨なことは、どんなことがあっても避けないかん・・・(中内)。

・「戦争は悲惨で残酷なものです。あのような悲惨な事態を二度と起こしてはいけません」(ノモハン事件の戦闘に参加 ケース電気創業者・加藤馨)

・明細伝票で請求するやり方は、多くのお客に好評だった。口コミで広がり、まもなくラジオの修理依頼が殺到するようになった。もう一つは、無料修理のサービスである。「タダだから、喜んでもらえる」(加藤)。

・「私は、生きているのではなく生かされているのです」(ワコールのの創業者 塚本幸一)

・「(所属した小隊の)55名のうち私を含む3名だけが生き残った。結局、52名の戦友の犠牲のうえに、・・・、自分は生かされているのだと思うようになったのです。そう考えないかぎり、自分の生還の理由が理解できません」(塚本)。

・塚本によれば、塹壕の中から敵の様子を窺っていると、たまたま塚本が足元の何かを拾おうと屈んだとき、敵の銃弾が並んでいた友人の顔を打ち抜いたというのだ。そのとき、自分が死んでもおかしくなかったのだと。

・「白骨街道」を歩いたことで、インパール作戦は塚本幸一の心に深い傷跡を残したのだった。生き地獄としかいいようのない戦いだった。人柱となった戦友の背や白骨を橋にして渡った。そんな非道な行為はいかに極限状態の戦場とはいえ、まともな神経でできるものではない。さらに、塚本はインパール作戦の無謀さ、それを強いた陸軍上層部を非難して止まらなかった。
「なぜ、俺は生きているのだ」
「どうして、俺だけが生き延びたんだ」

・私の怒りは、わが子を殺すまで追い詰めた戦争の集団心理よりも彼らを置き去りにした日本軍に向かった。国民の生命と財産を守らない軍隊にどんな存在価値があるというのか。そもそも、海外に居留する日本人の生命と財産を守るためという大義名分のもと朝鮮や中国、アジアへ侵攻したのではなかったのか。

・満州を支配した日本軍は関東軍と呼ばれたが、その関東軍の将校だった神撫に記者が民間人を置き去りにした理由を質問した。元将校はそれも分からないのかと記者の不勉強を呆れたと言わんばかりに、そしてこどもを諭すように答えた。
「日本の軍隊は皇軍と言いますよね。皇軍の意味はご存じですか皇軍とは、天皇の軍隊という意味です。つまり、天皇を守るのが皇軍の務めです。だから、国民を守るのが日本軍の、皇軍の務めではありません」。

・日本の軍隊は(兵士の)人命軽視が甚だしい」(加藤)。

感想
戦争体験者が語る”戦争”。
私たちはそれを忘れてはいけないのだと思います。

しかしながら、学校教育では教えていません。
本を読んで知りました。
ワコール創業者の塚本幸一はインパール作戦に参加。

母の弟はガダルカナル戦で戦死。
義父はシベリア抑留

時が過ぎると近くに戦争体験者がいなくなります。
きちんと次世代に戦争の悲惨さを伝えて行かないとまた同じ過ちを犯してしまいそうです。
・秘密保護法
・集団自衛権
・共謀罪 など
昔の治安維持法のように国民への自由な情報提供を取り締まったり、戦争に反対する人を取り締まったり、戦争ができる準備を少しずつ進めているように危惧しています。
昔も、気づいたら「戦争反対!」とは言えなくなっていたと義父が言っていました。

3.11から8年 “トモダチ作戦”で被曝した米兵23人が癌に 米連邦地裁は米兵の訴訟を却下 "せめて十分な補償を!” 

