平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

おんな城主直虎 第5回~王子様の帰還! 俺が戻ってこられたのは、おとわのおかげじゃ 

2017年02月06日 | 大河ドラマ・時代劇
「おとわが俺の竜宮小僧になる。
 それを聞いて、這いつくばってでも井伊に戻ろうと思った。
 もう一度、生きて、おとわに会うのだと。
 俺が戻ってこられたのは、おとわのおかげじゃ」

 遠く離れていても、10年の歳月が経っていても、心が通じ合っていたおとわ(柴咲コウ)と亀之丞(三浦春馬)。
 亀之丞の帰還を知って、おとわは心が揺れ動く。
 亀之丞は会って、いきなり「俺はおとわを妻にする」宣言!

 しっかし、亀之丞はたくましい好青年になって戻ってきたなぁ。
 一方、鶴丸=小野政次(高橋一生)。
 父親のせいで井伊家の主流から外れているせいもあるが、逆に弱々しく見える。
 政次は政治に翻弄されている存在なんですよね。
 おとわの結婚相手になったり、井伊の後継者になったりするが、結局、最後にひっくり返される。
 それに耐えて、理性的にふるまう政次は実にカッコいい。

 さあ、おとわの前に〝王子様〟ふたりが現れた。
 このあたりは少女マンガチック。
 ………………

 小野政直(吹越満)は最期まで権某術数の中で生きていた。
<自分のして来たことは、すべて井伊家のため。
 井伊家のために泥を被ってきたが、理解されていない。政次を頼みます>
 と、おとわに語ったのに、実はウソだった。

 おとわ=次郎法師はせっかくいい話をしたのにね。
<旗が揺れているのは、風が揺らしているのか、旗が揺れているのか。
 揺れているのは見る者のこころ。
 物事は見る者のこころによって変わるもの>
 仏教の<相対主義>だ。
 仏教では、すべては諸行無常。世の中に<絶対的な正義>や<絶対的な価値>などないと教える。
 話は逸れますが、僕が仏教に共感するのは、この点なんですよね。
 <絶対的な正義>や<絶対的な価値>があると思うから、争いごとや戦争が起こる。
 イスラム教VSキリスト教みたいに。
 もっとも、これらの宗教も本質は<寛容>を説いているんだけど。

 話を戻すと、おとわはこの話をすることで、僧として、死期の近い小野直政に心の安らぎを与えた。
 しかし、直政はそんな救いなど求めていなかった。
 人間の業の怖ろしさだ。
 ………………

 煩悩、ということも語られた。
 亀之丞が帰ってくることで心が揺れるおとわは、煩悩を鎮めるために、床掃除をし、滝に打たれ、山ごもりをする。
 これらの目指す所は、自分を厳しい環境に置き、痛めつけることで、自我を殺すことだ。
 床掃除をすることも、煩悩のもとである過剰なエネルギーを発散するのに有効なこと。
 へとへとになって、ぐっすり寝てしまえば余計なことは考えない。

 脚本の森下佳子さん、この作品で結構、仏教を語っているよな~。
 仏教の思想が、今後、主人公や作品にどんな影響を与えていくのか興味がある。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする