平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

作家・野坂昭如さんが語る原発問題~本日(15日)も抗議集会が行われます!

2012年06月15日 | 原子力発電・反対
 原子力発電問題について、作家の野坂昭如さんは一年前に次のように書いている。

「このところ、経済産業省を中心に、原発再稼働への動きが目立つ。電力不足は経済活動の妨げになる、これから生きるために必要だという。安全の確認が認められたところから再稼働すべき、あるいは日本には技術があるという。人間は自然に逆らえない。原子力の危険を封じ込めることも出来ない。地震も津波もコントロール出来ないものと、この度、無力さを思い知らされたはずだ。
 しかし四ヶ月が経ち、四ヶ月前の暮らしぶりに戻ったかの如く、原発の必然性を説き、当たり前のように再稼働させようとする輩がいる。原発の問題は単純ではない。今こそ一人一人が問われているのだ」
                                                 (2011年7月9日 毎日新聞)

「電力会社は原発をクリーンだと言い続けてきた。石炭から石油に変わった火力発電、これは大量のCO2を出す。地熱発電は地中の砒素の大気への拡散が懸念される。水力はこれ以上無理。太陽光はコストがかかるとし、文明を保つには原子力発電しかないと。
 その一方で、原子力発電関係者の絶対安全という言い方から、いつの間にか「絶対」という言葉がとれていた。
 原子力発電所の事故は、日本の破滅につながる。許されない。
 未来を担う子供たちに毒を食べさせてはならない」
                                                (2011年7月23日 毎日新聞)

 先にも書いたとおり、これらは一年前の文章だが、今の状況を的確に言い当てている。
 それは、原子力問題について、野坂さんが本質を見抜いているからだ。
 企業人としてではなく、人として、この問題を見れば、これらが誰もが導き出す答えだろう。

 野坂さんは、豊かで便利すぎる過ぎる僕たちの生活についても次のように問いかける。

「原子力の平和利用という。
 科学や技術が人間の暮らしに深く食い込み。その成果の上に成り立っている今の暮らし。このエネルギーについて多くの日本人には、アレルギーのようなものはある。しかしその仕組み、ともなう危険を考えると言っても、科学についてはほぼ素人。専門的なことはわからない。いつしか水や空気と同じように、伝記は天然自然に生ずるものの如く、気づけば必要以上の便利さを手にして、慣らされ、危険性には目をつぶり、地震列島のあちこちに沢山の原子炉をつくってきた。ぼくらは便利でいいだろう。しかし未来の者たちの血をすすり、骨をかじって生きているとも言える。文明という便利なものを手に入れるだけ手にし、一方で死の灰をつくり出し、その後始末はぼくらの子孫に押しつける。どうにかしてくれるだろうと。
 こんな傲慢な振る舞いが許されるのか。目先の恩恵を享受するということは、はたして人として、まっとうなことなのか。せいぜい自分の子供に害が及ばなければいいという程度の狭い考え方で、科学技術にからめとられ、いつのまにか哲学的な思考を放棄した。
 原子力エネルギーを考える上で、とりあえずの安全性を言う前に、ぼくは一人一人の哲学的とらえ方が、まず必要だと思う」
                                                (2011年4月30日 毎日新聞)

 原子力発電で電力を生み出す際、原料のひとつであるウランはプルトニウムに変わる。
 全国にある原子力発電所は、プルトニウム製造工場であり、稼動すればするほど溜まる。
 そして廃棄も出来ず、厳格な保管体制を維持しなければならない。

 というわけで、野坂さんが言うとおり、今こそ一人一人が自分の<哲学>を持つ時である。
 福井県の西川知事は、本日「大飯原発再稼働容認」の判断を出すらしく、いよいよまずい事態に。
 なので、本日(15日)も18時~20時に首相官邸前で<原発再稼働抗議集会>が行われます。
 先週の参加者は4000人(主催者発表)。先々週が2700人だったので、少しずつですが増えています。
 首相官邸前は地下鉄・国会議事堂前 3番・4番出口。
 抗議の声をあげたい方は、ぜひ!


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