2019-03-11 02:42:02 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20190310-00117650/ 飯塚真紀子 | 在米ジャーナリスト 3/10(日)

大震災と原発事故後、トモダチ作戦の下、多くの米兵が被災地の救援活動に従事した。(提供:U.S. Navy/アフロ)
 東日本大震災と福島第一原発事故から、まもなく8年。
 福島第一で汚染水処理問題が続く中、カリフォルニア州サンディエゴでは、2つの集団訴訟が却下の憂き目にあっていた。
 3月4日(米国時間)、サンディエゴにある連邦地方裁判所が、「トモダチ作戦」の名の下、被災地の救援活動に従事した420名を超える米兵たちが被曝により健康被害を受けたとして、東京電力と原子炉を設計したジェネラル・エレクトリック社(GE)に対して起こしていた2つの集団訴訟を却下したのだ。
 1件目の提訴は2012年、2件目は2017年に起きており、それぞれ、医療費など1ビリオンドル以上の損害賠償を求めていた。
 当時、米兵たちは、サンディエゴを基地にしている空母ロナルド・レーガン号に乗船し、韓国に向かっていたが、大地震により津波が発生したため、福島沖から被災地に救援物資を運ぶなどの活動に従事することとなった。
 しかし、米兵たちは、津波がメルトダウンを引き起こしたことや太平洋に放射性雲が広がっていることは知らされていなかった。また、原発事故後最初の一週間は、放射線防護のない状態で、船上で活動した者もいた。
 救援活動にあたった米兵の中には、甲状腺癌、胆嚢癌、脳腫瘍などの癌を発症し、亡くなった者もいるという。また、直腸出血、頭痛、脱毛などの症状が現れたりした者や先天性欠損症のある胎児を身ごもった女性もいるという。
不倫・隠し子問題で失脚したエドワーズ氏が弁護
 そんな米兵たちの弁護を担当しているのは、元上院議員のジョン・エドワーズ氏をはじめとする弁護士たち。エドワーズ氏は、2004年の大統領選に出馬したジョン・ケリー民主党大統領候補が副大統領候補に指名した“民主党のホープ”だった。乳がんと戦っていた妻と二人三脚で歩んできたことでも知られていたが、2008年の大統領予備選の最中に不倫と隠し子問題が発覚、政治家としては失脚した。エドワーズ氏は、その後、弁護士としての活動に復帰、現在、娘のケイト・エドワーズさんらと米兵たちの弁護にあたっている。
 米兵たちの訴えに対し、東京電力側の弁護士は、米兵たちが受けた被曝量はごくわずかで、救援活動に従事した7万人の米兵中300~400人が健康被害を受けるほどではないと主張。救援活動中の被曝と健康被害に因果関係を認めていない。
 しかし、ケイトさんは因果関係があると主張、2017年11月、弁護士が購読している裁判所ニュースサービスのインタビューで、こう訴えている。
「なぜ、若く、健康で、鍛えられた人々が癌になるの? 甲状腺の問題を抱えているの? 偶然だとは思えない。外的要因がなければ起こり得ないこと。彼らはみな福島で被曝するという同じ体験をしているのよ」
 ケイトさんによると、原告のうち23人が癌に罹患しており、彼らの多くは20代初めに福島の救援活動に従事していたという。また、乗船していた米兵の中には手足を自由に動かせなくなったり、背部に問題を抱えていたり、視力を喪失したりなどの変性疾患を抱えている者もいるという。
 米兵の子供や胎児にも影響が見られるようだ。ある米兵の子供は、生後26ヶ月の時、脳腫瘍と脊椎癌で亡くなり、ある女性米兵は妊娠中に先天性欠損症のある胎児を宿していることがわかり堕胎を選んだという。
 米兵たちが受けた被曝量もごくわずかではないかもしれない。筆者が訳した『封印された「放射能」の恐怖』(講談社刊)の著者クリス・バズビー博士は、事故後、米国エネルギー省が各地で測定した線量データを入手していたが、それによると、福島から500キロも離れた太平洋上の船上でも、大量のヨウ素とセシウムが測定されていた。
日本の司法制度では公正な裁判が受けられない
 審理では、司法権が日米どちらの管轄になるのかが焦点となった。東京電力もGEも、訴訟は日本の管轄下にあると主張。
 しかし、エドワーズ氏は、米兵たちの視点から物事を見るべきだとして、以下のように訴えた。
「彼らはアメリカの海兵隊員であり、アメリカに仕えているアメリカの従業員で、同盟国である日本の政府(東電の株の大半を所有している)のリクエストでアメリカの船に乗船して海外の海に送り出された。海外の洋上で、アメリカの船に乗船しているということはアメリカの国土にいるということだ。原告の大半はサンディエゴをベースにしており、GEはサンノゼの本社で原子炉を設計したので、訴訟はカリフォルニア州で行われるべきだ。彼ら(東電やGE)は日本でなら訴えを消し去ることができると思い、日本での訴訟を望んでいるのだ。それが彼らの戦略だ」
 米兵たちは、日本の司法制度では、公正な裁判を受けられないと感じているという。日本の被災者や遺族が十分な慰謝料を得られていないからだ。
 また、裁判が日本で行われる場合、日本の原子力損害賠償法では、責任が追求されるのは原発を運営していた東京電力で、原子炉を製造したGEに対しては責任が追求されず、GEに対する訴訟は却下されるという。
 “フェアウィンズ・アソシエイツ”のチーフエンジニアを務める原子炉専門家アーニー・ガンダーセン氏も、GEに対する訴訟については、
「格納容器の設計、津波の高さの想定、原発の海抜の高さなど、福島第一原発事故の致命傷となったものは、“メイド・イン・アメリカ”なのです。ゆえに、GEはアメリカで訴えられるべきです」
と主張していた(詳しくは、福島原発事故の被害者団体がGEに対して“500ミリオンドルの集団訴訟” ボストンの連邦裁に提訴をお読み下さい)。
米兵の日本渡航は困難
 しかし結果的に、判事は、原告にとって日本で訴訟を起こす方がカリフォルニア州で訴訟を起こすより難しいことは認めつつも、原告は日本で訴訟を起こし、日本の法律が採用されるべきだと判断したのだ。
 日本で訴訟する場合、米兵たちは日本に渡航しなくてはならない。日本にいる弁護士を雇い、医療記録を和訳するなどの作業をする必要もある。また、健康上の理由から、日本への渡航が困難な者も少なくないだろう。何より、訴えが却下されたことで、原告側から望みが失われてしまったのではないか。
 弁護士団の一人、ポール・ガーナー弁護士は、3月6日(米国時間)、今回却下されたことについて「正義というものを信じられないほど茶番にしている」と憤り、
「病気になったり死んだりしているアメリカの人道主義者たちが、日本で意味のある賠償を得られるというのは作り話だ。我々は、クライアントたちがアメリカの司法制度下で賠償を得られるよう、さらなる手段を講じるつもりだ」
と控訴する構えを見せている。
 被曝した米兵たちの闘いはこれからも続く。

