言うまでもないことだが、現在は<過去>の蓄積でできている。
清盛(松山ケンイチ)と信西(阿部サダヲ)の盟友関係。
すなわち清盛が武力と財力で、信西が知力で、理想の国を作っていくという関係。
この関係は、若き日、ふたりが小舟に乗って「いっしょに宋に行こう」と盛り上がった所から始まった。
清盛と義朝(玉木宏)のライバル関係は、<競べ馬>の時。
負けた清盛に義朝は言う。
「最も強き武士は源氏じゃ! 貴様のような情けない者を抱えた平氏とは違う!」
これでふたりのライバル関係が生まれた。
そして、このライバル関係は頼朝(中川大志)に引き継がれる。
清盛は宴の席で頼朝に言う。
「最も強き武士は平氏じゃ! そなたのような弱き者を抱えた源氏とは違う!」
まさに言葉のスパイラル!
これで、頼朝の心に火がついた。<追いかけ、競うべき存在>が生まれた。
もし、ここで罵られた頼朝が意気消沈してしまったら、彼は凡庸な人物。覇者にはなれない。
しかし、頼朝は負けじと立ち上がった。
もしかしたら清盛は、頼朝を通して、義朝に語りかけていたのかもしれませんね。
「意気消沈していないで、早くあがってこい」と。
今回の見所はふたつ。
頼朝に「最も強き武士は平氏じゃ! そなたのような弱き者を抱えた源氏とは違う!」と語った後の<清盛の笑顔>と、頼朝から清盛のことを聞いて、ふたたび雄々しく立ち上がった<義朝の顔>。
ふたりともいい顔をしていた。
松山ケンイチさんと玉木宏さんの名演技。
この顔を見るだけでも、今回は見る価値がある。
そして後白河上皇(松田翔太)。
今回はおとなしかったが、信西と藤原信頼(塚地武雅)を両天秤にかけて、わざと<争乱>を作っているようにも見える。
不満を募らせて、信頼に<信西憎し>の感情を植えつけようとしているようにも思える。
だとすると、後白河上皇って、何と滅茶苦茶な人物だろう!
争乱を作ることが喜びなんて!
白河院の血をひく彼は、人が憎み合い、争うことが大好きなのだ。
それが彼の遊びなのだ。
このあたりはきっと次回描かれるに違いない。
最後に義朝。
由良(田中麗奈)は死に際にこう語る。
「源氏の御曹司として誇りをお持ちになり、生きて来た殿を、由良は心よりお敬い申し上げておりまする」
確かに義朝は誇り高い男だった。
それゆえ、貴族にすり寄ることが出世の方法だとわかっていても積極的にやらなかった。
人脈づくりや権謀術数を労さず、あくまで武士としての仕事の実績で認めてもらおうとしていた。
この点、僕は義朝が大好きだが、前回も書いたように政治家向きではない。
だから信頼(塚地武雅)の誘惑に乗り、結局<貴族の道具>となってしまった。
思慮のある者なら組むべき相手を見定め、時局が変わるのを待ったかもしれない。
しかし、それは後の歴史を知っているから言えることなのだろう。
清盛(松山ケンイチ)と信西(阿部サダヲ)の盟友関係。
すなわち清盛が武力と財力で、信西が知力で、理想の国を作っていくという関係。
この関係は、若き日、ふたりが小舟に乗って「いっしょに宋に行こう」と盛り上がった所から始まった。
清盛と義朝(玉木宏)のライバル関係は、<競べ馬>の時。
負けた清盛に義朝は言う。
「最も強き武士は源氏じゃ! 貴様のような情けない者を抱えた平氏とは違う!」
これでふたりのライバル関係が生まれた。
そして、このライバル関係は頼朝(中川大志)に引き継がれる。
清盛は宴の席で頼朝に言う。
「最も強き武士は平氏じゃ! そなたのような弱き者を抱えた源氏とは違う!」
まさに言葉のスパイラル!
これで、頼朝の心に火がついた。<追いかけ、競うべき存在>が生まれた。
もし、ここで罵られた頼朝が意気消沈してしまったら、彼は凡庸な人物。覇者にはなれない。
しかし、頼朝は負けじと立ち上がった。
もしかしたら清盛は、頼朝を通して、義朝に語りかけていたのかもしれませんね。
「意気消沈していないで、早くあがってこい」と。
今回の見所はふたつ。
頼朝に「最も強き武士は平氏じゃ! そなたのような弱き者を抱えた源氏とは違う!」と語った後の<清盛の笑顔>と、頼朝から清盛のことを聞いて、ふたたび雄々しく立ち上がった<義朝の顔>。
ふたりともいい顔をしていた。
松山ケンイチさんと玉木宏さんの名演技。
この顔を見るだけでも、今回は見る価値がある。
そして後白河上皇(松田翔太)。
今回はおとなしかったが、信西と藤原信頼(塚地武雅)を両天秤にかけて、わざと<争乱>を作っているようにも見える。
不満を募らせて、信頼に<信西憎し>の感情を植えつけようとしているようにも思える。
だとすると、後白河上皇って、何と滅茶苦茶な人物だろう!
争乱を作ることが喜びなんて!
白河院の血をひく彼は、人が憎み合い、争うことが大好きなのだ。
それが彼の遊びなのだ。
このあたりはきっと次回描かれるに違いない。
最後に義朝。
由良(田中麗奈)は死に際にこう語る。
「源氏の御曹司として誇りをお持ちになり、生きて来た殿を、由良は心よりお敬い申し上げておりまする」
確かに義朝は誇り高い男だった。
それゆえ、貴族にすり寄ることが出世の方法だとわかっていても積極的にやらなかった。
人脈づくりや権謀術数を労さず、あくまで武士としての仕事の実績で認めてもらおうとしていた。
この点、僕は義朝が大好きだが、前回も書いたように政治家向きではない。
だから信頼(塚地武雅)の誘惑に乗り、結局<貴族の道具>となってしまった。
思慮のある者なら組むべき相手を見定め、時局が変わるのを待ったかもしれない。
しかし、それは後の歴史を知っているから言えることなのだろう。