淳之介(須賀健太)は、茶川先生(吉岡秀隆)の所から旅立っていった。
六子(堀北真希)も、鈴木オートを出て、嫁いでいった。
淳之介も六子も、茶川先生や鈴木社長(堤真一)の実の子ではない。
それでも茶川先生たちは、血の繋がっていない<他所の子>を受け入れ、育てた。
他所の子でありながら、実の子に匹敵するくらいの愛情を注ぎ、深い絆を結んだ。
社長夫婦は、一人息子の一平(小清水一揮)に指摘されるまで、六子のことを<実の娘>と思い込み、結婚の了承するか否かを迷っていた。青森には六子の本当の両親がいるのに(笑)。
おそらく東京タワーが出来た時点でのあの時代は、こういう時代だったのだろう。
テレビだって、近所中が料理や飲み物を持ち寄って、いっしょに力道山を応援していた。
ところが、この第三作の64年は、少し様子が違う。
茶川先生の所にもテレビが来て(←白黒ですが)、オリンピックを自分の家でみようとする。
「いっしょに見て応援した方が楽しい」という妻・ヒロミ(小雪)の説得によって、茶川は鈴木オートでオリンピックの女子バレーを見る。
少しずつ変わっていく世の中。
ご近所が次第に遠くなっていく。
今回六子の恋愛相談に乗り、わざわざ相手のことを病院まで調べにいくような、たばこ屋のおばさん(もたいまさこ)みたいな人もいなくなった。
そんな変化の象徴が、今作の淳之介と六子の旅立ちだ。
あの時代が全面的に良かったとは言わない。
プライバシーがないことや、他人にいろいろ干渉されることがイヤだと考えた人、家族水入らずでオリンピックを楽しみたいと思った人もいただろう。
しかし、現在のわれわれはこの作品を見て<失われてしまったもの>を痛烈に感じる。
今は一家に一台ではなく、一部屋に一台テレビがあって、家族すらもバラバラだ。
都会にいると隣にどんな人が住んでいるかは知らないし、どんなことに悩んでいるかなんてことは、まったくわからない。
震災があって、東京スカイツリーが出来た現在、われわれはもう一度自分の生活を見直す時期に来ているのかもしれない。
六子(堀北真希)も、鈴木オートを出て、嫁いでいった。
淳之介も六子も、茶川先生や鈴木社長(堤真一)の実の子ではない。
それでも茶川先生たちは、血の繋がっていない<他所の子>を受け入れ、育てた。
他所の子でありながら、実の子に匹敵するくらいの愛情を注ぎ、深い絆を結んだ。
社長夫婦は、一人息子の一平(小清水一揮)に指摘されるまで、六子のことを<実の娘>と思い込み、結婚の了承するか否かを迷っていた。青森には六子の本当の両親がいるのに(笑)。
おそらく東京タワーが出来た時点でのあの時代は、こういう時代だったのだろう。
テレビだって、近所中が料理や飲み物を持ち寄って、いっしょに力道山を応援していた。
ところが、この第三作の64年は、少し様子が違う。
茶川先生の所にもテレビが来て(←白黒ですが)、オリンピックを自分の家でみようとする。
「いっしょに見て応援した方が楽しい」という妻・ヒロミ(小雪)の説得によって、茶川は鈴木オートでオリンピックの女子バレーを見る。
少しずつ変わっていく世の中。
ご近所が次第に遠くなっていく。
今回六子の恋愛相談に乗り、わざわざ相手のことを病院まで調べにいくような、たばこ屋のおばさん(もたいまさこ)みたいな人もいなくなった。
そんな変化の象徴が、今作の淳之介と六子の旅立ちだ。
あの時代が全面的に良かったとは言わない。
プライバシーがないことや、他人にいろいろ干渉されることがイヤだと考えた人、家族水入らずでオリンピックを楽しみたいと思った人もいただろう。
しかし、現在のわれわれはこの作品を見て<失われてしまったもの>を痛烈に感じる。
今は一家に一台ではなく、一部屋に一台テレビがあって、家族すらもバラバラだ。
都会にいると隣にどんな人が住んでいるかは知らないし、どんなことに悩んでいるかなんてことは、まったくわからない。
震災があって、東京スカイツリーが出来た現在、われわれはもう一度自分の生活を見直す時期に来ているのかもしれない。