https://synodos.jp/fukushima_report/21587
福島における甲状腺がんをめぐる議論を考える――福島の子どもをほんとうに守るために 服部美咲 / フリーライター


感想
専門家はどうして全体を見る力がないのでしょうか?

胃のX線、若い人は胃がんの罹患率とX線の被ばくの影響を考えて、50歳以上が望ましいとなっています。
何故ならX線を受けるリスクの方が高いのです。

福島第一原発の水素爆発による放射性物質の飛散を受けています。
実際、子どもたちに多くの甲状腺がんが発生しています。
科学者はそれが福島第一原発の影響とは言えるかどうかわからないと言っています。

あれだけの放射能がまき散らされたのですから、マクロ的に見て、影響がないわけがありません。
それを科学的に証明する力がないだけのように思います。
あるいは、影響あるとすると今後の原子力発電華道に強い反発がでるのを危惧して”影響がある”と言いたくないのかもしれません。

福島第一原発の水素爆発の時、「炉心溶融は考えられない」と発言された専門家は沈黙されています。
素人が考えた方が正しい結論を言い当てていたケースでした。
いまだに収束させる技術が確立していません。
安倍首相が「Under Control」と発言されましたが、いまだに「Out of Control」の状態です。
汚染水の処理さえ技術がありません。

