平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

軍師官兵衛 第36回「試練の新天地」~割れた茶碗は以前にも増して趣が出た

2014年09月08日 | 大河ドラマ・時代劇
 伴天連追放令。
 この中で、信仰と現実の折り合いをいかにつけていくか。
 右近(生田斗真)は信仰を取った。
 官兵衛(岡田准一)は現実を取った。
 信仰を貫けなかった官兵衛は言う。
「私は弱い人間です」
 これに対して右近。
「人にはそれぞれデウスに与えられた使命があります。それを全うして下さい」
 この右近の言葉で官兵衛は救われたことだろう。

 言葉は人を救う。
 それは利休(伊武雅刀)が語った言葉は右近を救った。
 利休は、継ぎ接ぎだらけの茶碗を見てこう語る。
「以前にも増して趣が出た」
 継ぎ接ぎだらけの茶碗とは右近のことだ。
 現実の中で翻弄され、ボロボロになりながらも信念を貫き、何とか<高山右近>という形を保っている右近。
 その姿は全く壊れていない茶碗よりも趣がある。
 継ぎ接ぎだらけの美しさ。

 そんな継ぎ接ぎだらけの人間の対極にいるのが、若き者たちだ。
 長政(松坂桃李)を始めとする黒田家の若き者たち。
 彼らはまだ壊れていない。
 自分を疑うことを知らない。
 それはそれで若さの特権で美しいのだけれど、危うい。
 経験が足りない分、間違った方向に生きやすい。

 長政は待てない。
 時をかけて言葉で説得しようとするのではなく、すぐに武力で解決しようとする。
 長政には父親コンプレックスがあるのだろう。
 偉大な父親を追い抜けないジレンマ。
 自分のやることなすことがことごとく父親に否定されるつらさ。
 この父親コンプレックスは、秀吉讃美や家康讃美に向かう。
 官兵衛より立場が上の秀吉や家康に心酔すれば、父親を追い抜けるという思い。
 この心情は醜いですね。
 器として美しくない。

 というわけで、今回は、継ぎ接ぎだらけの器の美しさ。
 官兵衛もまた継ぎ接ぎだらけ。
 信仰を貫けなかったし、結果として宇都宮鎮房(村田雄浩)をたばかってしまった。
 人は罪を犯してボロボロになりながら生きている。
 そんな官兵衛の器を形作っているのは、何とか<平和な世をつくりたい>という思いだ。
 このことが右近の言う、官兵衛がデウスに与えられた使命なのだろう。

 継ぎ接ぎだらけの器を美しいと思える感性がほしい。

コメント (2)
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