原発は安全、コストが安いエネルギーは絵に描いた餅でした。
EUの多くの国がクリーン・エネルギーに福島第一原発事故を受けて、切り替えを加速させています。
日本は未だに原発優先です。
海外に原発輸出を安倍首相がトップ外交されましたが、全て挫折/とん挫しています。
それどころかマイナスの負担が発生しています。

事故があったとき、米軍が”トモダチ作戦”で多大な支援をしてくれました。
何とか、その人たちに支援ができないものでしょうか?


「私・今・そして神 開闢の哲学」永井均著 ”考えてもみなかったことを知る”

2019-03-11 02:12:48 | 本の紹介
・ロボットに心が与えられるケースは他者に起こる変化であり、人間から心が奪われるケースは私に起こる変化であること、それが問題の本質なのである。
だから、後者のケースの本質は、私から心が奪われることにあるのではなく、私が私でない者にされることにある。

・ライプニッツは真理を二種類に分類
1)シュタイン理性の真理
概念を分析するだけで真理であることがわかる。どんな未亡人の夫も必然的に死んでいる。
2)事実の真理
世界の事実を個別的に調べてみなければ真理であるかどうかわからない。

・ライプニッツの有名なモナドという概念は、この個体性にパースベクティヴ性(遠近法)がつけ加わって成立している。

ウイキペディアより
ライプニッツは、現実に存在するものの構成要素を分析していくと、それ以上分割できない、延長を (ひろがりも形も) 持たない実体に到達すると考えた 。これがモナドである。ライプニッツによれば、モナドは構成されたものではなく、部分を持たない、厳密に単純 (単一) な実体であるが (第1節)[1]、にもかかわらず属性として状態を持つ。属性を持たなければすべてのモナドは区別できず、複数のモナドがあるとはいえなくなるからである (不可識別者同一)。どのモナドも、他の全てのモナドと互いに必ず異なっており (第9節)、またモナドは変化する。このとき、或る状態から別の状態への変化の傾向性を欲求という。

・何が見えていようと見ているのはつねに私だ(ヴィトゲンシュタイン)

・現実世界とは私がいま存在する世界のことである

・二つの原理が対立している。何が起ころうとそれが起るのが現実世界だ、という原理と、起こることの内容的なつながりによって何が現実であるかが決まる、という原理だ。何が経験されようと経験するのはつねに私だ、という原理と、経験されることの内容的なつながりによってどれが私であるかが決まる、という原理との対立に、並行的である。現実の場合も私の場合も、全社をライプニッツ原理、後者をカント原理と呼ぼう(勝手な命名だが)。

・私の分裂
 私が分裂する場合から考えよう。・・・。重要なのは、一方が私なら他方は他人である、ということの意味である。どんな状況を考えても、かりに一方が私なら他方は他人である。

・地球で生き残ってしまった私が、数日後に死ぬことが宣告される。そこで問題は、私は死んでも火星にもう一人の同じ人間がいるのだから、私自身はべつに死んでもかまわないと思えるだろうか、ということだった。(まったく同じに分裂して一人は火星に、一人は地球に)

・神・現実・私・今
私もまた概念と存在(本質と実存)の一致を実現することはできない。
思うことによって存在が帰結するのは、思っていることが直接明らかな「私」だけであることをいくら強調しても、そのことはどの「私」についてもいえるのだから、このコギト命題は結局「ある人思うゆえにその人あり」という概念的関係に還元されることになる。
「今思うゆえに今あり」も「ある時思うゆえにその時はあり」という概念的関係に還元され、この関係において「今」の機能をはたしているのは、やはり、「ある時」と「その時」の直接的同一性関係である。
神が現実に存在することを証明するとは、この現実世界に神が存在することを証明することだろう。すると、神が存在しない可能性もあることになる。つまり、神は存在しないことも可能な(のだがたまたま現に存在している)ことになる。このような存在の仕方は、神の本性に反していないか。そもそもそうした諸可能世界そのものが神の知性の内部にのみあるのではなかったか。

・しくい気分、えもい気分、かまい気分、ろましい気分、こじむい気分(私的言語)

・他者の言葉が理解できるためには、過去の自分の言葉が理解できていなければならない。

感想
読んでもよくわかりませんでした。
どうも、頭は哲学的にはできていないようです。涙
言葉の遊び?と思ってしまうところもありますが、哲学者が問題にしている意味もきっとあるのでしょう。
何を問題にしているかを知ることも、重要なのでしょう。

「ウィトゲンシュタイン入門」永井均著 ”わからないけど、そういうものが考えられていることを知る”

2019-03-10 01:51:28 | 本の紹介
・ウィトゲンシュタインの独我論
 「私に見えるもの(あるいは今見えるもの)だけが真に見えるものである」

・ある哲学者と問題を共有したとき、それによって世界の見え方が変わり、人生の意味が変わる。

・「私」の存在-私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか。

・超越的(先駆的)主観
 素材としての世界に意味を付与することによって世界を意味的に構成する主観である。

・思想の値段は勇気の量で決まる。

・他の人がまったく語らなかった、彼らがいなければ誰も気付かなかったかもしれない、まったく独自の問題を、ただ一人で提起した人たちなのである。

http://www.ne.jp/asahi/village/good/wittgens.html
『論考』は、七つの根本命題から構成されている(一部省略)。
 1 世界は起こっていることの総体である。(*)
 2 起こっていること、すなわち事実とは、事態(事柄)が成立するということである。
 3 事実の論理的像が思考である。
 4 思考とは意味を持つ命題である。
 5 命題は要素命題の真理関数である。
 6 真理関数の一般的な形式は、〔 p,ξ , N(ξ)〕 である。
 7 語りえないことについては、沈黙しなければならない。

ウイキペディアより
後期ウィトゲンシュタインの最もラディカルな特徴は「メタ哲学」である。プラトン以来およそすべての西洋哲学者の間では、哲学者の仕事は解決困難に見える問題群(「自由意志」、「精神」と「物質」、「善」、「美」など)を論理的分析によって解きほぐすことだという考え方が支配的であった。しかし、これらの「問題」は実際のところ哲学者たちが言語の使い方を誤っていたために生じた偽物の問題にすぎないとウィトゲンシュタインは喝破したのである。

ウィトゲンシュタインの新しい哲学的方法論には、形而上学的な真実追究のために忘れ去られた言語の慣用法について読者に想起させることが必要だった。一般には、言語は単独ではなんら問題なく機能するということが要点である(これに関しては哲学者による訂正を必要としない)。このように、哲学者によって議論されてきた"大文字の問題"は、彼らが言語および言語と現実との関係について誤った観点にもとづいて仕事をしていたためにもたらされたのだということを彼は証明しようと試みた。歴代の西洋哲学者は人々から信じられてきたほど「賢い」わけではないのだ、彼らは本来用いられるべきコンテクストを離れて言語を用いたために言語の混乱に陥りやすかっただけなのだと。したがってウィトゲンシュタインにとって哲学者の本務は「ハエ取り壺からハエを導き出す」ようなものであった。すなわち、哲学者たちが自らを苦しめてきた問題は結局のところ「問題」ではなく、「休暇を取った言語」の例にすぎないと示してみせることである。哲学者は哲学的命題を扱う職人であるよりはむしろ苦悩や混乱を解決するセラピストのようであるべきなのだ。

感想
考えることが良いのでしょう。
哲学が好きな方は、いろいろと考えることが好きなようです。

思想の値段は勇気の量で決まると。
人生の彩も勇気で決まるかもしれません。
好きな人がいたら、「好き」と伝える。
やりたいことがあれば、どうなるかわからないがやってみる。
未知に挑戦する勇気があるかないかで人生が変わるように思います。
でもなかなかできないのが現実ですが・・・。

阿川佐和子さん「サワコの朝 みやぞんさん」 ”今を笑うことで未来も笑いに!”

2019-03-09 08:44:44 | 生き方/考え方
ツッパリ系の髪型がよいのではとリーゼントにした。
この方の笑顔を見ていると楽しくなる。サワコさんにユリのお花をプレゼント。
去年の24時間チャリティ番組ではマラソンはトライアスロン161Km(水泳、自転車、マラソン)
笑顔が出ない時も。脳に血液が行かなくて、ボウとしていた。身体がどうにもならないことを感じた。仲間の支えがあったので。最後は一緒に行っていたいたトレーナーさんが「最後は一人で行くんだよ」と。
全国のみやぞんファンから「何でいつもニコニコできるのか?」と尋ねて欲しいと。流石にトイレの時はニコニコしていないかも。スリにあった時は、何でスルのかな? 全てプラスに変えていきたい。何で取られたのかなと。今を生きている。今と言っているのが過去になる。今を楽しくしていたら将来も楽しくなるのではないか。今を。

足立区出身。姉4人の末っ子。貧しかった。おかあちゃんは怒ったことがない。「私が産んだ子だもん。信じている」が口癖だった。辛いことは思いださなさい。楽しいことは・・・。思いだせない。そっちもないのか(サワコ)。
姉が働いて、何か欲しいものがないか?と言われても欲しいものがなかった。姉には車を買ってあげた。運動神経は良かった。勉強は必要ないと思った。「宿題はやりません。それでも僕は立派な人間になります。食べていくようになります」と言った。夏休みはどこも行かなかったので絵日記に書くこともなかった。正しいことは宿題やること。先生も諦めてくれた。英語は、「僕は日本語できます」と言ってやらなかった。仕事で海外行くことがあったが、大丈夫だった。

中学2年生の時にギターに出会った。テニス部のキャプテンだった。怪我した時、ギター引こうと思った。楽譜は今でも読めない。返ってそれが良かった。自由に引ける。売れる前は”流し“を居酒屋でやっていた。場所が狭かったので、背中にギターを回して引いていた。スマホのような、”多機能“な人間になりたい。できるかどうかわからなくても「できます」と。障がい者福祉施設にに6年間働いていた。腐葉土を造ってお花を育てて、そしてお花をスーパーの前で売っていた。常に活気をだしてお客さんと対話して売っていた。失敗がない。失敗を前向きにしているので失敗がない。嫌な人に出会ったら、人生の最後に、自分を育ててくれる人として出てきたと考えるようにしたい。批評されてもまったく問題ない。みやぞんは「サインを書いてくれない酷いやつ」と言われたら、「そんな嫌な人にサインしなくて良かった」と思うようにしている。

今不安は? たまにでてくるけど、消してしまう。逃げる! 大丈夫!
自分に強いですね(サワコ)。自分に優しい。褒めまくっている。自分に優しく。よく頑張っているな。食べて良いよ。自分に厳しくすると人にも厳しくする。自分に優しくすると他人にも優しくなる。自分に甘く他人に厳しい人もいるよ(サワコ)。不思議だな。
自分の一番欠点は? 短所ですね。短所も長所ですね。
結婚は大変だと思います。ネガティブですね?(サワコ) 結婚に関しては。

思い出の曲は? 
身体的に辛い時に聞いている。疲れる前に休むようにしている。
山本彩さんの「ひといきつきながら」
メロディーと歌詞がこんなに合う。
暗い時、今日の暗さが最高だなと思う。

感想
演技でにこやかにされているのかと思っていましたが、考え方からにこやかに生きてられる方だと思いました。
そして今をとても大切にされています。
お釈迦様が「今しかない。過去も未来もない」と言われたのを実践されていました。

お母様から無条件の愛情「何しても良い。私が産んだ子だから信じている」。
貧しかったけど、お母様の考え方生き方がみやぞんさんに伝わっているように思いました。